其の日は、朝から雨の日だった。
ざあざあと、雨が降りしきる。
ガラクタと瓦礫と埃にまみれた路上で、少女と少年は何をするわけでもなく、崩れかけの建物の軒先で雨宿りをしていた。
少女は何も言わず、ただ雨を眺める。
少年は何も言わず、ただ雨を睨む。
「ていうか、あんた」
どれくらいの時間が経ったか、少女と少年にはわからなかった。大量の雨を吐き出す雨雲の所為で太陽を見えるわけでもなかったし、時計なんて洒落たものを持っているわけもなかったから、わかるはずがなかった。
雨に向けていた視線はそのままに、少年はほんの少しだけ意識を少女に向ける。
少年よりいくらか年下だろう少女は、ちらりと少年に視線を向けるが、すぐに雨の空へと戻した。
「其の手、洗うとかしないの?」
「……、テメエに関係あるのかよ」
「そりゃ、ないけど」
「ならほっとけ」
会話終了。
雨の音しかしなくなる。止む様子はまるでない。
少女と少年は、何をするわけでもなく、崩れかけの建物の軒先で雨宿りをしていた。
「だいたい、」
今度は、少年の方から声を掛けた。少女は其れに驚いて、少年に視線を移す。
「テメエは其れ、捨てるとかしねえのかよ」
「……、でもホラ、何かに使えるかもしれないじゃん」
「どーでもいい。つか人から取り上げといて、其れかよ」
「だって、こんなの持ってたら誰だって取り上げるよ」
其処でまた、会話終了。
雨の音だけしかしなくなる。止む様子はまるでない。
少女と少年は、何をするわけでもなく、崩れかけの建物の軒先で雨宿りをしていた。
少女の手に、血塗れのナイフが、不相応に握られていた。
少年の手は、真っ赤な血が、似つかわしくなく滴っていた。
少女は黙ったままだった。
少年は黙ったままだった。
やがて、耐えかねたのか、雨が先に、ゆっくりと止みだした。
「行かなきゃ」
少女が呟く。
少年はぴくり、と眉を動かして、「何処へ?」と訊きたい衝動を抑えて敢えて黙った。
少女には、帰るべき家があった。
少年には、居場所などなかった。
「ねえ」
少女が、少年に声を掛ける。
少年が初めて、少女に視線を向ける。
腰まで届くかと思わせる黒髪、幼いながらも、目鼻立ちがはっきりしていて、気の強そうな、真の強そうな笑顔。
少年の眼に映る、雨に掠れた暗い暗い世界で、唯一はっきりしたものだった。
「名前は?」
「……」
「ねえ、ちょっと、聞いてる?」
「…………」
「おい、おきてる?もしかして死んだ?」
「ざけんなっ!」
「生きてるなら返事しろ!」
真面目な顔で言う少女に、少年は舌打ちした。
ウザったらしくて、すっげえ邪魔で、しかも、煩い。
おおよそ、仲良くはなれないだろう第一印象を抱きながら、
「バノッサ」
少年は名前を紡いだ。
少女は、嬉しそうに笑って、
「バノッサ。あたしは、」
意味の無いような、名乗りあいをした。
少年は少女の声で名前を紡がれた。
少女は少年に名を呼ばれなかった。
少年に居場所はなかった。
只持っているのは、誰かに呼ばれるための名前だけだった。
誰かに確立してもらうためだけの名前だった。
少女は、雨に洗われたナイフを其処へ置いた。
少年は、雨に洗われた其の手で其れを拾った。
「何か、役に立つかもね」
「…………」
「勿論、あんたのって意味だけど」
「……さっさと帰れよ、ウゼェ」
「そんなこというかあんた!」
ぎゃーぎゃーと文句を連ねてから、彼女は捨て台詞を吐いて去った。
其の日は、雨の日だった。
二人が出逢った、雨の日だった。
二人の初めての喧嘩の、少しだけ晴れ間の覗いた、雨の日だった。
( そんな雨の日を覚えてる? )
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