ん、と隣の紫苑が呻いた。
 まただ。最近周期が短い。前は一昨日だった。
 ただ一つのベッドは成長期の青年が二人入ることは出来ても、身動きが簡単に取れるほど大きいわけではない。片方が動けば、片方が気づく。そして、いつも動くのは紫苑で、其れに気づくのはネズミだった。
 もう夜更けだろう。時計なんて洒落た物はないし、外に出るのも面倒だけれど、きっと、月が真上に昇っていることだろう。何度か確認したときと同じように。
 身体を起こして、欠伸を一つする。読んでいた本をベッドのすぐ隣に摘まれた本の山の上に置いた。特別面白いわけでもなかったから、未練は無い。それでもこんな時間までだらだらと読み耽っていたのだから、何処かで予感―――どちらかというと、感知していたのかもしれない。
 ベッドに腰掛ける形になってから、紫苑を見る。苦しそう、とまでいかないけれど歪められた眉、きつく一文字に結ばれた唇。
 やっぱり、そうだ。今日もまたうなされている。
 悪い夢でも見ているのだろうが、本人は起きてからは全く自覚がないらしく、訊いてみても本人からも疑問符が返ってくるだけだった。わからないものはしょうがない、と二人揃って割り切ってみたのだが、こうも頻繁になると気にせずには居られない。うなされる間隔が短くなってきているのなら尚更だ。

「あんたも懲りないな。いったい何見てるんだよ」

 声を掛けてみる。勿論返事は返ってこない。
 夢というのは大抵、本人の願望が現れたりするとかなんとか、聞いたことがあるが、無意識下で見ている以上、本人の脳内で作られた映像、音声、感覚だろう。つまり紫苑のこの苦しみようも、突き詰めれば自作した苦悩であるのだ。

「そう考えると、究極のマゾヒズムだな」

 嘲笑する。紫苑は相変わらず起きるわけが無い。
 曇ったままの寝顔に、手を伸ばしてみた。ほんの少しだけれど、汗をかいている。更に髪に触れて指を絡めると、サラリと指を隙間を流れていった。地肌に触れると、やはり、汗ばんでいる。
 ああ、本当に。

「紫苑」

 あんたは、今、何を見てる?何を見て、何を聞いて、何を感じて、そんな苦しんでる?
 そのまま、口に出そうとして、やめておいた。返事がないのは目に見えていることだ。口にしたところで何の意味も無い。ただの独り言となって、空気を震わせそして消えるだけだ。

「どうせ訊いても、応えないか」

 苛々する。
 何度も思ったことだけれど、やっぱりあんた、馬鹿だ。
 馬鹿も馬鹿。大馬鹿者だ。
 教えろだの助けろだの、ふざけたことを言ってくると思ったら、今度は自分で自分を苦しめてるときた。
 いったい何がしたいんだ、紫苑。
 白い髪を、まさぐる。
 だいたい俺も、何をあんたに期待してる。
 訊いて如何する?助けるのか?紫苑を?他人であるのに?
 俺も体外馬鹿だ。

「あんたに似てきたな、俺も」
「……、う」
「お、起きるか。まだまだ夜だぜ、紫苑」
「ネズミ」

 寝惚けた眼だ。それでも一応は感覚はあるらしく、髪に触れたままのネズミの手を確認するように自分の手を伸ばしてきた。其の手が、何かを求めるように、強くネズミの手を掴む。

「何だ、如何した?」
「……、い」
「え、何?悪いが読唇術は心得てない」


「――― こわい」


 はっきりとした声と、はっきりと伸ばされた手。
 縋りつく、しがみつく。
 即座に払うつもりだったのにも関わらず、一瞬、ほんの一時、間が出来てしまった。その一瞬のうちに、手は降ろされ瞼は閉じられた。
 見開いていた目を、一度伏せる。

「紫苑、」

 あんたは、残酷だ。
 そうやって、手を伸ばして、声を掛ける。

「俺は、あんたを庇護するわけにも、あんたに救われるわけにもいかないのに」

 そうやって、あんたは簡単に、俺に其れを求めてくる。
 なんて残酷。なんて酷遇。なんて酷薄。なんて酷悪。
 けれど。
 髪をまさぐる。さらさらと触れる髪は、くすぐるように手を流れる。
 伏せていた瞼を持ち上げる。其処にあるのは、安らかには程遠い、紫苑の寝顔。
 それにすら、苛立ちを覚えてしまう。

「今だけ、だ」

 今このときだけ。
 夢なんて見ずに、ただ昏々と眠れるように。

( うたを、君に )


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