無用心にも開けっ放しのテラスから部屋に入る。勿論、音もなく。多少の音でも彼は起きないだろうけれど、用心に越したことは無い。
 見れば、彼はほんの少し丸まって眠っている。一人。彼を主人と慕うチーグルが居るが、主人と同じで起きる気配はまったくない。元々チーグルは夜は熟睡している魔物だ。心配するだけ無駄というものか。
 アッシュはやはり音もなく、彼に気づくことなく眠っているルークに近づいた。
 同じ顔、同じ髪、同じ体格。
 完全同位体だから。レプリカだから。そのように作られたから。
 だから、居場所を奪われた。
 憎いと思う。
 本当なら、殺してやりたい。
 けれど、そうしたところで何も変わらない。
 奪われた過去も、奪われている現在も。
 奪われたという事実も、奪ってしまったという真実も。
 奪われる前から抱いていた思いも、奪われる前からもっていた記憶も。
 何も、変わらない。
 如何足掻いた所で、彼は所詮七年前から生きているルークであり、自分もかつて自分がそうであった『ルーク』とは違う。
 彼は言った。
 自分達は違う存在だと。
 体験も記憶も違うのだからと。
 思考も思想も違うのだからと。

「…………」

 その時は、跳ね除けた主張だ。
 違うわけがない。
 自分達は、完全同位体。彼はレプリカ。自分は被験者。
 自分と同じように作られた彼が、違ってはいけない。
 そう、思っていたし、思っている。
 
 けれど、今更如何でもいいことだ。
 
 彼がなんと言おうと、また自分がなんと言おうと、今現在の問題は変わらない。また、其の問題も、彼の言い分も、じきに如何でも良くなる。
 彼が言ったけれど。
 代用品も代替品も。
 けれど、――― 代われるものならば
 彼に代わるとまではいかなくても
 一種の自己満足のようなカタチであっても、代われるのなら、自分は

「……」

 唇を寄せる。彼が少しだけ呻くが、起きる気配は皆無だった。小さな音をたてて、印を残す。
 其れが、端目にどういう意味の行為に映ろうとも、赤く残った其れは、自分にとってただの印にしか過ぎない。―――ただの、証だ。

 代用品ではないというなら。
 代替品ではないというなら。
 お前がお前であると、断言するのなら。

 ならば、これは、


「―――子供染みた、くだらない約束だ」


 七年間自分を苛ませてきた彼への、唯一であり精一杯の、復讐。
 それが果たされたとき、やっと自分は彼と真っ直ぐ向き合えるのだろう。

( 其の為の、印 )


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