good SWEET night

 少ない間接照明に照らされたラウンジに、一人の男がいる。本来ならば訪れられようもないそこに、彼女が訪れるのは二度目だった。以前と違い、カウンターの内側に明け方の夜空の色をした髪の男がいるだけ。彼は彼女を姿を認めると、一瞬歳相応のきょとんとした顔を見せてから、柔和な笑みを作る。いらっしゃいませ、なんて言うから、本当にお店でもやっているようだとは思った。促されるままスツールに腰掛ける。
「今日は、紫電だけなんだね」
「こんな時間に起きているのは、悪い子だけですから」
 貴方は悪いひとなの、とは聞かないほうがよさそうだ。誰にだって眠れない夜もある。レイやゼロ達の中で、一際違う性質を見せる紫電のゼロ。もしかしたら、レイが考えないようなことを考えていたりするのかもしれない。全てはの憶測に過ぎない。ただ微笑みを浮かべて応対する彼の、邪魔にならなければいいなと思う。
様こそ。夢の中といっても、夜遊びはよくありません」
 レイはとっくの前にここに降りてきて、すでにもっと深い眠りについた。彼の内側で行われる、彼と彼らのささやかな時間。それはレイの心の整理だろうか。複雑さを好まないが、目を背けるわけでもない彼の、心を解くような遊び。満たされるための会合。そんなことを考えたところで、結局はわからずじまいで、それがまた、今度は紫電のゼロという人格に隙間をつくる。それを上手に整頓する方法を知っている点で、矢張りこれはレイの心の整理なのだろう。
「わたし、邪魔じゃないかな」
「……何故?」
「皆寝ているのに、紫電は起きているのでしょう? 何か理由があるんじゃないかなって」
「わたくしが悪い子かもしれませんよ」
「でも、レイだもの」
 その自信はなんなのだろう。普段現実で、レイとして知る彼女は、もっと自信なさげで控えめだ。夢の中だと割り切れているからだろうか。こちらとしては、この精神の会合も現実だ。無論レイに通されることはないけれど、いや、だからかもしれない。今ここは、レイの精神と、彼女の精神と、ちょうど混ざり合う点。だからこそ、互いに主張も出来るし、受け入れも出来る。ゆるく首を傾げるに、ほんの少し、肩から力が抜ける。これも、心の交合だ。レイの追いつかない整理を行う場所で、他人相手に行われる行為。そのなんとも言葉にできない感覚。
「…………、あ、あの、なにか、飲みたい、な」
 押し黙ってしまった紫電に耐え切れなくなって、話題を変える。そういえば、いらっしゃいませなんて迎えておきながら、何も出してなかった。少々お待ちください、時間を頂く旨に了承してもらい、その間話題はに戻る。
「わたし、なんできちゃったんだろう」
「アルティメットに反応は、ないようですね。お姿もいつもの様ですし」
「うん、今デッキも、持ってないの。ただちょっと寝つきが悪くて……それだけだったんだけど」
 以前の来訪は、アルティメットの力によるものだった。の持つ白のアルティメットが、彼女の意思に添う形で、ここに導いた。けれど今日は、彼女はひとり、気がついたらラウンジの中にいた。前回と違い、随分と直接的な登場だ。だから彼女は、これはますます夢なのかもしれないと疑問を持っている。目を覚ますと霧散するだけの時間なのかもしれない。そうだとしたら、さみしいな。は言う。レイのなかの一つの人格との会合を、は惜しむ。それをどう思うかは、紫電の心の中のみに留められることだ。ささやかな秘密だろうか。
「……、おまたせいたしました」
 紫電が笑顔で差し出したものを見て、わ、とが声をあげる。赤のかわらしいマグカップに、溶けかけのマシュマロが浮いている。ふわりと湯気ともに香るのは、ココアの匂い。しっとりとしたラウンジの中では、あまり似つかわしくないかもしれない。
「甘いもの、お好きでしたでしょう?」
 以前、そんな話をレイとしたことをは思い出す。話の主旨はそこではなかった。些細な、端っこで行われた吐露だ。それを拾っていたのかと驚く。あまりに小さなことだから、話したことすらは忘れていたのに。赤いマグカップに手を伸ばす。さわり心地のいい陶器が、いつも冷たいの手をじわりと暖める。ソーサーの上に乗っていたスプーンで溶けたマシュマロを崩して、熱いココアと一緒に頂く。おいしい。甘みと温度が染み渡る。
「お気に召したようで何よりでございます。ご用意した甲斐がありました」
「前は、ココアなかったよね」
「ええ。まあ、ここはこういうところですから。ひっくり返せばどこからか出てきます」
「お腹壊したりしないかな……」
「ここはこういうところですから」
 笑みを深めて繰り返せば、素直に頷いてもうひとくち。ホットココアの上に、マシュマロ、さらにその上に削ったチョコレートまであるのだから、甘党のが満足するのも当然だ。用意しておいて正解だった。そういえば、用意しようとしたときの紫電は、の来訪を予感していたのだろうか。自分で自分に疑問が浮かんで、すぐ解答が出た。なるほど、会いたかったのは、わたくしの方かもしれません。心の暴露に近いことを行える相手がほしかったのだ。ひとりでいるにはどうにも寂しくて、それで呼びつけてしまった。一度はアルティメットの力で寄った心だ、道筋がわかっていれば、繋がることは容易いのかもしれない。結局憶測に過ぎないけれど、それにいては紫電の心はするりと解けて穏やかだった。少なくとも、自分が望んでいたことが何なのかはわかった。
「ぐっすり眠れそうですか?」
「うん。ありがとう」
 マグカップが空になった頃、既には眠たげだった。あくびをされてしまうと、つられて紫電も眠気を覚える。しかして彼女の意識をあるべき場所に戻さなくてはならないのだから、どうしたものかとあくびを噛み殺しながら考える。マグカップを下げて目を戻せば、はカウンターを頼って眠っていた。ずるいですねえ、わたくしもぐっすりいきたいものです。
「……、ふむ。持って帰って抱いて寝れば、眠れるでしょうか」
 眠気を誘ったのはなのだから。を呼び寄せたのは紫電であって、だとすれば自分が満足すれば彼女はすんなり戻れるのではないだろうか。
 案外間違っていなさそうな推測をしながら、紫電はの髪を一房手に取り口付けた。