ここ数年猛暑が続くとはいえ、いくらなんでも暑すぎる。
 綱吉にはそんな誰もが思うブーイングすら浮かばなくなり、じわじわ鳴く蝉がうざったいとか、そんなことはもう脳裏を掠める事すらなくなった。思考が鈍い。座っているだけで汗が出る。じりじりと肌を焼く直射日光が憎憎しい。とにかく、この太陽からの与えられたあまりある熱量に、疲労するばかりだ。
 ずるずるとフェンスに凭れ、体の熱を逃がすように、綱吉が何度目かの溜息を吐くと、
「すみません、10代目」
 脇から、ひたすら申し訳なさそうな声がしたので、10代目―――と自分は認めていないけれど、何度否定しても相変わらずそう呼び続ける獄寺隼人に視線を向ける。其の表情も申し訳なさそう、且つ、少なからず暑さに堪えているようだ。自分よりずっと体力有る彼が、と思うけれど、この気温なら仕方が無い。
「大人しく教室で食えば良かったですね」
「いや、獄寺君の所為じゃないよ。言わなかったらオレがそう持ちかけただろうし」
 常日頃、天気がよければ屋上で昼食を取る。今日も今日とて、常習的に仲良く並んでいるわけだ。こんなに暑いというのに。
 自分と、隼人、そして山本武。端から見ればものすごく相性が悪そうな組み合わせだと、綱吉は思う。周囲もそうだろう。けれど、如何してか結構上手く行っている。不思議だとしみじみ思う。最初の頃、隼人に連れられて此処にくるたびに、行き交う人が「不良に捕まった哀れな奴」としか自分を見ていなくて、ひたすら居心地の悪さを感じていたのに、今では校内では結構見慣れたものになったようだし、未だ慣れてくれない人が憐れみの視線をくれてきても気にならなくなった。いろんな意味で目立つ隼人と居るのは、自分の駄目っぷりが強調されて嫌で嫌でたまらなかったし、第一初対面があれだったものだから、彼と顔を合わせる度に怯えていたものだけれど。
(……誰に対しても楽しく付き合える山本の助けがあるとはいえ、人って、変われるもんだな……)
 慣れとかそういう惰性ではない何か、そんなものを、彼に対して感じていた。
「それに、教室より風があるしね」
 言えば、ものすごく気落ちしていた隼人の表情が一転した。彼は自分の言葉で色々表情変え、未だに此方が戸惑うこともあるけれど、自分のことを考えてくれているようで嬉しいと綱吉は思う。
 公に出来るわけは無いけれど、彼が居て、一緒に居れて、嬉しいと思う。
 声になんて出せないけれど。

「山本遅いな……」
「そっスね。あの馬鹿、何してるんだか」
 購買に行ったまま、武はまだ戻ってこない。混んでいるんだろう。
 ひゅう、と時折心地いい風が吹く。其の度にふう、と小さく声を漏らし、リラックスする。こうして風を受けているのも悪く無いけれど、やはり暑いのでさっさと御飯を食べて教室に戻りたい。かといって、武を蔑ろにするわけにはいかない。隣の彼も同じようで、いつもは喧嘩腰なのに今は大人しく待っている。
 ちらりと、綱吉は横を盗み見た。暑さになのか武になのか不機嫌な顔をして、煙草をふかしていた。日伊混血である隼人の端正な顔に汗が浮かんでいる。なんとなくドキドキして、ばつの悪い気分になって、視線をそらせた。
(山本、早く帰ってこないかな)
 別に彼と二人居るのが嫌なわけじゃない。そんなことは、微塵もない。正直に言えば、少し怖いけれど。むしろ何処かこそばゆく感じる。三人で騒ぐときとは違う、嬉しさ。
 ただ困った事に、二人っきりだという事実に目を向けてしまうと、心臓の動きがものすごく早くなるのだ。体温も平熱より上がっているし、隣が気になって仕方がなくなるし。この暑さでその三つが揃うのは体に非常に悪い気がして、早く終わらせたい。
 もう一度、隣をそっと見る。と、
「……でも、」
「えっ、うん、なに?」
 其れのすぐ後だったものだから、見ているのがバレたかと思って、綱吉は素っ頓狂な声が出した。けれど隼人の目線は変わらず青い青い夏の空で、とりあえず気づかれていないようなので、内心ほっと胸を撫で下ろす。
「俺は―――」
 其処で言い淀んだので、よくよくその顔を見やると、隼人は照れと不貞腐れの中間のような、ばつの悪いような、非常に複雑な表情で、暑さの所為か顔を赤くしていた。
 ひゅう、とまた涼しい風が吹いて、

「たとえこんな暑くても、……10代目と二人っきり、嬉しい、です……けど……」

 とんでもないことを言った。言われた。
「あ……えっと」
「…………」
「…………」
「…………」
 沈黙が、長かった。
 頭が真っ白になってしまって、彼が如何いう意味でそんなことを言っているのか、というか何を言っているのか、混乱してしまった。
 ただただ顔が天候以外の理由で熱くなるのがわかって。
 何を如何言っていいのか、わからなくなっていた。


「なん、て……」
 冗談で、済まそうと思った。いつもの軽い、武を罵るような軽口。あんな奴居なくたっていいじゃないですか、10代目には俺が居るんですから。そう言おうと、思っていた。
 何故自分はあんなことを言ったのか。暑さで頭をやられてしまったのか。綱吉が驚いているのが見なくても解って、言った直後に後悔ばかりが間欠泉のように吹き出した。彼と二人きりでいるのが良いと、思うのは嘘じゃない。ただ言葉にするのは止めるべきだと、常々隼人は思っていた。応えてくれるとは思えない。自分が慕う彼には少なからず想う女の子が居て、やはり其れが普通なのだ。自分のこの気持ちも、尊敬、憧れ、思慕の延長線だと、未だ言い聞かせられる。今のうちに、そう言い聞かせるべきなのだと。
 そう思って、そう接してきたというのに。―――何故あんなこと。
 だから、冗談にしようと思った。それしか方法はなかった。言ってしまった言葉は引っ込められない。ならば流すしかないだろう。其れを言う自分は上手く笑えるだろうか、不安になるけれど、この空気のままで居るのは、自分も彼も嫌だろうから。
 だから。
 なのに。
 言えなかった。
 言おうと思って振り向いたときには、言えなかった。
「え……」
「…………あ、ごっごめん!なんか、ほらっ!あ、暑い、し!」
 彼の―――綱吉の顔が真っ赤であることに、隼人はすぐ気づいた。先ほどよりもずっとずっと。そして彼自身其れを慌てて隠そうとして、どうにかこうにか言葉を紡いでいて。
 これはと。もしかして、と。そう期待できる反応で。
(ああどうしよう、俺はもっと望みを持ってもいいのか?―――この人に)
 頭の中がぐるぐるして、其の運動エネルギーなのか、自分の顔も熱くなった気がした。
「あの、だっ大丈夫ですか?」
「うんっ、これぐらい、いくら俺でも、だいじょうぶだよ」
「そ、っスか……」
「…………」
「…………」
「…………」
 そしてまた沈黙。
 自分が口を滑らせたばっかりに、このきまずい空気は生まれたわけだが、二度目の其れは何かを期待してしまった。
 だから、なのか。
 身に余る願いだと、思っているのにも関わらず。願望は理性でなかなかコントロールできないものだと、隼人は数秒後に理解した。
「あの、10代目」
「…………なに?」
「手、繋いでも、いいですか?」
(何脈絡の無いこと言ってんだ、俺は!?)
 ひゅう、と風が吹いて、煙草の先の煙を飛ばしていく。其処で動いたものはそれだけで、隼人の手も綱吉の手も動かなかった。
 やっぱり馬鹿なことを言った、と謝ろうとした其の時に。

「……俺の手、あついけど、……それでもいいなら」

 ただひたすら、あつくて、あつくて。
 それでも隣の手を握りたいと思ったのは、何故だろう――― 解っていることだけれど。
 自分から動く理由は確かに有って、けれど、其れをするなんて無礼な真似は出来ないで、まさか許されると思ってはなくて。


「あついっスね」
「うん……本当に、あつい……」
 じわじわと、もしかしたらリボーンの夏の子分かもしれない蝉の声がする。暑さでぼーっとしてしまって、結構そんな声も如何でもよくなってきて。
 暑くて暑くてたまらなくて、やっぱり素直に教室に戻れば良かったかな、なんて思いながらも。
 なんとなく恥かしくて、ばつの悪いような、居た堪れないような気分になりながらも。
 あつい手を振り解こうとは、綱吉も隼人も、微塵にも思わなかった。

( まるで夢のようで、でも確かに在って )


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