は校内でもなかなかの美人と評判の一年生である。名前くらいは殆どの生徒が知っている。一年にはもうひとり、こちらは美人よりむしろ可愛いと形容される笹川今日子が居るが、彼女とは正反対の印象で、今日子が日向でよく笑うプラスイメージがあるのに対し、は日陰でひっそりとしているような、極めて深窓の令嬢的な少女であった。
 実際は中学生が手を出さないような厚い本を読み、教室の隅にぽつんと、しかし存在感のある様で其処に在った。一人でいることは多く、人付き合いは苦手だが、決して社交性がマイナスに向いているわけではない。むしろ話せば気さくに何でも聞くし、頼まれれば笑顔で了承してくれる人の好い方だった。ただ積極性に欠けた、ものすごく受け身なだけなのだ。自分から動くことは無いし、面倒に首を突っ込んで果たして迷惑でないかと思うほど気後れする。だから何かあっても、大抵、殆どは傍観に徹していた。
 徹しているのだけれど、最近そうでなくなった。

「えっと…………1?」
「…………」
「2とか……」
「…………」
「4じゃね?」
「……あの、申し上げにくいのですが、3です……」
「あ……ごめん」
 綱吉が答えるたびには複雑な顔をし、最終的に間違っても居ないのに大変申し訳なさそうに口を開いた。誤答した綱吉の方が恐縮してしまう態度で、綱吉は慌てて謝った。武はその様子をにこにこと見ているだけだったが。
「で、でも1番は誤答を狙っての選択肢ですし、沢田さん、惜しかったですよ」
「そうかな……、うん、ありがとう」
「はい、あと一歩です」
 元気付けるようにが微笑むと、其れはなかなかの効果を奏し、綱吉はやる気を取り戻して問題に向かう。武には当てずっぽうで答えないように、と釘をは刺した。苦笑して流されたが。
 は、沢田綱吉と山本武の補習教師代理を勤めていた。―――つい、一時間程前に決まった事だが。
 補習がある事は当人である武に聞いていたので知っていた。だから今日は残りもせず速やかに帰宅しようと廊下を歩いていたら、突然教師に捕まった。急な用が出来たので、代わりに補習をやってくれ。普通なら考えられない頼み事であったが、生憎とは人に頼まれたらよほど無理でないと断れないタイプの人間だった。教師も其れをわかっていたのかもしれない。は渋々ながらも補習用のプリントを受け取ることにした。踵を返し教室に戻ると、やりやすいようにか生徒は黒板近くの席に集まっていた―――と言っても、二人だけだった。たった二人だった、という言い方のほうがいいかもしれない。沢田綱吉と山本武。赤点補習ルートの常連だとは承知の上だったが、まさか二人だけとは。 いくらなんでも予想外、だったが、としてはありがたかった。
 武は並盛に来てからの付き合いだし、沢田綱吉とは今回が初めて話す機会だが、付き合いやすい印象を受けた。少し怯えているようなところもあるが、としても其れは同じなので、お互い様だろう。
 この二人だけが並んでいるのも珍しい、と懸命に問題を解いている綱吉と武を見ながら、はふと思った。常ならばもう一人、獄寺隼人が居るはずである。綱吉と隼人というコンビならよく見るが、綱吉の傍にいつも居る彼が居ないというのは珍しい。補習を受ける必要の無い彼が此処に居たとしたら其れは其れで珍妙だが、この二人だけ、という状況なら教師に無理言って、あるいは無言で堂々と居座って居そうである。其の辺りは綱吉のことを考えて、だろうか。
(獄寺隼人……)
 銀髪の帰国子女。おそらくハーフかクォーターか、西洋の血の方が濃い目に混じっているのだろう。綺麗な顔をして、けれど綱吉以外には眉間に皺を寄せて、如何にも不良という佇まい。女子に人気は高く、武と張り合える程の人気っぷり。あの不良なところがワイルドで良いらしい。……にはさっぱりな話ではあるが。
(所詮は、上辺……かあ)
 クラスメイトの黒川花がそんなことを呟いていたのを思い出す。瀟洒な花の口ぶりはストレートで痛烈だが、的を射ているとは思う。大して知りもしない相手に、好き嫌いの感情を抱くのはどちらにしても失礼ではないだろうか。―――獄寺隼人に関しては、少々、知っている事もあるけれど。

「……はい、正解です。お疲れ様でした」
「おわったー!」
「おつかれさん」
 最終的に綱吉待ち状態だった補習はなんとか終了した。綱吉のダメツナっぷりは噂で耳にしていたものの、丁寧に教えればちゃんと理解してくれるので、指導に苦労はあまり無かった。けれど其の分時間も喰うもので、とっぷり夕陽も暮れかかっての、終了だった。
、このまま帰るんだろ?送ってくって。いいよな、ツナ」
「そうだね、もう遅いし。途中まで一緒に……って、そういや山本、と仲いいの?」
「おとなりさんだぜ。なっ」
「はい。皆さん驚かれますよ。私と武さんは全然タイプ違うから」
 確かに、と綱吉は納得した。驚くのも無理は無い。二人を比べると、共通点を探す方が難しく思える。には自覚があるようで、綱吉の驚いた顔を見てくすくすと品よく笑った。
「じゃあ、私、このプリント提出して来ますね」
「おー、途中で転ぶなよー」
「転びませんよ……」
 少しむくれて、はパタパタと早足で行った。其の背中を見送ってから、綱吉は親友を振り向き、
「山本、いくらなんでもあれは…」
「ん、ツナ知らねえのか。はさ、―――」
 俺じゃあるまいし、と言おうとした綱吉に、武は信じられない事実を教えた。




 心配してくれていると解っていても、矢張り、武の一言には溜め息を吐かずには居られなかった。確かにこれは問題だ。作業効率が悪いし、昔ほどではないと言っても怪我はするし。痛いとかそういうことはは如何でも良かった。ただこのことで周りに迷惑をかけるのが嫌だった。幼馴染である武は、其れこそ並盛に来た時からこの事で迷惑を一番掛けてきた人間だ。小学校の高学年、更に中学に上がってからは落ち着いてきたとはいえ、問題視しないわけにはいかない。
 治そうと思えば治せないこともないだろう。そうすれば武や周囲に余計な心配をかけることもなく、恙無く日々を過ごせる筈だ。
(……でも、なあ)
 などと考え事をしていた所為か、開いていた窓から入ってきた突風に、手元のプリントが攫われてしまい、
「あ!」
 慌てて其れを追いかけるは、足元が階段であることをすっかり失念して、
「え!うそっ―――!」
 気持ちの良いくらい綺麗に階段を滑り落ちた。
 目の前をひらひらと、紙が数枚舞った。
「…………」
 突然のことではあったが、哀しい事に体が慣れてしまっているので自然と受身が取れて、怪我は一つも無い。非常に有り難い事なのだが、其れを有り難いを思う余裕は無かった。
 目の前をひらひらと、紙が床に落ちた。
 そのすぐ傍に、人の足。ゆっくりプリントを取り上げる手には、普通の中学生が到底つけないようなものがじゃらじゃらと、けれど煩わしさは無く似つかわしく付いていた。
 おそるおそるが顔をあげると、とんでもなく珍しいものを見たような唖然とした顔で、―――獄寺隼人が其処に居た。
「…………!!」
 は顔を真っ赤にして立ち上がった。久々に大袈裟に転んで、しかも人に、クラスメイトに、獄寺隼人に見られたのだ。今日は厄日に違いない、嫌ではないとは言え、補習代わりを命じられたし、転んだし、見られたし。
(見られた、恥かしい、大体、なんで、こんな、よりにもよって、うわあ……)
「…………」
 一方目撃した側の隼人も如何ともし難い状況だった。そろそろ10代目の補習も終わる頃だろうと見計らって教室に向かっていたところ、階段上から何やら悲鳴のような声がすると思ったら、その声の当人らしいクラスメイトの女子が勢いよく、転ぶといべきか滑るというべきか、そんな感じで振ってきたのだ。驚かずには居られない。
(この年になって、こんな派手転ぶ奴―――普通居ねえ、あり得ねえ……すげえ……)
 呆れを通り越して、驚きと感嘆だけが、隼人を占めていた。それほど大胆には滑り落ちた。
 とにかく、二人とも交わす言葉が見つからなかった。




「―――階段では手すりが無いと絶対転ぶぐらい平衡感覚悪いんだ」
「うそぉ……」
「ホントホント。階段どころか何も無い処でも転ぶし、たまに自分の足踏むし。ガキの頃は登下校で二回ずつ転んでたぜ」
(……誰かに似てる…………)
 今は結構改善されたけどなー、と呑気に言う親友をよそに、兄貴分なキャバッローネ10代目を思い出して、あながち嘘ではないかも、と綱吉は思った。
 結局のところ世の中完璧な人間などいないのである。

( 百合の花にはいまいち成り切れない )


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