冬は寒いなんて当たり前のこと。寒くて冷たくて何処か寂しい。
 そんなのが、当たり前。
 けれどなんだか暖かいのは、其の手を繋いでいたからなんでしょう。








「うわあ……最っ悪」

 午後から降り出した雨は、が電車を降りても止まなかった。電車移動のペーパードライバーなが自動車なんて持っているわけもなく、急いでいたから傘だって持っていない。しかも寒い。冬の雨は厄介だ。ただでさえ寒いのに、どうしても避けられない雨水が体を冷やす。これなら雪の方が許せる、多分。
 仕方ないから駅の売店へ向かう。いつもならこんなに必要ないんじゃないか、と思うぐらいあるビニール傘も、今日に限っては最後の一本。誰も突然の雨に同じことを考えるものね、とが其の一本を購入直後。

「あ」

 と、小さな声がした。
 こんな雑踏の中で、それぐらいの声なんていくらでもあるだろうに、どうしてか、の耳は其れに反応した。振り向けば、明らかにに向けられた視線。大きな荷物を持った少女が、可愛らしい目を可愛らしく其の目を大きくしていた。
 小学校などとっくの昔卒業したの記憶では曖昧だけれども、おそらく、年末のこの時期、何処の学校も冬休みだ。其の荷物の少女も、だろう。ああ、旅行か何かか、一人なのだろうか―――そこまで思ってから、ふと気づいた。少女の視線の行く先は、明らかにではなく、今しがた購入したばかりのビニール傘なのだ。

「……もしかして、傘、買うつもりだった?」

 少女はこくんと頷き、困った表情をする。其の大荷物をこの頼りない傘でカバーできるとは思えないが、無いよりはマシだと思ったのだろう。けれど、傘は完売御礼。最後の一本を、が買ったばかりだ。
 勿論、は是を使ってなんとか帰るつもりだったのだけれど。

「いいよ、はい」
「え。あの、でも」
「いいのいいの。必要なんでしょう?」

 遠慮する少女にずずい、と傘を差し出す。必要といえばだって必要だし、この駅の軒先で雨宿りしている人間全員が必要だろう。迎えを待っている羨ましい人は別にして。
 けれど、此処でが傘を持って行ってしまうと、これ以上無いとまでは言わないが、かなり、後味が悪い。罪悪感の域だ。
 だから、遠慮どころか怯えてすらいそうな少女に傘を持たせて、出口まで付き添った。彼女は大きな荷物を抱えて、ぺこり、と可愛らしくお辞儀をして行った。静かに振り続ける雨はけして強く無いけれど、弱くも無い。それにこの寒さだ。風邪を引かなければよいのだけれど。

「あー……人が好いなあ、私」

 ぽつり、と呟いて、携帯電話を取り出す。最終手段。でも本当はついさっきまで忘れていて、思い出したのは、少女に傘を押し付ける決意をした時だった。

 いつだったか。
 彼が、私にマフラーを押し付けたのは。
 自分だって寒いくせにね。
 結局其の日は雪は降らなかったけれど。
 どんよりと中途半端な空の下で、二人で手を繋いで帰った。
 あの時だけだ。手を繋いだのは。
 後にも先にも―――だって彼は何処かへ行ってしまったから。

 取り出すと同時に鳴った携帯電話を見て、は笑った。

「……、はい」
「御剣だが、……
「うん、丁度良かった。電話しようと思っていたんだ」
「そうか」
「で、なあに?」

 これから会う時間はあるかと問うてくる御剣に、は小さく笑んでから、

「あるけど、迎えにきてくれない?雨に降られちゃってね―――

 遠慮という気遣いを欠片も感じさせない声音で、言った。




 意外に車好きなんだな、と成歩堂に評された御剣の赤い車は、最初は抵抗あったものの、慣れると如何して、格好よく見えるものだった。もしこれが自分のものだったら、自分のようなペーパードライバーには運転させないだろう、などと持つ気も無い派手な車を大事にする自分を想像した。
 滑り込んだ助手席のシートはよい感じに落ち着いて、外見と反して優しい其れ。隣から放られたタオルが、また優しいものだから、は投げつけた本人に見つからないように微笑んでおいた。

「いやあ、助かった助かった」
「傘ぐらい、売店でも売っているだろうに」
「うーん、まあ、最初はそうしようかなって思ったんだけど」
「最初、だと?」
「え。あ、まあ、うん。みったんから電話着たし、いいかなって」

 少々訝しげに訊いてくる御剣に、まさか女の子に傘を買ってあげました、なんてことは言えず、は適当に誤魔化した。また何か言われるに違いない、絶対。このことは胸にしまっておこう。
 がしっかりシートベルトを締めたのを見て、御剣は車を出す。何をするでもなくぼーっと外を見ていると、意外にも車が向かうのはの家であることに気づいた。

「あれ、みったん、私に用事あるんじゃなかったっけ?」
「濡れ鼠のまま放っておくわけにもいかんだろう」
「えっち」
「なっ!?だ、断じてそのようなことは」
「ちょっと考えたでしょ」
「ム……!」
「いやー、みったんも男だね。良かった良かった」
「……」

 なんだ私は常日頃男として見られて無いのかとかなんとか、運転しながらぶつぶつ行っている御剣をよそに、はぼーっと流れる景色を見る。あの子はどうしただろう、ちゃんと濡れずに行けたのだろうか。

「みったん覚えてる?」
「何をだ」

 いつの間にか立ち直っていた御剣に声を掛けると、叩けば鳴る様な速さで返答がきた。当たり前といえば当たり前だけれど、何故かそれがを嬉しくする。

「私にマフラー押し付けた時の事」

 あれは冬の日。風邪をひきそうになっていた私。帰り道に君が押し付けたのは、くすんだ赤のマフラー。
 自分も寒いくせに。そう言ったら、照れ隠しなのか怒った声で反論して、結局二人で手を繋いで帰った道。
 手だけはずっと暖かかった、冬の日。

――
「覚えてないのね」
「つくづく思うのだが、……君の記憶力は、何処まで正確なのだろうな」
「別に、記憶力の問題じゃないわよ。普通なら、忘れてるものだし」

 ふふ、とは笑った。

「私はただ、よく振り返ってただけよ。忘れたくなかったから」
「……
「びっくりしたもの。君居なくなって、四人が三人になって、こんなに虚しくなるものなんだって」

 今は一緒に居るけどね。
 呼べば応えるところに君は居て、伸ばせば触れられるところに君は居る。
 それがこんなにも幸せで、幸せなのだから。
 言葉にするのは勿体無いから、そんなこと、言ってやらないけれど。

「何処に行くのもいいけど、一言も無しっていうのは、やめてね」
「ああ……、誓おう」

 それはそれは、真面目な顔をして言うので、自分で言い出しておいて、どうしてだか、の方が恥かしくなった。
 それもまた、幸せなのだけれど。

( mild winter )


back