冷たい五月の雨

  景気の悪い顔でトマトを品定めする。夕方のスーパーはピークを迎えて人でごった返しだ。おかげさまで誰に訝しがられることもなく、思いっきり溜息も吐けるものだ。きれいな色をしたトマトを買い物籠に置いて、カートを押して青果コーナーをぐるりと回った。他に食べたい野菜は見つからなかったから、まあこれでいいかと踏ん切りをつけて次に移動する。今日は別に、いつもみたいにあれこれ買わなくたっていいのだ。そう思いつつも、卵のパックとお漬物を籠に入れる。週末しか寄らないわたしたちのすみか――一日しかいないけれど、あれはすみか以外に呼びようがない――は、冷蔵庫を毎週からにして、買い足したものを持って帰るのが常となっている。だから、たった一日過ごすために、あれこれ買わなくてはいけない。それを楽しんでいたのは事実だろう。今更ながら、わたしは自分を理解し、妙に気恥ずかしくなって、誰も見ていないのにそそくさとレジに急いだ。
 使っているのが当たり前みたいになっているメッセージアプリが、ぴかぴか光ったのは放課後のことだった。いつもの軽い通知音に手を伸ばして、まあ、いつものすみかの話題なのだろうと画面を見た。そこにあった文字列はよほどわたしの顔を歪ませたらしく、たまたま居合わせたユニットのメンバーにどうかしたのかと聞かれたのだ。
「ん、ちょっとね」
「ふうん、いいけど」
 彼女はわたしの怪訝な顔をどう思ったのだろう。
「いつも週末は嬉しそうなくせに、ずいぶんひどい顔するんだね」
 へ、とおかしな声が出た気がしたけど、声にはなってなかったらしい。わたしの素っ頓狂な声が聞こえなかった彼女はいつもと変わらず、じゃあまた、来週ね、と言って手を振り去っていった。残されたのは、いつもと違って嬉しそうではわたしだ。いつもはしないのに、やたらと携帯電話をいじりながら歩いて先生に注意されたし、電車の中で何をしていたかよく思いだせないし、気がついたらいつものスーパーで籠をカートに乗せていたのだ。しかも自分でも驚いたのだが、いつのまにか自宅に戻って着替えまで済ませていた。平日は決して身に纏わないフレアスカートに着替えていたことに気がついたのは、スーパーに入って中の冷たすぎる空気が流れた時になってからだった。
 なんとなくコロッケが食べたくなって、惣菜コーナーに寄る。一つだけ購入。あとはさっき拾い上げたトマトがあればいい。流石に調味料の類は常備している。適当に何かかけて、適当にご飯を盛ればいいだろう。ふてくされていても、ミネラルウォーターのペットボトルを三本買うことは忘れなかった自分が自分でおかしかった。
 ふてくされてる。そうだふてくされている。こどもみたいに。わたしはあれきり光らない携帯電話を何度か見ては、その度に素っ気無くポケットに戻している。
 レジに並んでいる間に、脳裏にそのメッセージが浮ぶ。わたしの返事を向こうが読んだというマークがついたまま、更新されない画面を何度も見たせいだ。当然、わたしの返事の前には、わたしの顔をゆがめた文章が、そっけなく乗っているのだ。それを振り払うように、順番が回ってきたお会計を済ます。振り払ったところで、行く先はあのすみかなのだから、結局は顔を顰めざるを得ない。
 スーパーから程近いマンションの七階へ、オートロックの自動ドアを通りエレベーターのお世話になってたどり着く頃には、夕陽もすっかり沈んで、僅かながらそれにオレンジ色の名残を残すだけになっていた。とうとう、わたしはわたしたちのすみかへ一人で帰ってきてしまった。解っていたことがこんなにも心に響く。一人で開けたことはない鍵を回して、暗い部屋に入る。すぐに鍵を閉めた。締め切ってしまえば、あとはわたしだけの世界だ。
 買ったはいいものの、包丁を出すのも面倒になってとりあえずトマトは冷蔵庫に預けた。コロッケは、まあ、出したままで良いか。ひとまず、いつもよりずっと少ない量のお米を研ぐ。無関心な作業はどうしても回想を呼び起こして、自然と手が止まった。
 放課後、わたしと、あと二人で構成されたグループに投下されたメッセージは、fineのメンバーによるレッスンの延長だった。その後に追加された、ふたり分の「ごめん」は、とても小さく見えてしまった。
 当初から予想できていたことが、こんなにダメージになっているのも驚きだ。英智と渉が同じユニット、わたしは別。そこに予定の差異が出るのは当たり前で、更に言えばそのレッスンは、あのプロデューサーちゃんがついているとなれば、延長も当然だ。わたしだって、あの子がレッスンに参加するなら延長をお願いしたい。特にfineは外での大きな仕事が予定されているらしいから、尚更だ。夢ノ咲のアイドルとして考えれば、羨ましいことこの上ない。
 ただ、メンバーから「週末は嬉しそうだ」と評されるわたしとしては、寂しい話なのだろう。
 砥いだお米を炊飯器に任せて、ソファに身を投げ出した。普段なら柔和に注意もされそうだが、何分注意する人間がいない。深いグリーンのフレアスカートのことも気にせず足を伸ばす。渉はこの二人掛けのソファに三人でぎゅうぎゅう座るのがばかみたいに嬉しいくせに、わたしと英智だけでゆとりをもって座っていても幸せそうに笑うからずるい。でもきっと、わたしだって英智と渉が二人で座っていたら笑うだろう。そういう幸せのかたちをこのソファは具えている。それに一人で寝転がる無遠慮さと虚しさと言ったら、言葉にするのも億劫だ。寂しさの増す行為ばかりしているが、そもそも、この部屋でひとりで呼吸するだけで寂しいのだから、救い様がない。救えるものなら救ってほしい。それはけっして、わたし程度に救えるわたしではない。
 いつもなら適当に背景を任せているテレビに電源をいれれば、多少はマシな思考になるだろうに、わたしはそれをしたくないようだった。どんどんこの状況への思考が進む。ばかみたいに、終わりの見えた幸福を確認して、一人で寂しくしている。三人でいないとダメな部屋なのだ。ここは。一人用のマンションでもないし、そもそも三人でだってもてあまし気味の部屋だ。御曹司の残酷な幸福は、こんなところでもわたしを苛む。今ここはわたしたちのすみかなどではなく、冷たく愚かな空虚にすぎない。
「……」
 何かを声に出そうとして、思いのほか喉が詰まった。悔しくなって立ち上がる。どうにもできないことを悩むのはめんどうだったからだ。ぎゅうぎゅうと、おそらく嗚咽のようなものを詰め込んだ喉からどうにか音がでる。「おなかすいた」そんなことでよかった。
 暗い部屋に明かりをつけて、住み慣れた、週末のすみかを再確認する。わたしだけしかいない部屋。それをわたしのちからではどうしようもないこと。見切りをつければ、切り分けるだけだ。そもそもここにくることすら必要ではなかったかもしれない、買ったものを持って帰ってもよかったが、炊飯器に任せた白米だけは勿体無くって、結局夕飯の準備を始める。買ってきたコロッケをトースターに突っ込んで、温め直す。これまた買ってきたトマトを適当に切って、皿に持ってドレッシングをかける。ご飯の炊ける匂いと音がして、できあがり。いただきます。ごちそうさま。それだけの夕飯。当たり前の喪失を、早々に出迎えてしまったわたしの、空になった部屋。
 きっとわたしは、幸福が一週間しか持続しないのだ。
 あるいは、一週間、幸福を得なければ息苦しいのだ。
 すっかりそういう身体に作りかえられたのだろう。英智の言うままごとを、渉もわたしも、真剣に遊んで、真剣に幸福がった。一月でそれが当たり前になって、枯渇するとこうも孤独を感じるようになった。ひとりが怖いなどと言うほど素直ではないが、ここにひとりでいることは、ただただ、悲しかった。
 無心で片付けを終えて、またも例のソファに体を預ける。反発がちょうどよくここちいい。ひとりでも、幸福は存在する。それが物足りないわたしが、あまりにわがままだ。
 外は真っ暗になっている。彼らがいつここにくるのか、そもそもここにくることも、わからなかった。わたしは幸福を感じている割に、妙に彼らを信じきれない。それはひとえに、わたしたちが三者三様に、言っていないことが多いからだろう。そんなことを考えて、人肌が恋しくなった。肌を合わせていれば、そんな不毛な孤独を考えなくて言いのだから。先週キスされたところが寂しがっている。縋りつく背中がない腕が恋しがっている。絡める相手のいない指が悲しんでいる。合わせる体温のない肌が焦がれている。自分以外のいない部屋で、わたしは彷徨っている。
 五月とは思えないぐらい冷えきった部屋が、涙と引換えにわたしを眠りに誘い込むのは、きっと慈悲だったのだろう。