遮られていた光が隙間から差し込む。暗闇を剥がす方はゆっくりと動かすが、光はそんなこと気にしてはくれない。急な明度の上がりっぷりに俺は目を細め、同時にこんな子供染みた遊びをした奴に顔を顰めた。ゆっくりと取り払われたそいつの手を掴む。

「何しやがる」

 重心を少しだけ後ろに移動して、上を仰ぐと、普通なら天井が見える其処にすかした笑顔があった。予想済みとは言え、むかつく面だ。このやろう。

「バレバレでしたか」

 三割ぐらいは苦笑で、あとはよくわからん胡散臭さでできた表情で、古泉は目を細めた。普通の女の子だったらころりといっちゃうんだろうその笑顔は、俺の溜息を誘うに十分だった。何が楽しくて男の大きな手で後ろから目隠しなんかされんといかんのだ。

「驚いてくれるかと思ったんですが、残念です」
「こんなガキっぽいこと、お前以外に誰がやるってんだ」

 そりゃ驚きはしたさ。でもすぐに誰だか解ったもんで、呆れしか生まれなかったんだな。
 これが長門だったらそれこそ天変地異だ。まあ当の本の虫は、俺が来た時から定位置でこれこそ我が使命とばかりに黙々と読書に勤しんでるのだから、物理的に俺に悟られずに後ろから目隠しなんて……いやまて、相手は長門だ。物理法則の無視は無いが、俺の背後に瞬間移動ぐらいは出来るかもしれん。
 あるいはこんなことをするのはハルヒだが、全くらしくない。いや、無意味なことを楽しむといえばあいつらしいが、ハルヒの場合は、そんなことして驚かす前にもっと大袈裟でオーバーなことをしでかすだろう。十中八九、俺の胃が痛くなるような。
 そして朝比奈さんは論外だ。あの人のエンジェリックな気配を、俺が逃すなんてありえないね。だいたい、今はハルヒに拉致られているし。またとんでもないことに巻き込まれているんだろう。涼宮ハルヒというサイクロンにでもな。

「此処は日本ですから、台風、もしくは熱帯低気圧の方が正しいと思いますよ」

 どっちも変わらん。
 古泉はくつくつと喉を鳴らして俺を見た。なんだ、気持ち悪いな。

「羨ましい、と思いましてね」
「……お前はいつも文の要素が足りん。何がだ」

 涼宮さんがですよ。古泉は微笑のまま続けた。

「貴方は涼宮さんを理解している。そして受け入れている。僕にとって羨むべき事実です」

 また其の話か。ハルヒ絡みで何か在る度、いつも其の話をされている気がするぞ。ワンパタめ。一体誰が、こいつに俺やハルヒの精神分析を頼んだんだ。聞きたくも無い分析を聞く羽目になる俺の身にもなってくれ。
 微笑を湛えたままの古泉を見ていると、時折そう思うと同じく、こいつは真正の馬鹿なんじゃないかと思えた。それか極度のマゾヒズムか。無理も無いと理解してもらいたい。話したくない話をして、言いたくもない推測を述べて、自分で傷ついて、それを下手な演技で隠して笑っている阿呆なんだぞ、スマイリィ古泉は。
 そんな分析結果、自分が一番傷つくのをわかっていて、言い聞かせるように口にして、だのに傷は痛くてたまらないんだろう。必死に隠してやがる。

「…………ああ、もう、なんなんだよ、お前」
「?」

 見ていて解る俺も相当だがな。
 離していた手をまた取る。本当、なんで俺はこんな馬鹿なことをしているんだろうな。お前の所為だぞ古泉。お前がそんな顔して笑うからだ。決して俺の全面的な傾倒を以ってやるんじゃない。
 少しだけ俺より大きい手に苛立ちを感じつつ、俺は口を開いた。

「お前の手は大きいな」
「え?あ、そう、ですか」
「それに、指も長い」
「それはそれは。……どうかしたんですか?」

 どうかしたんだろうよ。本当に。

「他の奴だとこうはいかない。お前だけだっつってんだよ」

 ああ、そうだよ。長門や朝比奈さんやハルヒの可能性を考える前に、すぐにお前だとわかったんだ。本当はこの手や指のことも全部後付で、何故だか知らんがお前だとわかったんだよ。ちくしょう。いつのまに俺はこんなになったんだ?

「僕だと、わかったんですか?」

 小さな声で問われた。言葉にするにはこっ恥かしいので、俺は長門さながら超エネルギー節約ミリ単位首肯で返す。

「貴方……、いえ、」

 固まっていた古泉の表情がやっと動き出す。いつもの微笑、かと思いきや、微妙に違った。其れはなんだ。その、心底嬉しそうな顔は。

「顔に出てますか?すみません、我慢できなくて」
「耐え抜け。俺の精神衛生の為に」
「でも、貴方が悪いんですよ」

 線の細いくせにちゃんとした男の手である古泉のそれが、俺の顔を両端からそっと挟んだ。しまった。誤算だ。状況は先ほどと変わらず、立ったままの古泉が座ったままの俺を上から見下ろして、俺は奴を見上げている。顔を固定されたままだ。危機だ。これはとんでもない危機だ。さらにとんでもないことに、この事態は俺が招いたといっても過言じゃない。ちくしょう俺の馬鹿やろう。
 ちょっとまて。長門もいるし、どっか行ってるハルヒと朝比奈さんだってすぐ帰ってくるぞ。

「おや、二人きりなら良いのですか?」
「いいわけあるか。冗談止めろ、離せ、退け、じゃないと」
「退かないと?」

 顔が近い。
 うわ睫毛長い、とかわかるぐらい近いぞ、おいおい、長門助けろ!
 ちょっとマジ待てこの―――

「わっ」
「っ、ぃだっ!」

 重心がズレて俺は椅子と伴に床に倒れこんだ。後頭部を強打してガンガンする。そうだな、座っているところを後ろから引っ張られたら、こんな風に倒れるんだろうな。いつだったかハルヒにやられた覚えがあるぞ。

「大丈夫ですか?」
「ああ……」

 覗き込む古泉の顔を見れば故意でないことが解った。こいつが引っ張らないと俺は倒れないわけなのだが、こいつがそんなことをする必要もないし、とにかく俺は古泉から逃げ果せたので万々歳だ。痛いがな。

「……」
「お、……サンキュ」

 いつの間にか傍に寄っていた長門が(やっぱりこいつ瞬間移動してるんじゃないか?)、濡らしたハンカチを渡した。後頭部に宛てると、どうやら立派にたんこぶになっていることがわかった。ちょっとぐらぐらする。
 立ち上がると長門がまだじっと此方を見ていた。何やら意味ありげな純度百パーセントの瞳は、多分俺でなくてもわかっただろう。
 なるほど、椅子を倒したのはお前か。長門。

「……」
「助かった、ありがとうな」
「いい」

 一言言うと満足したらしく、長門は定位置に戻った。本当に助かった。この礼は必ずしよう、長門。そうだな、今度丸一日図書館でも行くか。鱈のように腹が膨れるまで付き合ってやる。
 椅子を戻すと、既に其の定位置、俺の向かいに座った爽快スマイルが見える。眼が合うと古泉はなんとも言いがたい微笑で肩を竦め、腕を広げた。
 このやろう。なんだその残念そうでかつ面白いものを見たみたいな目は。大体全部お前の所為じゃないか。いらん気遣いをしたのも恥かしい思いをしたのも椅子から倒れたのも。
 いいだろう。今日は絶対全力でお前を打ち負かす。

「やるぞ」

 乱暴に腰掛ける。既に向かいに座っていたイエスマンは、俺の言葉に首を傾げた。何をかは言わん。何でもいい。この際どれでもいい。俺とゲームしろ、古泉。

「俺が勝ったら、そうだな、全員分ラーメンでも奢れ」
「相当お怒りのようですね。……では、僕が勝ったら?」

 そう、それも俺の作戦だ。全員分ラーメンに見合うかどうか知らんが、というか俺から見れば見合うどころか、立場が逆なら遠慮したいところだが、お前が俄然やる気の出るようなご褒美を用意してやるよ。過大評価だとかナルシズムだとか言わないでくれ、実際こいつには一番効くんだからな。哀しい事に。
 俺は古泉よろしくに指をぴっと一本立てて、自分に向けた。そうして唇に触れる。うわこれ自分でやってて気持ち悪いな。だがこれ以上的確な表現は思いつかないから、仕様が無い。本当に思いつかん。許してくれ。これで十分伝わったらしいしな。古泉は目を見開いて、顔を少し赤くしていた。

「貴方……」
「一回ぽっきり、思いっきりやればいい」
「えっ、あ、ほ、本気ですか?……その、キスし」
「冗談でこんなこと言うか!」

 人が折角フルスロットルで考えた表現を無碍にするなバカ泉。一瞥すると、長門はもう本に戻っていた。どうやら聞こえていないようだ。……いや、聞こえているかもしれんが、確かめるのも怖いので、此処はスルーとしよう。
 しかし馬鹿な賭けを申し込んだものだ。これで古泉が食いついてくるから、また馬鹿馬鹿しい。まあ、今回の目標はただの勝利ではない。いつも飄々と本気なのか本気で無いのかわからんこいつをやる気にさせ、熱意もろとも挫くのが目標だ。これぐらい言わないと、贅沢なこのゼロ円スマイルは掛からない。

「後悔しますよ?」
「自分で言い出したことだ。喜んでやってやるさ」
「まさか、貴方から誘ってくれるとは」
「誘ってねえ」
「同じようなものですよ。さて、何にしますか―――」


 そしていそいそとゲームを始めたわけだが。
 まあ、結果は、そうだな。言うほどのことでもない。
 古泉の財布が少しばかり寂しくなったのと、俺達の腹が膨れたってことぐらいだ。

( Don't touch me yet )


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