果てしてこれは本当に自分の兄か、とは頭をひねった。の兄といえば、特筆していいところというものがなく、運動も普通、勉強もと同程度にそこそこ。強いて言えば健康とお人好しなところがあるのだが、風邪をひけば必ず悪いことが起きるし、お人好しも高じると損をする。とにかくまあ、妹のから見れば、成歩堂龍一はどうほめて良いのかわからない人間なのだ。頭とんがってるし。
 だからこそ、今こんなに鋭気に溢れている龍一を見るのは新鮮だ。本屋に付き合ってくれなんて珍しいことを言ったかと思えば、近場で一番大きな本屋に連れてこられた。何階建てかははあまり寄り付かないので把握していないが、とにかく高い建物。理路整然そのもののような店内で、龍一は、行ったことなんて一度もない法律書の棚へ――案内板を確認してから――一直線だった。自分たちの傍にあるはずなのに全く意識せずに素通りする、法律。それを学ぶ為の深める為の本棚に突然直行し出した兄に、は物理的にも心理的にも置いてけぼりだった。
「龍一」
「なに」
 返ってきた言葉はシンプルだ。それほどこちらに意識を向けられないらしく、本棚に一生懸命だった。妹様をこの扱いかい、とか言ってやりたいが、そうもいかない雰囲気なので、黙ってついていく。専門書のコーナーというのは、往々にして別時空だと思う。意味が解らない。日本語で書かれている表題だけでさっぱりなのだ。きっと中身には宇宙が詰まっているに違いない。字が追えないような銀河が。目が滑るようなブラックホールが。
 専門書が並ぶ棚を数メートル歩いて、分厚い本が並びだす。六法六法、そして六法だ。民法だけのちょっと参考書というか解説書の雰囲気があるものや、勉強するのに十分なものだけ集めた比較的小さなものまで、選り取り見取り。としては全くお世話になりたくない、頭の痛くなるような光景だ。なんでまた、こんなものを。ふと隣の兄を見ると、とは違って真剣な眼差しで、目を見張るものがあった。
「法律家にでも、なるの?」
「……弁護士に、なる。絶対」
(……本当、誰だよこいつ)
 は生まれてからずっとこの男を、両親よりも近くから見ているが、こんな兄を見たことがなかった。受験勉強だってこんなにシリアスな顔はしていなかったと思う。新鮮さを感じるよりむしろ、違和感を覚えるほどだ。
「ねえ――」
「ん?」
 一体全体どうしたの、と言葉を続けようと、声をかければ、先ほどと違い振り向かれた。その顔と言ったら、生まれてこの方ずっとこの男の妹をしているというのに、先ほども形容したとおり、本当に見たことの無い――
「ううん、なんでもない」
「なんだよ」
「なんでもないの。ほら、どーせならこれにしなよ、一番でっかい六法全書」
「えっおいそれはいくらなんでも」
「絶対なるって言ったの龍一でしょ。やれるやれる出来る出来る。やれば出来る子」
 慌てて制止に入る兄の言葉を無視して、は人を撲殺できそうな本を取り出す。なんだこれめちゃくちゃ重い。あんまりにも重かったので、すぐに隣の兄に渡すと、心の準備が出来てなかったらしく急にこんな重いものを乗せられた兄の腕ががくんと落ちた。
「あはは、がんばれがんばれ!」
「あのな、……。もっと、こう、順序ってもんがあると僕は思うぞ」
「そんなことないよ!どうせならこれぐらいでかいほうがいいって!大は小を兼ねる兼ねる兼ねまくる!」
「兼ねまくるって……」
「そんな顔しないしない!」
 渋い顔をして非難する兄を笑ってやった。先程とは違う情けない顔は兄らしいそれだ。けれど、垣間見えたあの顔は、褒め言葉を捜さないと形容できなかったから、分厚い六法全書で応援してあげようとは思ったのだ。あんなに頑張っている姿を見るのは、気分がいい。頑張りすぎてぶっ倒れそうな気がするけれど、そこには気をつけておこう。
「ほらほら、弁護士になるんでしょ。頑張れ頑張れ」
 渡した六法全書をぺちんと叩く。唸るほど重たいそれは、買ってあげるには未成年には厳しい価格だったので、ただ渡しただけにしておいた。

( がんばれおにいちゃん! )