「実際のところ、なるほどくんとさんってどうなの?」
 どうなのと言われても。
 僕の率直な感想はそれに尽きた。勿論真宵ちゃんは心底不満みたいで、なんだその辺りまるで春美ちゃんみたいだと思いながら、僕は適当に流す。無い仕事を片付けているかのように見せてみれば、仕事なんてないくせに!と怒られるんだから僕のプライドってやつは本当考慮されてない。
「実際も何も……見たまんまだよ」
「十年以上一緒に居て?」
「一緒っていったって、中学までだよ」
「でも付き合いはあったんでしょ?」
「そりゃあ、まあそれなりに」
「何にもなかったの?」
「何にもなかったから僕は猛烈に後悔してるんだよ」と、すっぱり言えればもとからそんな後悔する破目にもなっていないので、当たり前に最後は三点リーダで閉めた。何もないんだから、と僕はいまだにこんな感じなんだよ。僕は諦めの籠もった溜め息を吐く。
「そんなに気になるんだったら、のケータイの待受けでも見てみなよ。よく解ると思うから」
 はあれでちょっとどころじゃないぐらい女々しいから、僕は見たこと無いけど、きっと何かしらの切欠はあるだろう。話を反らす為のハッタリだったから、真宵ちゃんがに電話し出したのにはかなり焦ったけど。
 しかし、やっぱり幾つになってもこの手の話は僕らに付きまとうものなのか。溜め息をつかずには入られない。そして幾つになったって、痛い目を見ているのは僕なのだ。
 男女間に恋愛しか持ち込めないと思ったら大間違いだって言うのに。


 そのおかしな噂は、何が如何して、当人であるはずの僕らに一番最後に伝わった。むしろ、噂なんてそんなものなのかもしれない。本人に聞く誰かがいれば、噂になんてならずに事実になるのだから。何にせよ、僕らが其れを聞いたのは、いい加減な矢張ですら高校受験に向けて勉強をうすうす始めた、上着を着ないと肌寒い秋のことだった。
「なんだそりゃ」
 噂が巡り巡って(そんな大したものではないけれど)、僕らの元に辿り着いた時、僕の感想はそんな感じだった。その言葉が相応しすぎる。僕に伝えてきた矢張もそれは同じようで、「だよなあ」と微妙な面持ちで頷いていた。
 「其の手の噂」というのは、至極幼稚で下世話な話ではあるのだけど、中学生ならばまあ相応しくもある噂だった。曰く、「成歩堂龍一とが付き合っている」なんて内容。
 如何に幼馴染といえど、男女で、四六時中とまでは言わないがずっと一緒に居ると、そういう風に疑われてしまう。其れを僕らが実感したのは小五の時で、其の時は少し申し訳なさげにしながらも結局一緒に居た。まあ元々小さな学校だったから、ちょっと弁明すればすぐ誤解は解けた。でもそのあとすぐに、今度は矢張に矛先が向いて、僕らは同じ説明を同じ人間にする破目になった。
 中学になると、僕らの方が遠慮しだしたというのに周りの遠慮が消えなかった。小学校と違い規模が大きくなったし、年相応に其の手の話題が増えたということもあったんだと思うけれど、何も努力が必要な程じゃなくてもいいと思う。は昔より僕らとつるむことは減らしたし(「減った」のではなく「減らした」というところがまたポイントで、は周囲の眼を理解して、あえてそういう行動に出ていた)、僕らも其れを理解して昔ほど彼女と一緒に居ることを減らした。それでもそういう噂は時折発生して、僕らの頭を悩ませた。
 そして、僕は今回ばかりは頭痛がした。居た堪れないことに僕は自覚をしてしまっているから、この度の噂に一瞬だが喜んだ。しかし半面、ありえないことを理解しているわけだから、其のダメージも高いわけで。
 とにもかくにも、僕らにとっては、ちょっとした挙動や付き合いにまで気を遣わなくてはならなくなるというのは面倒以外のなにものでもなかった。何にしろ、昔と違いものすごい人数に知れ渡っているようだから、今回も無視を決め込んでいくしかないのだ。
 そして、下校時にと鉢合わせしたのは、噂を聞いた其の日だったから、世の中の回り方ってなんかおかしい。
「噂聞いた?」
「なんだ、知ってたのか」
「うん。さっきハリーに聞いた」
 そういう噂が回ってると知っているのに、僕らは遠慮無しに一緒に下校した。なんかもうどうでも良い感じ。放っておけば消えるだろうし、変なことしなきゃ加速する事は無いんだから。僕らは頭を悩ませつつも、いつもそんな感じで流していった。どうせ、また、数ヶ月もすれば消えてなくなるのだ。その数ヶ月の間、一番辛いのは多分僕で、なぜかといえば、がまたそれなりにモテる人間であるのが問題だった。変ないちゃもんもつけられるし、前回の噂は本当に酷かったから、其の時なんかは決闘なんて申し込んでくる奴もした。勿論、寸前でが止めに入って来て、喧嘩なんててんで駄目な僕はボコボコにされることなく事なきを得た。ちなみに、はその相手を見事にふったらしく、その辺を聞いてみれば「こういう問題に暴力持ち出してくるなんて馬鹿みたい」と返ってきた。確かに。
「ごめんねえ、あれ私の不注意なんだ」
「何かしたの」
「うーん、ちょっとね。なるが私の大事な人ってことが発覚する失敗をしでかした」
「…………」
 リアクションとれない。
「大事なのは変わらないけどさ、なるだけ特別って訳じゃないもん。ハリーもいるし……うん」
 矢張の名前が出た後の空白に、何が入るか僕はよく知っているし、おそらく僕にだって其れは特別なことであるから、何も追及する必要が無い。
 まったく口惜しいばかりで、僕はこの葛藤をいつかあいつにぶつけてやるのが当面の目標だ。当面という割には、時間設定が曖昧だけれど。
「どんな失敗しでかしたんだよ。最近は上手くやってたのに」
 と、自分の内心はさっぱり表に出さないで、話を進める。は気付いている様子もなく、それがさ、と話を続けた。
「これ。一瞬だけど一瞬だからこそ、君だけ見えたみたいで。誤解生まれちゃった」
「うん?」
 差し出されたのは僕だって持っている生徒手帳だ。ただしウチの学校ではそんなもの使う機会がゼロなので、持ち歩く生徒は居ない。せいぜい、映画の割引とかそんな感じだ。何処もそうかも。だから僕は、彼女が其れを持っているのに少し驚いた。けれどもそんなのは大した問題でないので、すぐ其の生徒手帳を手に取る。僕が見えた。ってことは何かはさんでいるとかそういうことなんだろうか。
「全くね、色々、自分が情けないよ」
 そう言って、はうすく笑みを浮かべた。自嘲というに相応しい其れは、またしても僕の心をざわつかせる。僕は何も言えないままに、渡された生徒手帳をひっくり返した。其処には、一枚の、たった一枚だけの写真があった。ざわついた心が、ああやっぱりそうか、と納得して、凪いだ。そのたった一枚は、彼女を作る全ての根源であるようにも思えた、からかもしれない。
「情け無いでしょ。……持ってないと怖いの」
 四人の頃の、写真。
 何故だか自分達が写真をとったのは、是が最初で最後だった。いつものようにつるんで騒いで遊んでいた日。はこっそり持ってきていた使い捨てカメラで、三人で騒いでいたときにこっそり撮った。シャッター音に気づいた時には、満面の笑みの彼女が居た。其のカメラの、最後の一枚の写真。同時に、四人の頃の、たった一枚の写真だった。写っているのは三人。でも写真が存在するという事は、確かにシャッターを切った人間がいるということ。自分の存在が確かに其処にあって、其れが嬉しいと、いつかが笑っていた。
「…………」
 僕は何を言えばいいのかわからない。おそらく何処を探したって、僕以上にを理解できる人間は居ないと自負出来るのに、それでも言えない。それはつまり、今のに、何かをうまく伝える事が出来る人間は存在しないってこと。僕はそれが悲しくて―――口惜しかった。自分を情けないと笑う彼女は、何をもってそう思っているのか、僕は正確に言い当てられない。それほど彼女の心は広くは無いのに、深く深く底が見えない。其れは何処にあるのだろう。僕の手が届くところではないのは、確かだ。
 黙り込んでしまった僕を見て、が何を感じ取ったのかはわからない。所詮僕らは他人だ。他の人。完全に理解し得ることなんてないんだ。それでもは、僕から感じ取った何かに、ごめんと一言謝った。其の言葉から僕が感じ取れる何かは、僕だけの何かだ。

「……想い出になんて、したくなかったのに」

 いつか言った言葉に似せて、は呟いた。いつか彼女がそのままでいることを望んだ世界は、彼女が止めた世界は、形成を始めていた。むしろ、もうとっくに終わっていたのかもしれない。―――だって僕らはいつの間にか、彼が居ない事に微塵の違和も感じずに過ごしていたから。
 居なくなり続けていた筈の世界が、居なくなっていた世界になっていることの緩やかな変化に気づけず僕らは。彼女は。
 世界が終わっていた。そして世界は始まっていた。―――あるいは、何かが生まれていたのかもしれない。


(……なんか最近、昔の事ばっか思い出してるぞ……)
 思い出してはなんとも表現し難い気分になっているから、一人遊びもいいところだ。僕はまたしても溜め息を吐いて、珈琲を飲む。何がいけないって、時期が悪い。珈琲も温かくしないと飲みにくいような季節に、なんだってまた真宵ちゃんはそんなこと―――
「珍しく難しい顔しちゃって」
「ぶはっ!!」
「わっ汚い!真宵ちゃん雑巾とか床拭けるもの持って来て」
 遠くから真宵ちゃんの返事が聞こえた。珈琲を噴かせるほど僕を驚かした人物―――は、自分に悪いところが無いと言わんばかりの態度で僕を見下ろした。
「いきなり出てくるなよっ驚くだろ!」
「えっ、だって、なるが返事しないから……悪いの私?」
「多分なるほどくんー」
「だよねー」
 二対一。完敗だった。と真宵ちゃんは、なんだかものすごく相性がいいので、僕はよく困る。
 聞けば、真宵ちゃんが電話したちょうど其の時、はお土産を持って事務所近くに居たらしい。僕が気付かない間に現れた理由は其れ。
 とはいえ客が来ているので、一応応接室のソファへ移動する。後付とはいえ呼び出したことになった真宵ちゃんは、遠慮なしにから携帯電話を借りて、二つ折りになっている其れを軽やかに開けた。ああ、変な言い訳をしたのがばれる。僕は内心大慌てで言い訳を考えながら、真宵ちゃんの反応を待った。真宵ちゃんは向かいに座る僕と隣に座るを交互に見て、ぽかんとした顔で、そしてすぐにんまり笑った。また意地の悪いことでも言うつもりかと僕は身構えたけれど、真宵ちゃんはずずいっと僕にの携帯を押し付けた。彼女の隣座るは別段困った様子もなく、其の様子を平然と眺めてから、珈琲に口をつけた。熱いと呟いた。僕はとりあえずケータイを拝借し、その待受け画面を見る。
「…………」
「何そのリアクション。私が困る」
「いや、相変わらずだなと思って」
「仕方ないじゃない。習慣だもの」
「ちなみに、この前は如何してたんだ?」
「定期に入れてた」
「あれを?」
「あれを。もう返してよっ」
 だんだん恥かしくなってきたのか、は今更ながら僕から携帯電話を取り上げた。そんなになるぐらいなら、最初から見せなきゃいいのに。僕が笑うと、が怒って、真宵ちゃんは僕の方に乗っかって一緒に笑った。
 其処に居たのは、ついこの間四人で飲んだ時の写真で―――相変わらず、被写体は僕と矢張と、御剣だった。

( You always love us as ever )


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