時計を見た時、綱吉は落ち着かない気持ちになった。大晦日の夜はいつまでたってもテレビ番組は騒がしく、矢張り特別な日という認識があるのか、はたまた画面からの騒がしさの所為か、いつもなら既に寝ている時間だろうにイーピンやランボも起きていた。おかげでいつもに増して煩い夜は、何かと忙しく、面倒の後処理とか面倒自体に巻き込まれたりだとか、将に息つく暇も無い状態だった。如何にかこうにか落ち着けたと安堵と疲労の溜息を吐き、炬燵に入りふと時計を見ると、ざわざわと胸が騒いだ。もうすぐ十二時、と言っていい時間。
「ツナ兄、どうかした?」
「え、いや。……なんでもないよ」
 フゥ太の問いに笑って応えて、綱吉はまた時計を見る。チクタクと進む針は緩慢なようで、けれど早く年を越そうと焦っているようで、正確に一歩ずつしか進めない自分を憎んでいるようにも、綱吉には見えた。実際、落ち着かない気分でそわそわしているのは、綱吉だけなのだけれど。
(なんだろう、何か、うーん……)
 とにかく落ち着かないのだった。いつもなら真冬のこの寒さ、炬燵でぬくぬくと、眠気が訪れるまで何をするでもなくぼんやりしたり蜜柑を食べたりしているのだが、そうすることもなく、綱吉は時計と睨み合いしながら、そわそわもぞもぞと首を捻ったり腕を組んだり手を突っ伏したり、云々言いながら時間を過ごしていた。―――其の時。
「いい加減うぜえぞ」
「痛っ!何すんだよ……」
 伏せていた頭を思いっきり―――といっても蹴った本人はとても何気ない様子で―――蹴られ、涙目で綱吉はリボーンを睨んだ。いつもならもっと威勢良く詰め寄るところだが、例の違和感が消えないので綱吉の勢いは、脇で見ていたビアンキやキッチンからたまたま様子を見ていた奈々が訝しむ程脆弱だった。
「視界でそわそわされるとうぜえんだ」
「だからって足あげるなよ……、大体、別に、そんな」
「そんなに気になるなら」
 言葉の途中で、語気を強めたリボーンが詰め寄った。大した変化が起きない漆黒の大きな眼が、じいっと綱吉を見る。
「さっさと行けばいいだろ」
「行けって……何処に、」
「其れぐらい自分で考えろ―――逢いたいんじゃねーのか?」
 リボーンは綱吉から離れ、また炬燵の中に戻った。今度は綱吉がリボーンを訝しむ番だった。何を言っているんだ、何が言いたいんだ。確かに落ち着いてなかった自覚はあるけれど、蹴られるほどじゃないだろう。第一、行けって、逢いたいって、何処に、誰に―――
「あ」
「やっと解ったか、ダメツナ」
 疑問符ばかり浮かんでいた綱吉の脳裏に浮かんだ、たった一つの其れ。綱吉の其の様子に気づいたリボーンは、にやりと口角を上げ、呆れたような、安心したような、中間の溜息を吐いた。けれど綱吉にそんなことを気にしている暇はなかった。すぐさま時計を確認する。時間はあまりに無かった。
(ああそうだ、何で、俺。何でわかんなかったんだ!)
 今日は特別な日だ。今年一年が終わる日、新しい一年が始まる日。いつものように家でだらだらして、いいわけが無い。今日は節目。今あるものが役目を終え、新しいものが始まる、寸前。
 今この時だって、彼は家に、ひとりでいるのだ。

(―――獄寺君!)

「ごめん、俺ちょっと出てくる!」
 炬燵から飛び出して、言葉もそこそこに綱吉はドタドタと騒々しく階段を駆け上がる。奈々の疑問と不服が混じった声がしたが、綱吉の耳にはまるで聞こえてなかった。部屋のドアを開けると、すぐさま脱ぎ捨てたままのコートを取って袖を通す。外は寒いと決まっていて、コートは必需品であるにも関わらず、綱吉には其れを着ることが酷く面倒なことに感じられた。
 沢田家は居候が多くいつも賑やかで、だから忘れていたのか。そんなことは理由にならない。ただの自分の怠慢だ。賑やかさにかまけてすっかり抜け落ちていた。なんてことだ!綱吉は壁に頭を打ちつけたくなったが、そんな暇は無かった。靴紐が解けていて其れを結ぶのがまた面倒だった。時間が無いのに、早く逢いたいのに!
「どうしたの一体?」
 キッチンから出てきた奈々が、訳がわからないという顔で問い詰めに来る。けれど綱吉には訳を話す余裕も奈々の言い分を聞く余裕も無く、靴を履くとすぐさまドアノブに手を掛けた。
「ごめん、後でちゃんと理由話すから!行ってきます!―――帰るの明日かも!」
 一度振り返ると視界に奈々の怒った顔があったが、微塵も気にせず綱吉は家を飛び出した。


 絶対的距離で言えば近いのだが、今の綱吉にとって隼人の家ははるか彼方のように思えた。走っても走っても辿り着かないような気がした。嬉しい事に辿り着かないなんて事はなく、隼人の家の前に来て時間を確認したら、十分も経っていなかった。
(全力疾走なんて、生まれて初めてかも……)
 ぜえぜえと肩で息をしている間、けれども綱吉はそんな自分の肺臓よりも、目の前のチャイムを鳴らすか鳴らさないかで頭が一杯だった。今にして思えば、こんな時間だ。日付が変わる直前。つまりとっぷり夜なのだ。寝ていたら如何しようとか、迷惑だったらとか、其れは全て此処まで来て漸く悩みだしたことだった。家を出るときはあんなにも焦っていたのに、いざ着くとすぐに億劫になる。綱吉は自分の臆病者っぷりを憎んだ。此処で悩むぐらいなら、最初から考えてこればよかったのに。
「ごくでらくん……」
 逢いたい。一人にしたく無いんだ。君と居たいんだ。本当は四六時中ずっと一緒に居たいくらいだ。でもそんなの叶うわけ無いから、いつもいつも見ないふりしてた。家を出てから家に帰るまで、一緒に居るだけで十分だった。でも、やっぱり、一緒に居たい。特にこんな、他が大騒ぎしているような日には。一緒に居たい。―――けど。
(獄寺君は?俺に逢いたいって思う?俺と、一緒に居たいって思う? 俺だけ、かなあ……)
 そう思うと、チャイムに伸ばした手はほんの少しも動かなくなってしまった。綱吉は、十二月の寒さにも構わず、チャイムに指をかけたまま、難しい顔をして其処に佇んでいた。時間にして、五分ほど。当たり前だが新年への残り時間は同じように五分過ぎた。たかが五分、されど五分。綱吉はその五分の間に精一杯考え、獄寺隼人への迷惑と自分の願望を天秤にかけ、結局、
「……ええい、押しちゃえ!」
 ピンポーン、と綱吉の勢いには似合わぬ間の抜けた音を鳴らせた。
(……お、押しちゃった、俺)
 鳴ってしまったものは仕方が無いと解っているのに、綱吉の頭の中は悪い方の意見で一杯だった。此処まで来たのだから、という将に其の場の勢いだけでチャイムを鳴らせたことに後悔していた。どうしよう、鳴らしてしまった。寝てたりしたらすんげー迷惑だし。うわ。逢いたかったからとかそんな勝手な理由……いくら獄寺君でも怒るよなあ……。
 自宅の炬燵で悩んでいた時のように、綱吉は云々言いながら眉根を潜めた。矢張り寝ていたのか、夜中を訝しんだのか、扉の向こうに人の気配がしたのはそれなりに時間が経った、未だ大晦日のうちだった。足音がして、覗き窓から覗いたのか少し静かになって、綱吉はそっと来てくれた事を喜んだ。無視されても仕方の無い時間だ。もしかしたら大晦日に託けた悪戯かと思うこともあるだろう。綱吉が安堵に浸っていると、鍵を弄る音がして、それから、
「10代目っ!?」
「うわっ!」
「ああ!ス、スイマセン。驚かせてしまって……」
 物凄い勢いで扉が開いた。辛うじて頭をぶつけるなんてベタなことは無かったものの、あまりの勢いと隼人の声で、綱吉は身じろいでしまった。
「え、いや、俺の方こそ、ごめん。こんな時間に。えっと……こんばんわ」
 其処に居た隼人の顔は、今年最後にして今年一番の驚愕の表情だった。当たり前か、と綱吉は思う。何の連絡もせずに、こんな時間に訪問すれば、誰だって驚く。
(そういや電話しとけばよかったかな……だったら、まだ。あ、いやいや。駄目だ、やっぱり)
 そうなると、きっと隼人の方から沢田家に来ると言って聞かなかっただろう。家で皆で過ごすのも悪くは無いが、矢張り綱吉としては隼人の家で過ごしたかった。―――二人で。
「如何したんスか、こんな時間に?何かあったんですか?」
「ええっと、……用が無きゃ、逢いに来ちゃいけないのかな……。あの、やっぱり、迷惑……だよね」
「いっ……いえ!そんなことは全然全くありません!!」
 綱吉が先ほどの不安も混ぜて後ろ向きな返し方をすると、隼人は盛大に焦って饒舌に色んな事を口走った。わざわざ足を運んでくださって光栄です!10代目にお逢いできるならいつだって大歓迎です!迷惑だ何てそんなわけありません!等と顔を真っ赤にして言うものだから、聞いている側の綱吉は嬉しさやら恥かしさやらで頬を染めながら、其の勢いに呆然と呑まれた。
「それに、俺も出来れば、今日、お逢いしたかったです、し……」
 最後に、だんだん音量を下げながらボソボソと隼人が言った言葉に、綱吉は喜んだ。逢いたかったのは自分だけじゃなかった。恥かしそうに顔を背ける隼人をじいっと見ていると、其のうち背かれていた顔が綱吉の方に戻ってきて、目が合って、今度は二人同時に顔を背けた。いつもなら当たり前に向き合えているのに、先ほどまでの隼人の言葉だけで出来なくなっていた。
(目的は果たせた。逢いたかった。あとは、一緒に過ごせたら―――)
 綱吉が考えを纏めていたちょうど其の時、隼人の家から―――テレビの音だろう―――十二時を伝える音がした。一年が終わって、一年が始まったのだ。其れに顔をあげると、隼人も同じように其れに反応し、居間を振り返った。明けましたね、と綱吉を振り返って言う隼人は、綱吉の眼には少し嬉しそうに見えた。
(もしかして、同じこと考えてたのかな。君と一緒に、二人で、年越したいって……)
 そう思うと胸の辺りが暖かくなって、綱吉は嬉しくてたまらなかった。そうだったら、本当に、嬉しい。
「ね、獄寺君」
「はい」
 ちゃんと向き直った隼人に、綱吉は満面の笑みを向けた。

「あけましておめでとう」

( 誰よりも最初に君に )


back