花瓶に花を飾る。少々派手な花瓶だが、花がシンプルだから多分問題ない。今日咲いたばかりの花はあまりに瑞々しく、少し躊躇ったけれど、悩んだのは一瞬ですぐに手折った。花がない家の中は絶えられない。こればかりは、咲いてる側には悪いかもしれないけれど譲れない。
 あまり香りのないそれは、けれど飾っただけで部屋の雰囲気を一変させる。一人住まいには広すぎるこの家で、これは心の救いとなる。寂しいと思うわけではないけれど、それでも。
「それで、」
 が花を飾り、それを終えて堪能しているまで、いや、彼女が声をかけるその時まで、その男はずっと眺めていた。
「貴方は何の御用があって此処に?」
 特に何を言うでもなく、ソファに腰掛け脚を組み、頬杖をついている。眺めているというのも男ではなかったかもしれない。何せ、男は顔の半分を仮面で隠していて、その目線を何処に向けているかは詳細には知りようがない。それでもは、なんとなく視線を感じていた。男はの質問にクスリと笑い、膝に開いていた本を閉じた。
「君に会いに来たというのでは不満かな?」
「理由になると思っているのですか?」
「勿論。だから此処にいる」
 嘘ばかりだ。自分にそのような魅力があるとは毛頭思わないし、この男がそう無駄な行動をするとは思えない――それとも、彼にとっては有益なのかもしれないが。何せ自分と彼の世界をすり合わせたことがない。どれほどの価値観を共有できるのか、さっぱりわからないのだ。そこに、大して興味は無いけれど。
「花が好きなのか?」
「ええ」
 暑苦しいマントを脱いで、彼はの傍に立つ。窓際の花瓶。其処から見えるのは、の庭だ。敷地の半分以上を占める庭は、季節毎に色とりどりの花を咲かせる。無論手入れをしているのはだ。それで一日はあっという間に過ぎていく。それが彼女の毎日で、幸せだ。
「小さな世界だ」
「そうですね」
 嘲るような彼の科白に、それでもは平然と返した。狭いに決まっているではないか。こんな、一人で住むには大きくて特に何もない家と、一人で管理しきれる程度の庭。こども騙しにも使えやしない。箱庭と呼ぶにもおこがましい。は彼が思うよりも彼女の世界を矮小に見ていた。
「外に興味は?」
「ありません。好奇心も知識欲も物欲も、人恋しさも」
「逞しいことだな。いや、そもそもそれが無いのか」
「……貴方は?」
「人恋しさ以外なら」
「なら、何故此処に?」
 揚げ足を取った質問をする。質問とはいっても、は彼自身にはまるで興味はない。彼がいつも此処で何を考えているのかも、此処でゆったりとソファに腰掛けながら何を読んでいるのかも、興味はない。此処に来る目的にも興味はない。ただ、それによって自分の生活に変化が起こるのが気に入らないだけだ。よそでやってくれ、貴方は私にとって侵入者以外の何者でもないのだから。通報しないのは、単に面倒だからだ。彼を追い出す為にまた誰かを呼ぶ。例えほんのひと時のこととはいえ騒がしいことだし、そもそも彼がそれで素直に捕まるとも、また諦めるとも思えない。なりに出た結論は、この男が此処に来ることに飽きるのを待つということだった。不毛な気もしているが。
「……フフ、そういうところを気に入ってるのだが」
「?」
「君を高く評価しているということだ。君は聡明で、愚かではない。他人に左右されないという意味でだ」
「……それは、貴方がどう評価しようとも関係のないということですよ」
「だからこそ」
 図々しい男だ。白い手袋に包まれた手がの頬に触れる。は人形のようにされるがままで、また人形のようにぴくりともせず、男を見つめた。特に意味はない。目を逸らせるのはきっと楽だろうけれど、話をする時は目を見るようにと母に教わったことが脳裏をよぎったから、そうした。
 にやりと男は口角を挙げる。ああ名前はなんと言っただろうか。一度聞いた覚えがあるけれど、どうにも思い出せない。それぐらいしか、人の領域に波紋を起こした男に興味が無かった。
「ジャン・デスコール」
 思い出した名前を口にすると、男――デスコールは満足げに応えた。

( それに意味があると貴方は言うの )


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