授業の始まる五分前。獄寺隼人は次の授業があまりにつまらないことを確信して、教室を出た。
 いつもなら10代目こと沢田綱吉に一言旨を伝えてから出るが、彼も少し前から教室に居なかった。同じようにサボタージュにふけるつもりなのか隼人の知り得る範囲ではないが、おそらく、そうなのだろう。明確な用があったようではなかったし、「ちょっと出てくる」と言っただけだった。演じている「右腕」としての立場を考えれば探しにいくべきかもしれない。けれど隼人個人としては、其処までする必要があるとは思えないかった。
 綱吉が真実「ダメツナ」ならば、確かに必要なことかもしれないが。
 沢田綱吉の「ダメツナ」は演技なのではないか?―――その疑問は当初からあった。彼の家庭教師の助けがあったとはいえ、一言で片付けるには、彼是の事件は「ダメツナ」の彼には重荷だったように見える。違和を感じてぴたりとくっついて観察をしていれば、綱吉に時々訪れる変貌が、微かに、確かにあるのに気づいた。研いでもいないだろうに鋭い目線。あれを見間違いだと思うならば、きっと自分はこの世界で生きてこれなかっただろう。
 ―――そう、あれは、戦慄だ。
 あの完璧な演技を剥がした瞬間。
 あいつはどんな顔をするんだろう。

 一服して時間を潰そう。屋上に出ると冷たい風が吹いた。其れを寒いと思う前に、隼人は目を疑った。其の可能性があるのは重々承知であったけれども、此処まで無防備であることを予想できただろうか。
「……なにしてんだよ、あんた……」
 ぽつり零れた言葉は素の其れだったので、隼人は焦った。けれど、返事は無い。訝しいと感じて歩み寄ると、なんだ、と納得できた。其処に居た綱吉は、呑気な顔で、ぐっすり眠っていたのだ。冷たい風が吹く屋上、季節柄そろそろベストだけでは寒いのだろう、少し体を丸めて、小動物のようである。
(中身は狐だがな)
 クラス中、学校中、同居している人間をも騙している狐。何が目的かは知らないが、出来ることを放棄し駄目な自分を演出している、狐。狡猾で世を上手く渡る狐だ。其れに気づいている人間がどれだけいるのか、隼人の脳裏に浮かぶのは、綱吉の家庭教師と、綱吉の親友を自称する野球馬鹿。どうやら無視を決め込んでいるようだが、おそらく気づいているだろう。もしかしたら、並盛中風紀委員長も気づいているかもしれない。
(このくそ寒い中、屋上で昼寝を決め込むか?普通)
 馬鹿なのかなんなのか。狐とはいえ、綱吉に抜けているところがあるのは事実だ。歳相応とでも言うのか、本気で抜けているところがある。人付き合いがあまり無かったのは演技の為とはいえ事実だろうし、擦れていると言っても疎いところがないわけではない。だからこんなところで昼寝なんてしているんだろう。
 隼人は彼の脇に立って、フェンスに体重をかけた。とりあえず当初の予定通り、煙草に火をつける。暫くぼんやりと吸っていると、また冷たい風が吹いて、隼人は身を竦めた。そして視界にある未だ熟睡中の小動物を見ると、やはり寒いのか腕を抱くように体を丸めて身震いしたところだった。
「…………」
(だから、もっと場所を選べよ)
 と思うが、昼寝が目的だと此処以外に眠れるのは保健室ぐらいで、あの酔いどれ医者ならばまあ昼寝ぐらいは許してくれる気もするが、あの酔いどれ医者の前だからこそ、綱吉は素では居られないだろう。
 何処までも虚構、何処までも演技―――本当の彼は、あの、眼。
 あれを再び見たいと思って、その演技を暴いたときの綱吉が見てみたくて、隼人は距離を詰めながら、化けの皮が剥がれるのを待っている。機会をうかがっている。
 だから、というには理由に甘いという自覚は、隼人にはまだ無い。
「世話焼けるんだよ……、10代目」
 大体なんでこんな処で、と悪態をついて、隼人は煙草を消した。
 こんなことで調子を狂われては困るのだ。




 ああなんだろう。なんだろう、あたたかい。
 自分を包む感覚に、覚醒しない意識で綱吉は疑問を持った。なんだろう、これは。ぬるくあたたかい感じ。けれど落ち着く。目覚め出した意識につられて瞼を開けても、それが何かはわからなかった。
「…………ん」
 体を起こすと、ぱさり、と何かが落ちて、同時に体感温度が下がった。ぼんやりしたまま其れを取ると、黒い其れは暖かく、覚醒しない意識はそのまま其れを被った。座り直して、肩から足まで入るように被る。あたたかい。もう秋どころじゃないな。ベストだけじゃ寒いし。いい加減衣替えかな。母さんに言っておかないと。
 綱吉は寒さには強い方だ。隼人や武はこの時期はもうカーディガンを着込んでいて、クラスメイトも皆厚着をする中、綱吉は一人、ベストだけで過ごせる。風強い日でもそんなに着込む程寒いと思わないし、ベストだけで十分暖かい。けれど今日は失敗だった。いくら朝が弱いといってももう少し考えるべきだったと、昼寝を決め込んだ其の時になってようやく後悔した。結果として眠れたけれど。
 ぼうっとしているとゆっくり意識が戻ってきて、漸く自分が何を持っているのか気になった。ぬくぬくと丸まって被っていた其れ。馴染んだ匂いと見覚えのある服。其れが何かわかった時、綱吉は首を傾げた。
「なんで……?」
 隼人のカーディガンだった。
 確かに彼は今日も朝から其れを着ていた。綱吉とは違い、隼人は寒がりで、いつも結構な厚着をしている。そんな彼が、と思うけれど、其処から仄かに湧き上がる匂いは、間違いなく、隼人の煙草の匂いだ。何かこだわりがあるらしく、彼はいつも同じものを吸っているから。
 しかしまさか。とも思う。彼は自分を疑っている。リボーンや武は解っていて「ダメツナ」の自分に付き合ってくれているようだが、隼人は違う。完璧に疑っている。この演技の為にまともな友人というのは始めて以来いなかったが、それでも人の眼には綱吉は敏感だった。今距離が近い彼らにならば尚更だ。ばれてはいけない。暴かれてはいけない。面倒になるのは眼に見えている。これ以上のいざこざは御免だ。だから綱吉は、他の誰よりも、隼人に警戒し、慎重だった。暴きに掛かっている相手にそうそう楽に接せるわけがない。
 そうやってかわそうかわそうと努力していたつもりだけれど。

「起こしてくれればいいのに……」

 自分を疑って掛かっている相手だと解っているのに、どうして、こうも寂しい気がするのか。
(起こしてくれたら、演技でもなんでも、昼寝よりは、ずっと……)
「……ずっと、なんだよ、俺。相手は獄寺君だぞ。今一番の要注意人物。危険人物」
 わざわざ声に出して、二度も警戒を呼びかける。そう、あれは、ただでさえ崩壊気味の自分の平穏を今以上に乱しかねない男だ。10代目、と犬のように忠実なふりをしている狐。気を抜いたら寝首をかかれるに決まってる。
 何を考えているのやら。自分で自分に溜息を吐いて、綱吉はまた昼寝をすることにした。午後の授業は全てすっぽかしてしまおう。其れがいい。第一これを返す時、どんな顔をして返せばいいのか。
 こういうのは、自分も、「ダメツナ」も慣れていない。
 煙草の匂いがするカーディガンを被って、綱吉は眠りについた。

( 暖かい其れが不思議でたまらない )


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