「ああ、王泥喜君。今日一時頃に友人が来るので、其の時は珈琲を」
「あ、はい!……成歩堂さんですか?」
 牙琉霧人の法律事務所で助手を務めるようになって一ヶ月。漸く慣れてきて、師と仰ぐ霧人の仕事も差し支えなく手伝えるようになった頃。そう申し付けられて、法介はついそう訊いた。なんとなくそう思ったのだけだ。此処を結構な頻度で尋ねてくる霧人の親友の、元弁護士。今でも法曹界では伝説と謳われる人。相性のよくなさそうな二人は何がどうして、よく一緒にいる。というか、成歩堂龍一がよく訪ねてくるのだ。理由はさまざまだが、どうにも、たいした理由はないようだけれど。
 だからまたそうかなと思った。けれど、霧人は首を横に振る。「今日は女性ですよ」と微笑まれた。やけに爽やかに。
 霧人の友人。何人かには紹介もしてもらったけれど、女性の友人は初めてだ。女性が来る事が無い、というわけではないけれど。
(今度は、どんな人かな)
 興味を抱きつつも、どうせ逢えばわかるからと、質問したりはしなかった。聞いていれば驚愕は随分半減しただろうけれど、王泥喜は殊勝に仕事を続けた。


「牙琉霧人さんは?」
 だから、霧人に言われた時間からきっかり一時間過ぎた時、これでもかと驚いた。まさかこの人とは思わなかった。霧人の交友範囲が広いことは重々知っていたけれど、まさか。
 現れた女性は、首を少し傾けて固まった法介に疑問を示す。其の拍子に、一つにまとめられた黒髪が、ゆるりとゆれた。
「あら、いるじゃない。ちゃんと待っててよ」
「君が遅いんでしょう、
「そんなこと無いわよ。まだ昼過ぎで間違いないもの」
 来客の気配を感じたらしい霧人が応接間に現れると、彼女は法介から其方に意識を向ける。霧人の科白にからかいを含めた言葉を返して、くすくす笑った。少し子どもっぽい印象を受ける笑顔だと思う。その様子に見入っていると、視線に気づかれたのかまた目が合う。子どもっぽさが抜けて、涼やかなイメージが強くなる。
……さん」
「あらら、私のこと知ってるの?」
 黒い瞳が法介を映す。その瞳が明かりを反射してきらきらと光るように見えた。白いスーツをこれでもかという程華麗に着こなして自分を見る姿に、一瞬目を奪われる。
(知ってるも、何も……)
 といえば。牙琉霧人と並んでこの世代では有名な弁護士だ。法介が学生の頃、彼女が弁護士として名が通り始めた頃だ。学部の友人が行くというから、勿論勉強の為ではあったが、なんとなく選んだ序審法廷。其処にいた弁護士が、彼女だった。は特に美人ということもない、きれいでないわけではないけれど、取り立てるほどではない。普通の人。けれど、彼女の其処に居るさまは、法介の目を釘付けにしてしまった。何故だろう、とても、引かれたのだ。ものすごい引力で。それぐらい衝撃的だった。始まる其の前まで、飄々と笑っていた人が、途端に真っ直ぐ、声を放つ。真実を、射抜くように。
「ううーん、何処かで逢ったっけ?」
「法廷ではないですか?王泥喜君が、貴女の法廷を何度か傍聴したと聞きましたが」
 二人の会話で、ようやく法介は目の前に引き戻される。なんてことだ。その人が、目の前に今、居る。二度目のそれは、矢張り一度目と同じで、心臓に悪い。
「ああ、そっかそっか。何処かで見たことあると思った、其の赤いスーツ。君、あの時の子ね」
「お、覚えてくれてたんですか!」
「うん、声大きかったし」
(……それはいい記憶なのか?果たして)
 一番最近傍聴したの裁判で、法介はニアミスを犯した。いっそ成功だったのかもしれない。其の時にたまたま、通りすがりで終わってしまうところを、言葉を交わすぐらいまでは、進めたのだ。
(まあ、単にぶつかっただけだけど……)
「あんまり必死に謝るものだから、よく覚えてるよ」
 笑う表情は歳相応に見えない。けれどやけに似合う可愛らしい微笑みで、法介は自分の心臓が跳ね上がる音を、生まれて初めて聞いた気がした。顔に血が上っているのが自覚できる。えっと、これは、大丈夫なのか?オレ。
「初めまして――じゃないか、二度目まして。です」
「あ、オレ、王泥喜法介です!よろしくお願いします!」
 差し出された手はとても柔らかくて、少し冷たくて、如何握って良いのか解らないままに握手を終えてしまった。

( 不可思議引力 )


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