「おはようございます」
 其処に居たは、いつもどおり煩わしいほど礼儀正しく頭を下げて言った。隼人より頭一個分低い彼女は、上目遣いにじ、と彼を見て、何のリアクションも返してこない隼人の返事を待つ。
「……おう」
 隼人が返せたのはそれだけだった。こんな寒い朝に何の用だと首を傾げ、眉を潜める。が隼人の家を訪ねるなど、本当に珍しい、もしかして初めてではないかと思う。第一、昨日逢ったばかりだ。そんなことは如何でもいいのだが。
 は隼人が返事をすると、「ええと」とかなんとか言いながら、がさがさとショルダーバックを漁り出した。何だ、何事だ。彼女の行動はいつも言葉が足らず、何がしたいのか、何をするつもりなのか、これっぽっちも理解できない。けれど、寒空の中そんなことをさせているのは、流石に隼人としても気が引けたので、中に入るかと提案したところ、
「あ、いえ、お邪魔はしません。大した用では無いので。……ありがとうございます」
 漁る手を止めて、そう言った。伏目がちに、遠慮したように言うは、隼人の知るその人であったのだが、其の彼女にこんな朝から自分の家に来るような行動力があったのは意外だ。大した用ではないというが、此処まで来る時点で十分大した用のように、隼人には思えた。
 鞄の中で探し物はなかなか見つからないようで、は必死にがさがさしていた。隼人は今から10代目の御宅へ出かけるところであったから、急ぐ必要は確かにあるのだが、なんだか、こう、
(んな焦らなくても……)
 と思うのだった。まあこいつにも他に用があるのかもしれないし、と納得しておいて、一人暮らしであまり友人のいるタイプではないに他に誰か逢う人間が居ると思うと、其れは其れで、
(……気に食わねえ……って何考えてんだ俺は)
「よかった、あった」
 苛立ちと後悔に浸っていると、がそう呟いて顔を明るくした。漸くか、と頭を切り替えてを見ると、其の手に小さな包みがあった。申し訳程度に赤いリボンで飾った其れは、遠慮がちな彼女の眼とは裏腹に、ずずい、と押し出された。
「……?」
「よろしければ、受け取ってください。本当は、昨日が良かったのですが」
 訝しんだ隼人に、は相変わらず言葉の足りない説明をした。お前はいつも言葉が足りねえんだよ、と言おうとして、昨日が良かったの言葉を反芻して漸く理解した。―――昨日はクリスマスだ。誘われた先の沢田家で、見た目がすごく不良な隼人と見た目も中身も優等生なは、どちらにしろ見つかったら補導されてしまうような時間までわいわいきゃあきゃあと騒いでいたのだった。
「昨日は、渡すタイミングを逃してしまったので……」
 だから、朝から来たと言う。
「お前、相当暇人だな」
 思ったことがさらっと滑り出た。渡しに来てくれたことは、まあ感謝しないでもないのだが、だからと言ってこんな朝から来るのか……と呆れもある。呆れの方が隼人の中で占める割合が多かった。
 隼人の酷い言い分に、はへこたれる事は無く、いつものように苦笑を浮かべた。
「……私にとっては、大事な用ですから」
 そう言われてしまうと、流石に隼人も居た堪れない気持ちになる。が自分の物言いに噛み付いたり笑って流したりするタイプでは無いのは重々承知の上だが、どうしてもそう返してしまう。自分が少し嫌になる。彼女は隼人の言葉をひとつひとつ、確実な質量で受け取る。其れを疑うことはないし、其れに反発する事も無いのだ。自主性の無い相手では、自分の口の悪さは相性が悪いと思う。
 とりあえず中身が気になったので、隼人は片手でリボンを解いて其の中を見た。ふわ、とほのかに甘い匂いがした。
「あ、開けるのが早すぎます、獄寺さん」
「不味くて食えないってことはなさそうだな」
 よもや自分の目の前で開けられるとは思ってなかったのか、は慌てたように言ったが、隼人は聞く耳を持たず、其の一つを摘んで口に運んだ。軽い音と伴にクッキーは割れて、ちょうど良い固さと控えめな甘さがなかなか美味だった。
「……物品はお邪魔になったら、と思いまして……でも、お口に合うかどうかは、あの、その……」
 地味にしどろもどろしながら、はぼそぼそと言う。その内容とは違い、クッキーは美味しかった。しかし、美味しいのは確かだが、其れを素直に言うのは憚れた。素直に言ってたまるか。正直クッキーといえば姉の奇天烈お菓子を思い出してしまうのだが、何故か今回は思い浮かぶ事も無くつまめた事実も、言えるわけが無い。言う必要なんて無い。ので、隼人は味について言及はしなかった。


「お前、これから何か用あんのか?」
「え、いえ。何も。帰るだけです」
「……じゃ、ちょっと待ってろ」
 そういって中に引っ込んだ隼人に、は首を傾げる。何だろう、矢張り口に合わなかったのだろうが。それでも引き止めることは無いだろうし。あまり他人の思考を読むことに慣れていないは何度も首を捻り、其の間バタバタと騒がしい音が部屋から聞こえていたのだが、あまり気にはならなかった。
(とりあえず、渡せただけでも、満足……)
 がちゃん、と扉が閉まる音では顔をあげた。隼人は先ほどと違いジャケットを羽織って厚着をしていて、いかにもこれから外出します、と言わんばかりで。矢張り時間を取ってしまったのだとは後悔したのだが、
「ほら、さっさと行くぞ」
「え?は、い?」
 まるで一緒に行くように促されてしまって、は先ほど散々首を捻ったというのに、また捻った。目線の先の隼人は鍵をかけると目が合って、眉間の皺を深くして、顔を背けて先に歩き出した。
「あの、獄寺さん、何処に―――」
「借り作ったままじゃ落ち着かねえんだよ!それくらい察しろ」
 機嫌悪そうにそう言って、隼人はまたすたすたと歩き出した。その素っ気無い様子は相変わらずなのだが、いつもに増してそうなので、矢張り口に合わなかったかとひっそり溜息を吐いた。
(あれ……でも、だったら借り?って)
 考えてみても、矢張り隼人の思考が読めるではなく、とりあえず、先を行く隼人に追いつこうと小走りする。
 追いついた先、ちらりと見えたその横顔が、寒いのかな、赤いなあ、としみじみ思いながら、隼人の隣を歩いた。 

( 遅くたって伝えたかった )


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