カタン。軽い音で蓋を締めては眉を潜めた。一通り見て見たものの、大した異常は見られない。何故これが自分の下にやってきたのか不思議である。ただの骨董品だったか、掴まされたか。それにしても押し付けられるように巡ってきたその箱が、「曰くつき」でないとは思えない。
(うーん……)
 の両の手のひらでは少し足りない程度の大きさの箱は、特に異質な感はない。矢張り箱に特殊なあれこれはないようだ。ならば、その中身が問題となる。入っていたのは白い石のペンダント。こちらの方に何かあるのか。しかしこちらも視たところ普通でない点は感じられない。
 は目がいい。悪魔として大した力は持っていないが、ものを視る力がある。だから、こんな曰くつきのものを調べたり品として扱ったりするのを生業にしている。このあたりは悪魔その他諸々が寄り付きやすい性質の土地であるおかげで、どこかの悪魔狩人と違って余裕のある生活ができる。そのどこかの誰かさんは、にそれなりの借金があるわけだが。
「明日でいいかな」
 時計が真上を指してからそれなりに時間が経っている。急ぎの仕事があるわけでもなし、ましてや大した理由もなく流れてきた品だ。焦って調べることもないだろう。
「……?」
 箱にペンダントを仕舞おうと、手を伸ばした時だった。は目線を上げて部屋の一点を見る。真夜中の、一人で暮らすには大きな家には以外誰もいない。悪魔であるに、友人と呼べるような相手はいない。こんな時間に訪ねて来そうな相手は思いつかないわけではないが、矢張りそれとは違う訪問者の感覚に襲われた。
(なに? 誰かいる、ような気がする)
 それは本当に「気がする」程度の感覚で、実際広いリビングの其の一点には誰もいない。けれど、誰かいる。曖昧な感覚であるのに、の中でそれは確信であった。
 更にが違和感を覚えるのは、其の気配が人間のそれであることだ。悪魔その他諸々と、人間では感じ取れる気配が違う。けれど、そこにあるのは人間のように感じられる。見えないのに、誰もいないのに、である。奇妙なことこの上ない。普通の人間が、こんな夜中に姿も見せず他人の家にいるものか。
「誰か、いるの?」
 はソファから立ち上がり、その一点に一歩近づく。大して怯えてはいない。正体が解らないとはいえ、自分の家の範囲だ。商売柄、どうにかできる様に対応策はできている。それに、敵意が感じられない。どんな悪魔にも敵意悪意害意があるが、その気配にそれは感じられなかった。は自分の目にだけは自信がある。目を凝らして感じられる情報は、そこに存在があるということのみであった。
 もう一歩近づくと、気配の方から一歩近づいた。距離が近づいたからか、存在が明確になったのか、見えないそれに形ができたような気がする。大きな水の塊のような、見えないけれど視界に捉えられる存在になった。まだはっきりとは解らないそれに、はいつの間にか距離を詰められていて、手を伸ばせば届くほどの距離となっていた。
(ざわざわする。いやな感じじゃないけど、なんだか不安になる)
 読み取れる情報が徐々に増えていることは解るが、どうにも不安定だ。外郭を、内面を、性質を欠いているかのようなバランスの取れない存在。
 は堪えきれず手を伸ばした。お人よしだと言われ続けているから仕方ない。放っておけないのだ。その手が触れたとき、ぐらりと重みが襲い掛かった。触れたことで漸く明確になったらしいそれは、見えないだけで形や重みがある。いや、もううっすらと見え始めていた。
「わ、っとと」
 そのことに気づくと、それは薄く光って、確りとした形を成した。認識できた途端に尚更重みが増して、はそれごとソファに座り込む。
「……やっぱり」
 それは――見たところ人の形を成している。成人男性の形だ。の肩に寄りかかる顔は端正で、髪と同じ銀色の睫毛が、薄明かりの中でも綺麗に見える。固く閉じられた其れはどうやら開けられそうにない。まじまじと顔を見て、誰かに似てると思いついてから、なんとなく気恥ずかしくなって顔を背けた。  抱き抱えたまま観察してみるが、体に異常はないようで、しかし問題は別にあった。
(どうしよう、このままじゃいけない。けど)
 今すぐどうにかしなければならない問題だ。でなければ彼は死んでしまうどころの騒ぎではない。あまりにも、繋がりが弱すぎる。早急に、迅速に、対応しなければならない。
(う、でも、それはちょっと抵抗が……)
 対応の仕方として思いつく方法はいくつかあるが、今この場で可能な手段はたった一つだ。その一つはあまりにも強引で、あまりにも一方的過ぎる。としては採用したくない方法で、更に言えば彼の為にもならないだろう。
「う、」
「……」
 小さく彼が呻く。呼吸が浅い。当然だ。今にも粉々に砕け散りそうなのだから。其の顔を見ていると、誰に似ているのかようやく思い出して、ますます人事ではいられなくなった。
(うう、仕方ない。仕方ない――ううん、やるしかない。死なれるよりも、憎まれる方がよっぽどいい)
 意を決して、彼に向き直る。どうにかこうにか、上半身を抱き抱える形にする。そこで深呼吸をしてから、は口内を噛む。じわり。血の味。それを確認すると、彼の顔に近づく。
(許してなんて言わないけど、でも、ごめんなさい……!)
 薄く開いた彼の唇に、自らのそれをそっとあわせた。

( 偽善だと笑ってくれれば良いのだけれど )


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