其の日の話題は一日中それだったのだけれど、僕達は其の中で其の話題だけは取り上げず、物足りなさと違和だけを感じて過ごした。
 帰ってからなんとなく思い立って漕ぎ出した自転車の先に彼女が居た。いつものように軽い挨拶をして、何処に行くのかと問われたから、何処かなと返す。何其れと笑われて、しょうがないから苦笑した。
 だって、何処に行けばいいかわからなかったから。

 「じゃあ、後ろいい?」

 何がじゃあなのかよくわかんなかったけど、断る理由も何もなかったし、それに先の物足りなさがまだ在ったので、快く了解した。要は、僕は寂しかったのだ。

「安全運転、頑張って」
「はいはい、お姫様」

 ちょっとだけ和んだ場は既に夕陽に染められて、遠出は出来ないことを理解する。やっぱり僕らは子供で、流されて流されるものなのだ。今度のことで酷くそう思うようになった。

 建物の隙間から漏れる赤い陽が目に痛い。
 何も考えずに走らせていると、後ろから夕陽が綺麗に見えるところに行きたいと声がして、頷いて加速した。

「……ねえ」
「何?」
「怜侍くん、何処行ったかな」
「……、何処かな」
「何処だろ……」

 其の時初めて僕らは其れを話題にした。でも其の後に言葉は続かなかった。何も言わずに消えた彼は、僕らの中では―――こういう言い方は酷いかもしれないけれど―――死んでしまったようなものだった。ついさっきまで同じ世界に居たのに、今はもう居ないのだ。つかめないところに在るものは、何処か別の世界と同等だから。
 だのに、僕らは涙の一つも零さなかった。
 まるで予期していたかのように。いつかは死んでしまうことを予見していたかのように。僕らは僕らの世界の崩壊を、まるで如何でもいいことのように見詰め、また違う世界を既に形作ろうとしている。
 それは多分当たり前のことで、誰の身にも起こりうることで、例えば僕らがちりぢりのばらばらになったしまう時でも、そういう形成は起こるんだろう。
 ただなくして作ることが初めての僕らには、それにはとても時間が必要だったんだと思う。だから言葉にしなかった。思い知りたくなかった。

「……寒くなってきたね」
「そうだな、戻ろうか?」
「あとちょっと、居よう」

 夕陽が拡がる其処で彼女はぽつりと呟いた。流石にこの時間になると、風が冷たくなってくる。晒された肌にひんやりと風が打つ。その感覚を呟けど、動きたくは無かった。けれど動かないと何も出来なくなってしまうので。それでも抗いをやめたくなくて、後ろの彼女はまだ其れを求めた。
 自転車はゆっくり廻る。出来るだけ出来るだけ時間が過ぎないように願いながら。
 僕らは今この瞬間をとどめたくて、とどめられなくて、だから想い出なんてものを作るんだろう。たくさんの記憶から浮き彫りにされた其れは、色褪せて朽ちて欠けてしまっても、消える事だけは無いから。それに縋って生きていくんだろう。

「……
「?」
「ごめん、なんでもないよ」

 僕らには互いにかける言葉もなくて、ゆっくり廻る車輪だけをただ意識した。
 廻る音がもっと大きければ、彼女のくぐもった声に気づく事もなかっただろうに。

 ――― きれいなおもいでになんてしてやらないもの。

 まるで憎悪だった。そうなると少しだけいなくなったあいつが不憫に思えたけど、居なくなった方が悪いので、僕は同情はしないことにした。

「……逢えるかな」
「どうだろう。何処に行ったかもわからないし、何処に行けばいいかわからないし」
「龍一くん、なんで自転車出したの?」
「うーん……、探したかったんだと思う」
「そっか」

 冷たい風がぴたりと止んだ。空の色が青く暗くなってきた。
 日が落ちて、夜が来る。赤色がいつの間にか居なくなっていて、ほの暗い青が僕達を包む。僕らの世界の終わりのように、それはゆっくりと確実に終わっていく。とめどない変化、止まらない変貌。僕達はまた、あまりに脆弱で危なっかしい世界を作り上げていく。
 夜が来るように。
 朝が始まるように。
 当たり前の変化。当然の形成。

「帰ろっか」

 突然言い出した彼女を振り返ると、涙のあとなんてさらさらなかった。

( そうして世界は変わっていくのだから )


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