いや、これはでか過ぎるだろ……。
 綱吉の正直な感想だった。隣の親友も同じらしく、珍しく言葉が無いようだった。無理も無いと綱吉は思う。
 場所は、高層マンションの真ん前。
 獄寺隼人の新居であった。


「うーん、此処までとは思ってなかったな……」
「確かに無駄にでかいって言ってたけど……うん、無駄にでかい」
「一人暮らしの家じゃないなこりゃ」
 苦笑しながら二人揃って呆気に取られつつ、とりあえず中に入る。自動ドアを抜けるとロビー手前でまた自動ドア。けれど勝手は違うらしく、どうやらインターフォンで開けて貰わなければならないらしい。前もって知らされていたとはいえ、矢張り慣れない所為もあって、綱吉と武は居た堪れない気分だった。以前までの雰囲気とはまるで違う其れに気圧されつつ、恐る恐る隼人の部屋の番号を打って隼人が出るのを待つ。気分ははじめてのお使いのようだった。何度かコールする……と思いきや、1コールも鳴りきらないうちに、スピーカーから10代目っ!と相変わらず武丸無視の隼人の声がした。
「わっ、え?獄寺君?」
「ん?向こうからは見えてるのか?」
『カメラついてるんスよ。10代目のお顔がよく見えます!っておい、お前が出張るな野球馬鹿』
 おーこれか、とボタンの上辺りに目立たないようにあるカメラを見つけて武が感心していると、いつもどおりの隼人の連れない言葉が飛んできた。住む場所が変わっても変わるものじゃないしな、と綱吉はひっそり安堵の溜め息をついた。

 隼人が以前の家から此処に引っ越すことになった一番の理由は、この二人の所為ともいえるし、年頃の所為ともいえた。三人とも恙無く高校入試に成功し、入学式を待つばかりとなった春。隼人の家で三人のんべんだらりと過ごしている内、最初に気になったのは綱吉だった。もとより隼人は家事が得意なタイプで無いことは知っているが、其れにしたって物が多い。乱雑だとか散らかり放題というわけではないが、どうも、秩序がありそうで無い感じだ。其れを武に伝えると、言われてみればと同意が返ってきて、武の口から隼人に届いても、矢張り返って来たのは確かにそうですねという言葉だった。
 初めて綱吉と武が来た時は、趣味以外に頓着しない隼人の家といえば非常に其れらしく、必要なものですら最小限ですらなかった。他にある物といえばダイナマイトと服飾の類。食料すらまともに無かった。家人の生活が非常に心配になった綱吉と武は、来る度に何かと置いていき、隼人もなんだかこそばゆくて其れを家の物とした。二人に勧められ隼人自身の私物も増えていき、生活用品以外の物も、入り浸る事の多い綱吉と武の私物もだんだんと増えていった。気がついた頃には、立派に中学生の部屋だった。
(そこまでは良かった。俺も、山本も、獄寺君も)
 そうして月日が経つと、今度は対極の問題が表面化した。物が有り過ぎたのだ。元々一人暮らしの隼人の家に、大量のダイナマイトと私物があるだけならば問題は無かった。綱吉と武の私物が問題になったのだ。流石に小さな部屋に三人分の私物は納まりきらない。中学卒業もあって高校も今の家より少々遠くなるし、何よりこれからも私物は増えるだろう。ならば、とリボーンも含めて四人で話し合った結果(正しく言えば一方的にリボーンが弾き出した結論)は、もっと広い家に越すという事だった。三人が三人、捨てるなら自分のものをと主張しあった為、私物を捨てるわけにはいかず、力技に近いとはいえ其れしか方法は無かった。
「……だからって、ねえ?」
「はは、俺達とはレベルが違うのな」
 マフィアの考える事はさっぱりである。色々あった末用意したのは沢田家光で、実子である綱吉は溜め息をつかずにはいられない。確かに、出来れば学校に近く広い処という条件しか出さなかったものの、だからと言ってこんな高級そうな場所にしなくても。自分の父親の限度の知らなさを反芻して、綱吉はエレベーターの中で盛大に溜め息を吐いた。隣の武は、すぐまた狭くなるよりいーじゃねーか、と爽やかに前向きだった。それもそうかも。綱吉は納得したけれど、溜め息を吐きたい気分に変化は無かった。

「中も広いのなー、やっぱ」
「まだ整理出来てないんで、足下気をつけて下さいね」
「うん、ありがと」
 武の呟きどおり、中も中ですごかった。これは絶対に一人暮らしする家ではない。二・三人ぐらい住んでいるべきだ。綱吉と武はきょろきょろと遠慮なく見回しながら、隼人曰く無駄に広い、今のところ段ボール箱だらけの部屋を見回した。
「あんまり広くて、落ち着かなくならない?」
「そっスね……。一応、寝るとこはまだちっさいんで、平気ですけど」
「あ、ホントだ。でもベッドしかねーのな」
「今んとこ置くものがねーんだよ。」
 言いながらお茶の準備をしようとする隼人を綱吉が止めて、さっさと作業に移ることになった。今日は、そこらにごろごろしている段ボール箱の中身―――主に三人の私物を整理する為に来たのだ。
 不思議になるくらい沢山の私物が出てきた。雑誌・マグカップ・CD……何故置いたのか解らない物までぞろぞろ出てくるものだから、綱吉は終わらないのではないかと焦った。しかも其れを整理するのがまた楽しくて、楽しみすぎて時間が掛かった。これは彼処、あれは其処、其れは此処と、誰かが置いて、さらに誰かが並べ変えて(途中で武の並べ変えに隼人がブーイングを出したりして)を繰り返していた。三人とも揃って整理や掃除が苦手であるのにも関わらず、この度の整理はとても楽しくて楽しくて、あれやこれやと意見し合い、進むスピードは速いものの終わる気配が無かった。
 昼過ぎに始めた作業が一通り片付いたのは、夕陽の暮れかかった茜空が見える頃だった。
「どうにかなった……、俺達、こんなに物置いてたんだね。ちょっとびっくりした」
「俺も。でも、しょっちゅう入り浸ってたし、当たり前っちゃ当たり前だな」
 休憩に、とお茶を淹れに行った隼人を見送ってソファに腰を下ろし、綱吉が言った。同じように腰掛けて、武が間延びしながら頷く。片付いた家は、初めよりもずっと生活感が出て、間取りも大きさも全然違うのに、綱吉には『獄寺君の家』と認識できた。私物効果、すごいなあ……。
(……広くなったのは、いいけどさ)
「ん、疲れたか?」
「あ、ううん。なんでもない……、ちょっと疲れたかも」
 引っ越す事が決まってから耐えない悩みに嘆息した綱吉を見て、武は目敏く其れを見つけた。思い返せば待ち合わせた時からおかしかった気がする。なんとなく、に過ぎないが、これでも付き合いは濃いのだ。そっとしておくべきか訊くべきか、少し悩んで、武は綱吉を覗き込んだ。
「ツナ、何か悩んでるだろ」
「え、いや、…………うん」
 最初は誤魔化そうとした綱吉だったが、相手は山本武、誤魔化しきれる気がしないし、誤魔化すのも罪悪感が沸いた。ので、素直に頷き、チラリと隼人が消えたキッチンを見る。まだ来る気配は無い。
「その、さ。なんか……此処、広くて学校もすぐ傍で、良い処だと思うんだけど……」
 条件に合っているし、何かと都合の良い場所だ。一般的に言えば。けれど綱吉はどうも気に入らなかった。理由も自覚していて、だからこそ、口を噤んでいたのだけれど。
「……遠い、じゃん。俺や山本の家から」
「あ……なるほどな」
 武は綱吉の言葉に納得して、頷いた。以前に比べ、大した距離で無いと言っても、距離が開いた事は確かだった。以前の家は綱吉の家に近かったし、武の家に対しても其れは偶然にも変わらなかった。だから三人は簡単に集えて、簡単に時間を一緒に出来た。三人だけの時間をのんびり過ごしていられた。―――けれど。
「今までは、三人で学校行ったり、放課後寄ったり、簡単に獄寺君家行けたりしたけど、もう無理かなって思うと、……なんとなくやだなって思って」
 ああなんて身勝手なんだ。綱吉は何度目かもう解らない溜め息を吐いた。此処に来る前から吐いている溜め息は、隼人の家が遠くなった事ではない。こんなことで悩んでいる自分が、色んなものが小さい気がして、嫌になっていた。引っ越す事は必要ないこと、仕方ないこと。変化に伴って今まで出来たことが出来なくなったりする事は、当たり前なのに。
「其の事は、もう仕方ないことだからいいんだけど。でもなんか、俺すっごい自分勝手だなって、思って……」
 はあ、とまた溜め息を吐いた。贅沢な悩みだと綱吉は思う。本当は、一緒に居れて、一緒の学校に行けて、三人一緒、其れだけですごく幸せで、嬉しいのに。もっともっと一緒に居たいなんて。
(俺、いつの間に、こんな欲張りになったんだろう)
 自分と、隼人と、武と。三人で一緒に居るのが幸せで、其れが当たり前になってしまっている。これからもずっと一緒、なんて保障は何処にも無いと言うのに。

「んー………」
 すっかり落ち込んでしまった親友を見て、武は苦笑いをしながら頬をかいた。気持ちは解る。すごく解る。武だって本当はこの場所は憎らしい。今までのように、簡単にはいかなくなるだろう。でもどうしようもない事で、武はそう割り切った。割り切ることにした。けれど綱吉はそうもいかない。彼は離れることに慣れていないから。
(どうしようもねえけど……、ちっとぐらい、明るい顔にしてやりてえな)
 おそらく、今せっせとお茶の準備をしている隼人もそうであるだろうし、このまま戻って来たら、お前10代目に何しやがった!と噛み付かれるに違いない。其れ自体は苦ではないけれど。―――ツナをこのままにするのは勘弁だな。
 どーすっかな、と考えているとすぐさま名案が浮かんだ。これで綱吉の悩みが払拭されるわけではないが、今日は元気になってくれるに違いない。幸い、非常に私物が多いから不可能ではないし、以前もよくやっていたことだから二人も抵抗は無いだろう。
「お待たせしました!……10代目?」
 思いついた矢先、ちょうどタイミングよく隼人が戻ってきた。そして目敏く落ち込んだ綱吉を見つける。
「どうかなさいました? まさか山本の馬鹿に何かされましたっ?」
「そんなことないって!別に何も無いよ。ねっ、山本」
 武の想像通り突っ走りそうになった隼人を宥める為、綱吉は武に同意を求める。が、武は素直に肯定は示さなかった。流れを全て無視したとしか思えない、

「な、獄寺。今日俺ら泊まっていいか?」

 そんな科白を吐いた。
 綱吉と隼人は、当然ながら一度固まり、
「はあ?」
「えぇ?」
 間の抜けた声を出した。夕陽は沈んで、すっかり夜の時間だった。


 結局、武の言わんとする処を理解した綱吉の加勢があって、隼人も10代目には叶わないと提案を呑むことにした。三人は未だ片付き切っていない家の、無駄に広い部屋で、布団一枚を取り合いしながら雑魚寝することになり――― 久々のことに、綱吉は、楽しくて楽しくて、幸せだった。
 ほんの少し、三人で寝ても余裕のある無駄にでかい家を用意した家光に感謝した。

( いつだって一緒に居たくて、笑って欲しくて )


back