誰か、誰でも良いから、あの男の図々しさを誰かどうにかしてくれ。いくらしたと思っているんだ全く!
 あーもー、見てろそのうち絶対後悔させてやる!

 * * * *

 目の前にどんと置かれた箱を見て、雲雀恭弥は疑問符しか湧かなかった。白くそれなりに豪奢な其の箱は、応接室に相応しいようで、並盛中学校の応接室といえば微塵も相応しくない。白い箱は如何にもお土産な風情の大きさでしかし目の前に其れを置いた少女がそんな甲斐性のある人間かと問われれば、恭弥にしてみれば、どうでもいいの一言に尽きる。けれど確かにこれが何かは気になる点であるので、矢張り恭弥が最初に彼女に向けた言葉は、
「なにこれ」
 なのである。そして其の言葉を受け取った少女―――の返事はといえば、
「ちょこれーと」
 なのであった。


 親しい人間にしか断りを入れず此処暫く無断欠席していたは、他の生徒が聞けば羨む様な旅行に出ていたらしい。急用が出来たとか何とかで、2月の中旬には学校から見えなくなり、帰ってきた今日はもう三月。この自由を満喫することが抜群に得意な少女は、その間のあらゆる学校行事を無視し続けていた。別にそんなことは如何でも良いのだが、帰ってきて早々のこの箱は何なのか、今だ説明が無いのが恭弥は癪だった。
「だから、チョコレート。バレンタインはちょっと過ぎちゃったけど」
 学校中の女子がきゃあきゃあと煩わしく騒ぐ、もう一月程前のイベントを思い出して、恭弥は溜め息を吐いた。あの時は靴箱一杯にチョコレートが詰まっていて、持って帰るのにも食べるのにも苦労したから。何度取り締まっても其の日の少女達はめげずにチョコレートを持ち込み続けるので、風紀委員は咎めるのを既に諦めている。何故あんなにも日本人が勝手に作った外国のイベントに必死になれるのだろうか。謎だ。
「ちょっとじゃないと思うけど」
「細かい事を気にしちゃ駄目だ。今日がホワイトデーだなんて気にすること無い」
「今日は十五日だけど」
「今更一日ぐらい気にしちゃそれこそ負けよ。ま、お土産とでも思って受け取って―――あ、一個だけだからね」
「…………」
 目の前にどどんと置いておいて、このうちの一つだけだとほざくは本当にけちくさいと恭弥は思った。どうせくれるのなら全部くれればいいのに。土産なんだし。
「だから、本当はバレンタインのチョコレートなんだってば。あのね、君、これ一個あたりいくらすると思ってるの?日本円に換算して三百円するのよ、三百円。そんなもん箱で人にあげられる程あたし太っ腹じゃない」
「じゃあ別のにすれば」
「でもこれすっごく美味しいの。だから食べて欲しいなって思ったんだけど、生憎の値段だから、人にあげるのは一個だけ。残りはあたしの」
「…………」
 のけちくささは今に始まった事ではないので、さして気にすることではない。当然という顔でまくしたてるを放っておいて、箱を開ける。中には一口大の個包装のチョコレートが並んでいた。いや包装の中身が見えるわけではないが、がチョコレートだと言ったのでチョコレートなんだろう。これまた包装が大人しく豪奢で、が値段を気にしているのが多少なりとも理解できた。―――だから、そんなに人に配るなら、別のを買えばよかったじゃないか。
 ぴりぴりと包装破るとチョコレートの甘い匂いが拡がった。しつこく残らない匂い。恭弥はあまり期待はしてなかったが、口に運ぶと思いの外自分の舌に合って―――の言うとおり、美味しかった。


「美味しいでしょ?」
 が首を傾げて訊くが、恭弥は返事はしなかった。よく噛んでいるようだ。三十回。行儀良いな、君。
 まあ文句が出ないあたり、気に入ってもらえたようだ。そりゃあそうだ三百円するんだから。これで文句が出たらあたしは君から何が何でも三百円返して―――
「ちょちょちょちょっ、ちょっと雲雀!?」
「なに。手、邪魔なんだけど」
「何じゃなくて君何次を開けてるんデスカ雲雀恭弥サン!?」
 がし、と恭弥の両腕を掴みは叫んだ。其の先の手にはしっかりと個包装のチョコレートが掴まれていて、如何にも今から食しますという様だった。
「雲雀さん?あたし言ったよね?一個だけだって!」
「言ってたね」
「じゃあ何でもう一個手にとっているのかな!?」
 詰問すると、恭弥はいつも詰まらなさそうに曲がっている唇を更に尖らせた。今の其れはあたしにとって悪魔の微笑も同じ!そんな顔したってあげないもんはあげないんだから!がじぃっと睨みつけても、恭弥に効くわけでもないことは百も承知だったが、そうせずには居られない。そのうちにふっと恭弥が視線を逸らし、其の手にあるチョコレートを見やった。自然にも其れに視線を向けると、
「ああっ食べたああああ!!!」
 何を如何したのか、見事に片手だけで包みを開けて、恭弥はの叫んだ通り、一口大のチョコレートを口に投げ入れた。
「うるはいよ、ひみ」
「食べながら喋るな!ていうか三百円強もするチョコレートを投げて食べるな!いや何よりも返せ!!」
「…………、もう胃の中だから、無理」
「ナチュラルに食べて飲み込むなぁー!!」
 遠慮とか配慮とかそういうものを知りなさい!と叫んでから、肩で息をしていたは大きく溜め息を吐いて恭弥の腕を離す。ああ、なんでこの男、あたしの話を一割も一分も一厘も聞かないかな。
「一つ三百円強もするのよ。すなわち君の胃に入ったチョコレートは合計で」
「七百円弱」
「わかってるなら喰うなっ、一個って言ったじゃない!」
「如何して僕が君の都合を考える必要があるの」
「あたしも大概自由人だと自負してるけど、なんであんた其処までフリーダムに生きていけるのよ。もっと節操と節度と限度を知ろうよ」
「一ヶ月近く学校にこなかった君に、何の柵があるんだい」
「何、心配してたの?寂しかった?」
「咬み殺されたいの?」
「七百円弱分もチョコレート食っててまだ咬み足りないんですか貴方」
「…………君と話すの、疲れる」
「あんたねえ……―――もういいや。美味しかったでしょ?」
「不味くは無いよ」
「うわあ、期待してなかったけど、もうちょっと言い方あるでしょ」
 もういいや、とはもう一度言って、頭を掻いた。この男に普通の常識を求める方が間違っていたと観念して、箱を紙袋に仕舞う。これ以上此処に置いておいたら、いくつ恭弥に食べられてしまうかわかったものではない。
(全部なくなってもおかしくない……雲雀ってこんな甘党だったっけ……?)
 そう思った後、そういえば餌付けであげているものは全部ケーキとか飴玉とか、お菓子ばっかりだったと思い出して、やっぱり甘党だったのかと嘆息する。
「はい」
「え。何?」
「ごみ」
「あたしに捨てろってか」
「欲しいならあげるよ」
「あーもー……今までよく一人で生きて来れたね。この部屋よく掃除して……ああ、草壁君達か」
 無言で返事を返さない恭弥に、は一人で納得した。彼らも随分恭弥に執心だが、なんだかんだで此処に結構居る自分も執心だなあと再確認しつつ、応接室の隅にひっそりと居るごみ箱に包み紙だった其れを捨てた。
「あーもーやっぱり君は最後にするべきだったなー。場所わかってるから渡すの楽だと思って最初に来たんだけど」
 まあいいや、気にいってはくれたようだし。不味くは無いとしか言ってないけど。渡せた事実はあるのだから、それでいいかと納得し、は、口の中が甘い、水とをお茶くみか雑用か何かかと勘違いしているらしい恭弥を放置して、紙袋を持って応接室を後にした。


「あ、草壁君、お疲れさま。これ、風紀の皆で食べてね。雲雀が二つ食べちゃってるけど、多分足りるよ。まあ気に入らなかったり余ったりしたら、返して―――いや、雲雀にあげて。諸手はあげないけど喜ぶと思うから」
 ちょうど入ってくるところだった風紀委員副委員長に、先程応接室で開けたばかりの箱を押し付けて、は次なる相手の下へ歩き出した。押し付けられた方はわけのわからないことばかりだった。

( 君の自由にはもう慣れっこだから )


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