「絶対駄目です!あの人に近づかないで下さい、検事!」

 可愛い顔しているのにもったいない。と場違いなことを思うぐらいに、怖い顔で睨まれた。……かりんとうくらうよりは、いいとは思ったけれど。
 僕だって、どうしてそうひきこまれているのかわからないんだから、そういわれても困る。
 そして、いつどういうタイミングで、当人に逢うかもわからないのだから、仕方ないだろう?










「えーっと、ああ、そうそう。がりゅうくんだ。紫色の。検事の。牙琉響也くん。牙琉霧人の弟くん」

 其の一行に、彼女が僕に関して知っている全部の情報が入っている気がして、そこはかとなく切なくなる。
 忘れられていた。途中でカラーリングの注釈が入るぐらいには忘れられていた。そこはかとなく哀しくなる。でも普通に考えたら、彼女が僕のことを覚えてる事っていうのは、結構な記憶力だ。さすが弁護士。

「こんにちわ、さん」
「相変わらずの営業スマイル、こんにちわ、弟くん」

 ていうかその呼び方、やめてほしい。
 軽い挨拶を交わして、僕は一歩彼女に近づく。検事局にいるなんて、と思ったけれど、僕はそんなに彼女のことを知ってるわけでは無いので、そんな感想も変だと思った。
 まあ、多分、上の方に知人が居るという話だから、その人にでも用があったんだろうけど。
 ……そこはかとなく、むなしい。
 僕は自分でいうのもアレだけれど、顔よし頭よし器量よし将来有望な男である。天才検事と言われることだって少なく無い。そんな牙琉響也相手に、彼女はさも当然のように、年下の男の子ぐらいにしかみてない。女の子に好かれる立場である僕にしては、少々、いや、かなり、ものすごく、気に食わない。
 たった一度、法廷でやりあっただけの弁護士相手に、何を思ってるんだろう、とは思うけれど。

「あ、そうだ。弟くん」

 私、道覚えるの、苦手なのよね。
 そう笑う顔には、反省の色とかそういう殊勝なものは全く無くふてぶてしくて。何処かのなんでも事務所のニット帽の男を思い出す。それもまた、彼女に関係するところなのだから、気に食わない。
 なんでも、うっかりトイレに行ってすっかり帰り道が解らないのだそうだ。

「なんでこんなところに居るのかと思ったら、迷っていたのかい?」
「まあ、平たく言えば、ね。だって、こことっても広いのよ?役所の何倍だよって話。今何階かもあんまりわからない」
「……エレベータで降りれば、一気に一階だったと思うんだけどなあ」

 ちなみに此処は七階。

「いやあ、つい、癖で」

 どういう癖なのか追求したい。

「まあまあ細かい事気にしないで。さあ、道案内道案内」

 階段で降りてきたらしい彼女は、片側に纏めた長い黒髪を揺らして笑うから、僕はどうしようもなくなって、(どうにもあのニット帽に逆らえていないおデコくんを思い出しつつ)道案内することにした。
 隣の彼女はやけに機嫌が良くて、どうしたのかと問えば、「ちょっとね」とはぐらかされた。まあ僕如き顔見知りがそんなプライベートに突っ込んでも失礼なので、そのまま引っ込む。

 正直なところ。
 とても、聞きたい。

 僕は顔見知り程度で、それは当然なのだけれど、彼女に関して其れを由としたくない自分がいるのも事実だ。たった一回、弁護席と検事席で向かい合っただけのこの一介の弁護士に対し、どうしてそうまで固執しているのか。だいたい世の中女性というものは肉体的精神的問う必要も無くおそらく人類の半分はいて、その一部とは言え、多くの女の子が僕を見ていてくれるというのに、何故この人なのだろうか。年齢なんて関係ないといえるぐらいにはフェミニストだが、彼女は僕より九つも上で、僕に全く興味を示していない。何故この人にこだわるのか、自分が理解できない。
 とにかく、彼女をことを知りたがっている。いろいろ調べてみたりもした。そこまでするくせに、どうした事か、不要な事に苦手意識も一人前だ。
 このひとは、とてつもなくやりづらい種の人間だ。

「そういえば」

 エレベータに乗り込んで、丁度二階分だけ降りたところで、
 隣から、声がかかった。

「やめるんですってね。ガリューウエーブ」
「ああ……」
「理由、聞いても?」
「勿論、おねえさま」
「ちょっと、私もう三十三よ、むしろ皮肉に聞こえるわ」

 そこんとこ微妙な年齢なんだから。
 突っ込まれてしまった。

「検事の方を優先しようと思ってね」
「ロッキーとの法廷がそんなに影響力あったの?」

 ロッキーって……、王泥喜法介、だよな。

「まあ、そんなところ、かな」
「ふーん」
「どうしてまた、そんなこときいたんだい?」
「いや、なんか勿体無いなって」

 同時に機械的な音がして、目の前の厚い扉が開く。
 すっと、彼女は僕より先に進み、一足先に密閉空間からの脱出を果たす。
 髪を揺らしてくるりと振り向いて、


「とってもいい声してるのに、「異議あり」だけじゃ、勿体無いわ」


 微笑んだ。
 上辺だけとか、愛想とかではなく。
 心からそう思ってくれているような。

 恥かしい話ではあるが、僕は其の時、見惚れてしまった。

 危うくエレベータに攫われるところだった。

( らしくないことばかりしている )


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