「春だね」
「春だな」
「花が咲いてるねえ」
「そりゃあ、春だからな」
「良い匂いがするのよね」
「まあ、春だしな」
「つまり、そういうわけなのよ」
「どういうわけかさっぱりだ!」

 叫んでもにやりと微笑まれただけだった。
 この状況はなんだ、いろいろ間違っている。確かにそろそろ暖かくなってきて、そこ等では花咲いてきて、自分自身も、自然の摂理に添って良い匂いを備えてきている。
 だからどうした、と目線で訴えた。
 只今自分を押し倒しマウントポジションに着いているナキカミに向かって。

「だって、ザキ良い匂いするんだよ?」
「ザキ言うなって、何回言ったらわかるんだお前は」
「だって、アザミ良い匂いがするんだよ?」
「…………言い直さなくても…………、…………だから?」
「だからね、これでも虫ポケモンに分類されるボクとしては、―――つい、ムラムラしちゃうわけなのよ」
「はあ?!」

 もう一度、叫んだ。
 春。花の季節。確かにそろそろ暖かくなってきて、そこ等では花咲いてきて、自分自身も、自然の摂理に添って良い匂いを備えてきている。
 春だから。備えてきている、が、

「だからって俺に跨るな!」
「やだアザミってば跨るなんて。逆が良い?」
「何でそういう方向で話が進んでるんだ!とにかくどけ、すぐどけ、今どけ!」
「嫌」

 細腕をすっと伸ばして、ナキカミはアザミザキの眼鏡を取り上げた。驚いている間に、取り上げる隙も無く、ナキカミは其れを掛けて「わ、くらくらする」と遊んでいる。いいから返せ。それから退いてくれ、頼むから。
 花の匂いだかでテンションが高いのか何なのか、ナキカミの様子は常と違っていて、まるで―――彼女は笊だが―――酔っ払いのようだった。

「嫌って言ってるでしょ」
「嫌ったって……大体、女の子がこんなとこに乗るなよ」
「男女差別ー」
「いや男もそうホイホイ乗っちゃいかんと思うけど」

 乗りまくっている幼馴染を思い出して、溜息を吐く。というか本当に、其処から退いてくれないか。落ち着くわけ無いし、何より大した理由も無くとんでもないことをされそうな勢いだ。
 何が問題かって、こいつの眼が本気なところが問題なんだけど……。

「あー、………………その、毎年そうなのか?」
「うん、毎年我慢してた。ほらほら、ボクこの季節は君といないようにしているでしょ?」
「其の努力を今年も続けて欲しかった……」
「だって留守番頼まれちゃったし。仕方ないし。ボクも生理的なもんだから仕方ないし」
「俺の匂いも生理的なもんだから仕方ないんだけど」
「だから、ボクの欲情も生理的なんだよ、うん」

 「いや……だから」と溜息を吐く。欲情とか言わないでくれ、確かにお前に女の子らしい印象はあんまり無いが、だからといってそんな簡単にさらっとさっぱり……。

「ケチね」
「ケチとかいう問題か。万年発情期のコクショウにでも頼んだら如何だ?」
「あいつは病気。ハク限定。無理。人格的にも無理。第一ハク泣かせるのやだし」
「俺も泣きたい気持ちで一杯なんだが」
「ていうかさ、別に相手を探しているわけじゃなくって、君から良い匂いがするのが問題なのよね」
「…………頭痛くなってきた……」
「添い寝したら治るかも?」
「お前が退いたら治ると思うんだ」

 先ほどから意見の合致が全く無い。いやもうただでどけとは言わないから、頼むから、実行に移すのだけは止めてくれ。いや別にお前が嫌いとかそういう意味でなくて、やっぱりそう駄目だろ。そういう関係でもない男女が。非生産的だし。

「作れりゃいいの?」
「よくない。意味が無いって言ってるんだ!」
「だって春なんだよー?」
「お前の頭が春だ!」
「アザミも春のくせに」
「春だけど、春だけど! そうじゃなくて、お前いい加減にしろ!!」

 きつく言うと、ナキカミは笑うのを止めた。ふと真面目な顔になって眼鏡を外し、髪を掻き揚げた。ぱさりと帽子が落ちるが、彼女は拾うつもりは無いらく、放っておいたまま、掻き揚げた手をそのまま此方へ持ってくる。ゆっくりと動く其れを、あまり良くない視力の眼で追って、追えなくなったと思ったら頬を撫でられた。逆光もあってよく顔が見えない。

「……どけ、眼鏡も返せ」
「嫌」
「……何がしたいんだお前」
「何だと思う?」
「――ナキ、」
「まあいいや。…………何か話してるうちに萎えてきたし、我慢してあげる」

 ああ、今は本当に春で、俺もこいつも、頭を呑気な空と呑気な匂いと呑気な色に可笑しくされてしまったんだろう。過ごしやすい空とか、柔らかい匂いとか、鮮やかな色とかに。
 そんなことを言うお前も。
 そんなことを聞く俺も。
 何が我慢だよ。

「ああ、ずるい。アザミのそういう顔ずるい。いつも何かの所為にしてずるい。―――わかってるくせに」

 なんとでも言えばいい。
 何があっても俺の所為でもこいつの所為じゃないんだから。

( 君とボクだけのリアリティに欠けた、 )


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