彼を初めて見たのは、図書館だった。
 私達の通う小学校というのは、これがまた相当なちっぽけさに笑えてくるほどちっぽけで、図書室というの部屋は読書好きには無用のものだった。クラスに大抵一人はいる読書好きの類の人間は、おおよそ何倍かのスケールを持つ図書館に行くものだった。
 私もその一人で、御剣怜侍も、その一人だった。








 陽光の暖かさに足を伸ばし、は隣を歩いていた御剣を追い越した。抜かれた方は少しだけ目線をに向けて、振り向いたを促す。

「みったんさ」
「なんだろうか」
「初めて逢った時とか、覚えてる?」
「突然なんだ」

 その返答をは笑って流し、「いいからいいから」、と御剣の思考を促す。御剣は考え込み出して、としてはちょっとだけ不満だった。考え込まんとわからんのか、と言いたげな目線で見詰めるが、見詰められる方はそれに気づくことなく思考し続ける。
 再会、というにはまた微妙な其れを思うと、仕方の無いことかもしれない。御剣はのことを、成歩堂を介するまですっかりさっぱりきれいに忘れ去っていて、きちんと会ったら会ったで、「随分……、いや、七百二十度ぐらい変わった」と評した。もしかしたら、忘れていたのではなくて、美化されていたのかもしれない、とは思う。それならばそれで、記憶にはあるのでは、焼きついているのでは、との希望はある。

「……、例の学級裁判の後、成歩堂経由だっただろう」
「ぶー」

 あっという間に砕かれたしょうもない希望に、が不正解な音を出すと、御剣は驚いた表情を見せる。こっちがびっくりだバカ。お前私のことこれっぽっちも覚えてないじゃないか。ずっと覚えてた私に失礼だ、謝れ。
 その旨を伝えると、素直に謝ってきた。当たり前だと、は鼻を鳴らした。


 ――― 自分で言うのもあれなのだけど、私はそのまま本の虫というやつで、隙あらば授業中にだって本を読んでいた。取り上げられた事も少なくない。流石に小学校も三年にあがった頃は学習し、こっそり読むようにはしてた。まあそんな感じで、私は図書館に通っていたわけだ。既に仲の良かった成歩堂に引っ張られなかった時は、だけど。
 いくらしょぼい小学校しか抱えられない地域といっても、図書館まではしょぼくはなかった。子供の眼で見てるから、きっと過剰な部分もあるんだろうけど、それはそれは、大きかった。
 小学三年生、九歳の春休み、丁度、今日みたいな春晴れの日。
 私は其処で、御剣怜侍を見たのだった。
 やたら重たそうな本を持ってずっこけた御剣怜侍を。


「……、これは本当の話か?」
「あったのよこれが。証拠は無いけど。脚立から降りるのにバランス崩して、本ともどもべしゃっと」
「……」

 渋い顔をして、御剣はの話を疑った。にしてみれば、何処にも脚色なんかしていない真実だ。胸を張ってそう言うと、御剣の顔はほんのりと赤くなって、面白い、とのかなりひねくれた根性が反応した。


 其の時私は固まってしまった。目の前で、ずっこけられたら、それはもう、そうなるのが運命だといっていいほどだろう。数秒固まってから、ようやっと動き出したときに、ずっこけた本人も動き出した。とにかく心配だったので、私は走りよりとりあえず、大丈夫か、と聞いて見た、時。
 ぶっすり、と。
 画鋲が、彼の脹脛の裏に刺さっていた。
 痛い。絶対、痛い。

 ――― ……。
 ――― ……。

 彼も私も、状況の把握が出来ないで、其の画鋲をじっとみつめてまた固まった。其の所為か、やけに冷静になったもので、互いに九歳というのに、慌てず冷静に、いやになるほど冷静に、それの処置をした。私は(よく思い出せないんだけど)持っていた絆創膏をぺたりと貼ってやった。


「いやあ、可愛かったよ。遠慮がちに恥かしそうに目線を逸らしたまま、「有難う」って言う君は」
「――」
「……すっかり忘れられてるのは、ちょっと哀しいなー」
「ム……仕方ないだろう、その、なんだ」
「仕方ない理由がないじゃないのよ」

 が大仰に溜息を吐くと、隣の顔が尚更申し訳なさそうに歪んだ。それが面白くて笑うと、また眉間に皺が増えた。終わらない連鎖だ。

「如何してまたそんな話を……」
「んー、そうだなあ……」

 いつの間にか止まっていた足を、ゆっくりと歩き出す。仄かに香る花の匂いが心地好くて、鼻歌でも唄い出しそうなに、御剣は先を促す事もせず、ただただ見詰める。

「まあ、春だからだよ、うん」
「なんだその理由は」

 待ってやったのに、其れが返答か。
 御剣がまた顔をしかめて、は流石に、けれど飄々とした仕草で、取り繕うように謝った。溜息を聞いてから、彼の隣に戻る。
 遊歩道にかかる日差しは柔らかくて、くすぐったかったから、は笑っといた。

( spring breeze )


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