「ん、なに?どっか変?」
「あ、いや。……すまない」
 女性をまじまじ眺めるなどと失礼な真似をしてしまった自分を恥じる。は納得できないと言う顔で怜侍を見てきた。当然の表情だ。初めて二人で食事をするというのに、早々に失敗したな、と思う。
 幼馴染みとはいえ、交流を持ったのは本当に最近のことだから、そこまで無礼をするわけにはいかない。怜侍は怜侍なりの理由をもっていたけれど、矢張り彼女も彼女なりの理由をもっていたから、には相当怒られたし、金輪際怒られたくないぐらいには困らされた。その埋め合わせというわけでもないけれど、どうせならに気分よくいてもらいたいのは本当だ。
「気になるなら言ってよ。私が気になるから」
 しかし既に手遅れだったようだ。は遠慮なく食い下がる。もしかしたら、ブランクともいえるその期間や再会から和解にいたるまでのいざこざは、彼女にとっては既に関係のないものだったのかもしれない。怜侍としても、在り難いことだ。何をあんなに拒絶していたのだろう。今となっては、こんなにかけがえの無いものであるのに。
「白ではないのだな」
 だから、結局根負けして答えた。はきょとんとした顔を見せて、そのまま自身の着るワンピースを示す。店の雰囲気に合わせたらしいシックな其れは、彼女が好きだと言っていた色とはかけ離れていた。
「私、白が好きって言ったことあったっけ?」
「違うのか?」
 正解だけど、とふるふると首を振り、不思議そうな顔をする。あの頃と違って、ふっくらとした頬も大人しげな眉もなく、軽く化粧が施され瞳にもキリリとした印象がある顔が、疑問を浮かべる時には昔の面影を強く宿す。懐かしさと同時に閃くものがあって、ああこのことかと納得し、怜侍は軽く笑みを浮かべた。そうだ、これだ。記憶を呼び起こされる感覚が、こそばゆい。
「聞いたことは私の記憶にもない。しかし、私の知る限りにおいて、君は法廷では白のスーツを着ているな」
「まあ、そうだけど。……、えっそれだけ?」
「まさか」
 得意げな笑みで怜侍は答える。は疑問でいっぱいだ。大体、怜侍はのことを忘れていたのかなんなのか、とにかく認識しようとしなかった奴だ。そんな彼が自分をそう観察しているとは思えなかった。こうして交流が再会されても、その評価は未だ揺るぎようがない。これから先には、期待している。だから、は怜侍がどうして自分にそんな判断をしたのか、気になって仕方ない。美味しいご飯も喉を通らないぐらいには。
「と言っても大した理由ではない。最初はただの直感だった。君がコートを脱いだ時、違和感があった」
「……ふむ」
「何がどうかとはすぐにはわからなかったが――君の不思議そうな顔を見てわかったよ」
「白じゃないから?」
「そう。……君は昔よく着ていたな、白のワンピースを」
「――」
 昔の話だ。忘れてしまうような日常のこと。忘れてしまうような些細なこと。
「成歩堂に汚されて、泣いていたな」
 原因までは流石に忘れてしまった。けれど、それが龍一にあったことは覚えている。何かしらの理由で汚されてしまった真っ白でなくなったワンピースに、はわんわんと泣いていた。宥めるのに非常に苦労したから、そこに印象が集中している。ぐちゃぐちゃに仕舞いこんでしまって絡まっていると思っていた毛糸の塊のような記憶は、転がしてみるとなんのことはなく、するすると思い出を並べていく。ただ、怜侍が転がしてみようとも思わなかっただけだ。
「……怜侍くんが言わなかったら、気づかなかったね」
 少し目を伏せては言う。汚れてしまったことに、あの時は全く気づいてなかった。怜侍が指摘したときの、きょとんとした顔。それが先ほど彼女が見せた表情とまるで同じだったから、怜侍は違和感に気づけた。今も昔も、変わらない表情。
「全然覚えてないと思ってた」
「思い出そうともしなかっただけだ。……もっと悪いな」
「そうだね。もっっっっっっと性質が悪いわ。私が振り返りすぎな分を差し引いても悪いわ」
 にとっては風化しないように大事に大事に見つめ続けた思い出だったから、明確に鮮明に残っている。そんなにとって、全く思い出さなかったという怜侍の言はつらい。そこに差があるのは当たり前で、怜侍にとってそうでなかったのだろうという想像は以前から出来ていて覚悟もあったけれど、寂しくなるのは止められない。自分と彼の世界が違うのは、当然のことだ。
「私にとっても、大切なものだ」
「そっか……、嬉しいな」
 やだな、また泣いちゃうかも。なんて涙目で冗談を言う。怜侍はそれに笑って、ではまた宥めなければな、と皮肉めいて溜息をついた。過度な回り道をしたけれど、世界は少しずつ重なり合っていく。それは幸せな接近だ。
「あのね、」
「なんだろうか」
 回ってくるのにかかった時間を埋めるを、無理に埋める必要はない。必要なのは、貼っていた意地を取り払うくらいだろうか。
「また、怜侍って呼んでいいかな」
「勿論だ。
 だから、そこから始めればいい。

( きみとぼくのせかいに )


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