「どうせ暇なんだから!」と真宵ちゃんに強制的に引っ張られて来たレンタルビデオショップは、時期もあって相当な賑わいだったから、僕らは入口に立ったまま数秒固まった。
 けれど見た目の蒸し暑さにも負けず、隣の彼女は「むん!」と気合を入れて、これでもかと親子連れの詰め込まれた店内へ進みだした。勇者は邁進し続け、そしてすぐに子供の波に埋もれた。
 何の為かと聞かれれば答えは大変真宵ちゃんらしいもので、もう答える必要も無いんじゃないかと思うんだけど、一応正解を言うと、勿論某人気時代劇アニメの為だった。DVDも持っているのに何を見るんだと訊いてみたところ、最近になって以前特番を組まれた時のものがレンタルされ始めたそうな……。数ヶ月前から其れの購入の為連れまわされていたから、事情ばっかりはよくわかる。数量限定なのか何処の店でも見つからなくて、結局今回ばかりはレンタルで我慢する事にしたとか如何とか。見た後に、また探索に付き合わされるんだろうな。
 とりあえず、その辺り詳細は知っていても、彼女に付き合って根詰めて探す気合が発生しない―――真宵ちゃん曰く根性が無い―――僕は、比較的無難かつ平和な、古い映画の並びへ行くことにする。
 ああなんという平穏。素晴らしい静けさ。古いと言っても十年そこらのもので、僕があまり映画という娯楽に興味がなかった頃のもののようだった。……いやまあ、今だってそう興味津々なわけではないけど。
 なんともなしに陳列するDVD群を見る。見覚えのあるような無いような、とどのつまりは如何でもいいタイトルが羅列している。けれど、其の中の一つに、妙に気になるものあったので、つい手を伸ばした。

「ああ、……懐かしいな」

 手にとって納得する。これは僕が、初めてデートらしきものをした時に見た、よくわからない、なんだか見た後憂鬱にになるような映画だった。

 ―――私は面白かったよ。

 意外な感想を述べて笑った彼女。誘ったのは彼女なのだから当然で、けれど僕は到底内容が理解できず、一生理解出来ないのではとまで思った。其の頃にはもう十年近く幼馴染をしていたけれど、一緒に育ったと言っても過言では無い筈なのに、如何してこんなにも違うのか、今思うと不思議でたまらない。
 そういえば、是を見たときも丁度夏の盛りで、通りには子供が沢山居たっけ。
 ふと気配を感じて振り向くと、なんとか戦争から生き延びた真宵ちゃんが誇らしげに一枚のDVDを持っていた。

「さっ、レジ行くよなるほどくん!それともまだ借りるの?」

 腕を引いて言う彼女は、如何やら僕がこれを借りると思っているらしい。僕は一瞬だけ迷って、まあ折角だからと其れを持って、真宵ちゃんと一緒にレジへ向かった。何故か彼女の分まで僕が払った。何かが間違っているけど、それも今更な感じがある。懸案事項だ。
 そういえば。
 あれ以来、と映画なんて見てないな。









 その一件というのは、確かに僕達の道が別れる兆しだったんだと思う。其の頃から次第に躁と鬱を繰り返すようになった彼女の毎日を端々で見ていると、なんだか心配だったのは確かだけど、腐れ縁の続くもう一人の幼馴染が、平然と何でも無いだろうと僕を諭すので、確信も持ってなかった僕は何もアクションを起こさずに居た。
 そんな、中学の夏の日のこと。

「ねえっ、なる、ハリー!」

 テスト明けの放課後を、さっさと帰れば良いものをだらだらと過ごしていたところに掛かった声は、とても嬉しそうだった。期待に溢れていた。
 僕と矢張に対しそんな呼称をするのは、今のところ世界でたった一人で、小学校に上がる前から隣に住んでいるだった。手には何やら紙切れらしきものを持っていて、足早に僕らの席に寄って来た。

「あのね。今度の日曜、映画見に行かない?」

 満面の笑みで彼女が見せたのは、どうやら映画の無料券らしい。
 其の誘いに関して言えば、友人から無料券を―――厳しい勝負を勝ち続けて―――手に入れたはいいが、見たいタイトルを告げると、其の場に居た全員が御免被ったそうだ。どうしても其れが観たいと言い張るもどうかと思う。皆何処かで宣伝を見たんだろう。結論から言えば、実際後に其の映画を彼女と一緒に見た僕は、『何が面白いのかさっぱりわからん鬱映画』という感想しか抱かなかったから。
 矢張も大衆と同じ反応を示し、結局僕がと二人で行く事になった。其の時の僕はそんな前評判はさっぱり耳に入っていなかったし(入っていたら付き合わなかったかもしれないけど)、テスト前にいろいろ助けてもらった借りもあった。頭を下げるほど見たいのなら、つまらなくても付き合ってやってもいいかな、と慈善事業に取り組む事にしたんだ。すごくきらきらした瞳で聞かれたし。

「つまらなかったでしょ?」

 けれど、約束の日曜の午後、鬱映画を何とか眠気にも耐えて見終わった僕に彼女が言ったのは、そんな一言だった。に促されるままに昼食を摂りに行ったファミレスで、水を飲んでいた僕は豪快に咽た。誘った人間が何を言ってるんだよ。

「気を遣わなくてもいーよ。顔に書いているし」

 大変申し訳ないことにバレバレだった。さっきから散々な修飾をしている通り、それはつまらなかった。というか解らなかった。一貫性があるのか無いのかさっぱりで、結局何がしたかったのか、何をしたのかわからないままにスタッフロールが流れて始めてしまった。もし僕が配給会社に勤めていたら、決してこの映画とは契約しない。絶対。

は如何だったんだ?観たかったんだろ?」
「私?私は面白かったよ」

 水を軽く飲むと、彼女は笑った。

「本当は、一人で行ってもよかったんだけどね」
「――」
「なんとなく、龍一なら、どんなに評判の悪い映画でも付き合ってくれるかなと思ったんだ」

 そんなこと言われた日には、僕は如何したら良いんですか。
 顔に出ていたのか、は噴き出して笑った。彼女はこの頃から、既にリミテッドな範囲―――つまり僕や矢張に対しては、これでもかと失礼かつ素直な人間になっていた。外面だけはめちゃくちゃいいのだ。
 言い方を変えてしまえば、その範囲だけ素の彼女と言えるかもしれない。言い切れないのは、は僕らにすら、何かしらを隠しているような気が、其の頃の僕はしていたからだ。

「私、龍一のそういうとこ好きだな。嫌でも頑張ってくれるし、律儀だし」
「期末テストの貸しも在ったしね」
「そういえば如何だった?」
「えーっと……まあ、大丈夫な感じだった」

 具体的な説明を避けると、は察してくれたらしく、苦笑いで許してくれた。機嫌がいいのは良いことで、其の分カロリーの消費も激しいのか、それとも俗に言う別腹なのか、彼女はデザートまできっちりと食べていった。
 少年期にと遊んだのはそれきりで、其の日の帰り道、僕は彼女が遠くの進学校を受験することを本人から聞いた。何故か僕は、「一人で大丈夫?」と、受かっても居ないのにそんな心配をした。は笑った。「自分で決めたことだから」。肩まで伸びた黒髪が風に柔らかく揺れた。
 何処か寂しそうで―――脆弱に見えた。
 ちらつくのは小四の頃、年が明けてから消えた友人の影。は多分弁護士を目指すんだろうと、僕は、の決意を聞く前から確信できていた。自転車を扱いで夕陽を見に行ったあの日、過去にすることを嫌ったは、ならばと今度は未来の選択までもあいつに因ったのだ。
 あの日壊れて、形成しなおされた世界。其処にあいつが居ない事に、はいつまでも苦しんでいた。おそらく過去と認めてしまった瞬間に、あいつが居るかもしれない世界を選んだんだろう。
 正直に言えば、この頃の僕は、あいつを恨んでいたと思う。
 の人生を其処まで寄り掛からせたあいつを。一緒に居た時間が一年にも満たなかったあいつを。
 如何してが其処まで傾倒しているのか、無性に苛立っていた。そして、其の日、其の時。漸く僕は気づいた。
 それから月日が経って、結局同じ世界に立っているのは、其の辺りが俗に言うターニングポイントというやつだったのかもしれない。勿論れっきとしたそれは数年前の裁判であって、少年期の出来事なんていうのは、伏線にすらならないけど。
 それでも僕らは確かに、確信して―――決意をしていたんだ。








 なんてことを、テレビに食いついている真宵ちゃんのテンションの高い声を訊きながら、思い馳せた。結局付き合うことになった鑑賞会に、僕は渋々自分で淹れた珈琲を飲みながら、一応参加する。内容ばかりがシニカルな其れが終わるとすぐさま、僕は待ちきれなかったのか何なのか、真宵ちゃんの断りもとらず(いやまあ元から僕の事務所なわけだから、僕の勝手が最優先されるべきなんだけど)、鬱映画のDVDをプレイヤーに突っ込んでいた。
 空になった珈琲のグラスを、今度は真宵ちゃんが淹れに行く。グラスが満たされた頃には鬱映画の上映がしっかりと始まっていた。

「そういえば、なるほどくん、この映画何?」
「んー……鬱映画、かな」

 相変わらずの鬱内容、けれど如何して、僕はなんとなく其れを面白いと感じていた。大人になるってこういうことなのかもしれない。半分も終わらないうちに真宵ちゃんは眠りこけて、佳境に入ると熟睡していた。よくよく思えば、あの頃是で眠らなかった僕は、自分で言うのも何だけれどすごい。まだ十五歳だったのに。
 憂鬱な其れは何故か、僕の心に沁みて、涙が出るかと思った。我慢。
 泣かない僕に、「意地っ張りだ」と、は自分を棚に上げて笑うんだろう。以前よりも随分、素直になった笑い方で。
 其れが誰のおかげか、僕は誰よりも理解している自信があるけど、が笑っているなら其れもいいかと、問題をすり替えて、緩んだ涙腺を落ち着かせる努力をした。

( Love you but like you )


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