情報室では、猿比古との二人が仕事をしていた。キー叩く音の紛れて、時折舌打ちと嘆息の音がする。二人だけの情報室において、それは、猿比古の耳にうるさく聞こえる程度には響いていた。
 深夜といっても過言でない時間である。
 いつもならそれなりに人のいる情報室は、がらんとしている。静かなのも悪くはないが、それがすなわち今日という日の裏側を表していて、逆に世間のお祭りぶりが露骨になった気分がして、猿比古は盛大な舌打ちをした。
「十七回目ですね」
 隣で報告書を製作しているがカウントしていた。猿比古の舌打ちの回数。猿比古にしてみれば世の中舌打ちしたいことだらけで、それはもう必然のようなもので、そんなカウントをしているすら舌打ちの対象である。だが、すぐ隣でそんなことをされていると思うと、さすがに重ねることはできずに口の中がもやりとした。
「……何数えてんだよ。大体アンタなんで此処にいるんすか」
 猿比古との立場は、上下を表すのに非常に面倒なそれである。は小隊の指揮を任されたかと思えば特務課として緊急招集もされるし、時々礼司にいわれてしょうもない雑務もする。一応、籍は特務にあるらしいのだが、仕事内容はプールされた中にいるらしい。猿比古にしてみればそのことはどうでもいいのだが、自分より立場が上なのか下なのか同等なのかさっぱりわからないに、口調がよく迷子になる。
「報告書書くだけなら同じでしょうって、淡島さんが」
 口うるさいあの上司を想って、猿比古は舌打ち代わりに溜息を吐いた。他人と仕事をするのは仕方ないのないことだが、よりにもよってこの女とは。極力関わらないようにしている反面、向こうは関わってくるから困る。ほっとけと何度言ったかわからない。だがこいつはそれを聞いちゃいないのだ。
(押しに強くって方針でもあんのかよ)
 少なくとも、礼司とはそういうところがよく似ていると思う。身内だかなんだか知らないが。
「伏見さん、甘いものは嫌いですか?」
「……、くそ甘くなければ」
 日付が変わって集中が切れてしまった。どちらでもないと言い切れば終われそうな会話を、多少広げられるように返事してしまったのは、そのせいだ。
「それはよかった」
 何がだよ。
「午前中ケーキ作ってたんだけど」
 仕事しろよ。
「周防さんと兄さんにあげたら余っちゃって」
 尊さんにあげたのかよ。
 なかなかの猛者、というよりも、能天気な女だと猿比古は思う。には緊張感とか緊迫感とか警戒心とか、そういう身を強張らせるべき事態に対する正しい反応がない。ネジが抜けているというか、そのシステムがない気がする。猿比古は他人にどう思われようがそれが哀れみでなければどうでもいいが、のその反応は珍しいを通り越して気持ちが悪かった。恐怖心のない生き物が自分の目の前にいる。それに対する感情を、猿比古は気持ち悪いと表現している。
(――だからだったのか?)あんなことをしたのは。
「なので、伏見さん食べてくださいね」
「は?」
 何処から出したのか、目の前に白いケーキがぽつんとあった。色の違うベリーが二つ、ぽつんと乗っている。ご丁寧に食器も準備済みだ。出したで、いそいそとコーヒーを淹れている。
「……」
 いや食べるなんて言ってねえよ。
 と思ったものの、口にするには萎えてしまった。反抗するのも面倒だ。上司も同僚もこんな人間ばかりである。それでも猿比古は自分の意志で此処を選んだし、自分の足で此処にきた。それなりに、決して口にすることはないがそれなりに――気に入ってる。ここは呼吸がし易い。
 気持ちが悪いと表現するに足る人間の隣も、やりづらくはあるが嫌ではない。クリスマスなんて祭りの日を、一緒に過ごす程度には。
 聞こえないように小さく舌打ちを一つ、ケーキを睨みつけその一部が気に食わなかった。キーから完全に手を離して、ケーキに伸ばす。食器を無視して、素手でケーキの上の一つを取り上げて、猿比古はそれを味わいもせず丸呑みした。
「あ、行儀よくないですよ」
 これでいいのだ。赤はもう、自分の中にあるそれだけでいい。
 の淹れた真っ黒なコーヒーで口の中をリセットして、言われた通り、食器を手にケーキを切り崩した。

( それはもう必要ないから )


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