その日の天気は相応しくないほどのどんよりとした曇り空で、さらに桜は散っていた。
 『サクラサク』なんてよく言ったものだと、ぼんやりと思った。


 時期的に桜は咲いているはずなのに、すべて昨日の雨で散ってしまっていた。寂しい気持ちはあるものの、しょうがないと言うしかなくて、かすかな寂寥と伴にふぅ、と息を吐いた。
 同じ中学の生徒だった友人を見つけていくらか話したり、笑ったりしていると、キンコンカンコン、鐘が鳴った。
 今日は、入学式。
 新しい出会いに胸を膨らませる、とは言わないけれど、言い知れぬ不安と少しの緊張を味わいながら、友人と集合場所へ向かった。途中、友人は「トイレに行く」と駆け出してしまい、ぽつんと一人残された。
 一人で行くのもなんだから、と待っていると視界に桜の樹があった。勿論、全て散っている。葉桜でもないので、ほぼ裸に等しい。真冬でもないのに、さみしいなあ。

「……?」

 桜の樹の向こうから、足が出てる。
 足?
 てことは、人。
 投げ出してるから、転がってる。
 ……もしかして、

「倒れてる!?」
「おわっ!?」

 慌てて駆け寄り見てみると、予想外の色が其処に在った。

「何だ?どした?」

 私の声に反応したらしく、起き上がった其の足の主は、半端に長いとも言えないし短いとも言えない髪をがしがし掻いた。
 その一房。其れが、赤い。
 明らかな人工の其れは、私の眼には木漏れ日を浴びて綺麗に見えた。

「あ……いえ、ごめんなさい、倒れてるのかと思って……」
「ん?ああ、まあ間違ってはいないか。寝てたし。……お前、入学生か」
「は、はい」
「そっかー。じゃあ残念だな」
「は?」

 何のことか分からず首を傾げると、「あれ」と言って指を差した。私よりとても大きな其の手は、指も長い。其の指差す先には、桜。

「こんなんじゃ、気分も損なわれるってもんだろ」
「あ、……はい。でも、しょうがないですから。桜だって、散りたくて散ったわけじゃないですし」

 言うと、明らかな校則違反であろう赤メッシュの彼は、きょとん、とした顔で私を見た。年上なのだろうから、其の年齢で其の反応というのはあまり相応しくないと思うけれど、彼のそれは何処か愛嬌のあるというか、子供のような感じだった。

「お前」

 そして、くしゃっ、と顔を崩して笑った。

「面白いこと言うんだな」
「……?って、わ!」

 満面の笑みのまま、頭をがしがし撫でられた。髪はぐしゃぐしゃとまではいかないが崩れ、私は大慌てで其の手を止めた。

「わ、ちょっと、止めてください!」
「気に入った!お前、何組だ?」
「は……四組って聞いてますけど」
「お、真下じゃん。じゃあ終わったら待ってろな!」
「は?」

 一体何が何で何故待たなくてはならないのかと聞きたいところだったけれど、入学生を呼び出すアナウンスがものすごくいいタイミングで行われ、彼に「ほら行け行け」と促され、更に友人も戻ってきたものだから、しょうがなく其の場を離れた。
 見送る赤い髪が少し風に揺れていた。








「あの人……本当に来るのかな……」

 多分、本当に来そうな気がして、なんとなく教室で待つことした。一方的な約束であれなんであれ、あの人私がいなかったら泣き出しそうだ。

「萌、一緒帰ろ?」
「御免ね、人を待たなくちゃいけなくて……」

 同じクラスだったらしい友人に誘われたが、先に先約があるので断っておいた。彼女は渋々其れを了承してくれた。
 流石に真新しい教室に長居するつもりの生徒はいない。自然、私は一人になった。することもないので、真面目に時計を眺めていた。午前中は二・三年生の始業式だったから、二時過ぎから始まった入学式は三時前に終わった。それから各ホームルーム教室で顔合わせを兼ねたロングホームルームがあったから、只今の時刻は四時前。そろそろ黄昏が近い。
 ぼんやり今日のことを振り返っていると、どたどたと廊下を掛ける音がした。すぐに、扉をスライドさせる音。

「待たせたな!生徒指導に捕まっちまって」

 やはり常連らしい。まあそんな頭をしていれば当たり前かと思う。

「ホラ、行こうぜ」
「何処に……ですか?」

 今の今まで律儀に待っていて何だが、そういえばこの人信用して大丈夫なのだろうか。

「俺の友達ん家」
「……は?」

 あまりに予想外すぎて固まってしまったが、実際一番の笑いどころはそのままついていってしまった私だと、後から思った。








 名前も知らない赤メッシュの先輩について来て、今は白い壁の一軒家の前に居る。何だかなあ、私、流されすぎている気がしますが。

「……暁、ホントに来たのか」
「俺が嘘吐く奴に見えるか寿応」

 小気味良くチャイムを鳴らしてから出てきた彼の友人らしき人物は、眠たそうな顔をしてそう言った。「何考えてるんだよ」と言わんばかりの態度だが、このひと全然気にしていない……。

「庭、入るぜ」
「ああ。……何度も言うけど、」「壊さねえよ」

 「さ」と手を引かれ、『暁』という名前らしい先輩について行った。『寿応』さんとすれ違う際に軽く会釈すると、彼も目元を緩ませ軽く頭を下げてくれた。いい人だと思う。
 玄関を通り過ぎて、庭の方に廻る。来るときは家の真正面から来たから、庭は見えなかったけれど、多分広そうな感じ。

「ほら、見てみろよ」

 言われて足元にやっていた目を上へ向ける。

「わ……」

 大きな桜の樹が其処に在った。昨日の雨の影響を全く受けていないのか、満開と呼べる程の見事な桜。雨上がりを祝うような花。

「キレーだろ」

まるで自分の物のように、『暁』先輩は言った。

「はい……とても」

 満面の笑みで彼の方を向き言うと、彼も笑った。
 私達は、『寿応』さんに声を掛けられるまで桜を眺め、
 そうしてやっと、名乗りあった。
 桜の下で、私達は出会った。

( Under the cherry blossom )


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