「…………」
 其処に居るは、隼人の眼にはとても歪に映った。屋上のフェンスの傍という場所を考えれば、決して生徒が居ておかしい場所ではないし、が座れる場所であれば何処でも本を読む人間であることも承知の上だが、それでも違和を感じたのだ。
「あ、獄寺さん」
「……よお」
 其れを口にする前に、に気づかれてしまった為、訊く事は叶わなかったが。
 喫煙ですかと問うて来るに、返事の代わりに歩み寄る。一人分の距離を開けて、隼人はの立つ隣に腰を下ろした。煙草を取り出し火をつけると、隣からがしゃ、と音がして目を向けると同じようにも腰を下ろし、手には矢張り本があった。屋外に出てまで本を読むに最早驚く事も無く、隼人は当たり前のように其れを放っておいた。いつものことだ。
「…………」
 其の様子はいつものことではあるが、しかし先程の其れは違う気がする。フェンス越しに空を見ることはあれ、フェンス自体をじっと眺める人間はそうそう居ないと隼人は思っている。何かフェンスに思い入れでもあるのか、のキャラクターを其処まで把握しているわけではないが、隼人の内にある像であればまあ無理ではない。隼人からしてみれば、彼女は説明に言葉が足りないわよく転ぶわかなり抜けているわで、もう何がきてもおかしくはないのだ。
「……えと、何か?」
「っ!」
 視線に気づいたのか、が本から顔を上げて隼人を向く。何か用ですか?、それとも何か顔についてますか?、と首を傾げては片手で頬辺りをぺたぺた触っているが、勿論隼人が考えていたことはそんなことではないので、突然振り向かれた事に驚きつつも、必死で其れを隠し、
「なんでもねえよ」
 と顔を背けるのだった。第一、何故自分は大人しく(一人分空けているとは言え)彼女の隣で煙草を吸っているのかわからない。先客が居たなら追い出すか場所を変えるかするというのに、が居るという事実においては其のどちらも適応しなかった。顔馴染みである以上追い出すことは出来ないし、場所を変えるというのも放課後のこの時間は何処も部活動やらで埋まっている。だからといえば確かにそうなのだが、どうもその理由は後付けのような感じがして、隼人は自分で自分が気に食わなかった。
(……調子狂う)
 と二人で居るといつもこうだ。何やらどうも、わけのわからない理由の無い行動に出てしまう。いい加減理由を判明させたいところなのだが、如何考えても答えが出てこないので、隼人は半ば諦めていた。
「フェンス、直ってしまいましたね」
「―――は」
「あ、獄寺さんは、あの時いらっしゃらなかったですね」
 ふと呟いては、隼人の間の抜けた声を聞いて、は申し訳ありませんと言った。何が何だ。矢張り、の科白は何処か言葉が足りない。しかも、大事なところが。
「何がだよ」
「……武さんが、如何して沢田さんと仲良くなられたかは、ご存知ですよね」
 其れは確かに知っていた。本人達に直接聞いたわけではなく、人伝に聞いただけでは在るが、ことの顛末は知っている。
「野球馬鹿が怪我をして、自殺しかけて10代目がお助けになった、だろ」
 其の通りです、とは微笑んで立ち上がる。つい先ほどまで本のページを捲っていた指先が、フェンスを緩く掴んだ。
「其の時崩れたフェンスが、此処です。今日の午後―――授業中ですけど、終わったんですよ、修理」
 言われてみれば、隼人が足を運んだ理由もそれである。毎日騒がしくて、自分だけでなく当事者である綱吉や武も忘却の彼方だったが、屋上は暫く立ち入り禁止だった。偶然階段前を通りかかった時はかかっていた立ち入り禁止の看板が、先程来てみればなくなっていたので、隼人は時間つぶしに此処を選んだのだった。
 に倣って立ち上がり、フェンス越しに地上を見る。確かに此処から落ちれば死ねるだろう。どれだけの度胸が必要か、などとは考えたくも無い。武にとって野球がどれ程大事なものだったかという証明になるが、隼人が計れるものなどではないだろうから。
「武さんが、言ってました。野球馬鹿から野球とったら、馬鹿ですらないんだって……」
 だから、其の時は、もう何も無い思って。
「私には、……よくわかりませんでした」
「……あいつの考え方だろ。お前が全部理解する必要ねえよ」
 妙に思いつめているように見えて、隼人はつい、慰めるような言葉を吐いてしまった。おそらく隼人だけでなく、と付き合いの無い人間が全てそう思うだろうが、絵に描いたような大人しい美少女であるに儚さ等を足してしまえば、其れこそ今にも倒れたり死んだりしそうな印象なのである。無論そんなことは無いと付き合ってみればすぐに解るが、矢張り其の簡単に手折られてしまう花のような印象を完全に拭うのは難しい。彼女は、何処か、無いような気がするのだ。足りないのではない、欠けているのではない。『無い』ような、気がする。無論、其れが何かは隼人は知りえない。きっとあの野球馬鹿がカバーしてやってるんだろ。
「それは、そう、なんですけど……そうじゃなくて」
 顔を俯かせて、はぽつりと零す。白い指先がフェンスを弄る。うまくまとまらないようだ。隼人は少し苛立ったが、其処は我慢しておく。彼女を急かして良い結果が生まれた覚えは、まだ浅い付き合いとはいえ無いのだから。話を聞いてやりたいと思うなら、気長にならねばなるまい。
「……私には何も無かったから。何も無かったのを、助けてくれたのは武さんで……。それだけだと言う武さんの言葉の意味が、わからなかった」
「―――」
 が何を言いたいのか、隼人は捕らえ切れない。相変わらず彼女は言葉が足りず、ゆっくり選んだところで其れは同じだった。結果は同じだが、其れでもいつもとは違うことぐらい、隼人には察せられた。おそらく彼女の中でも、まとまっていないのだろう。あの時思ったことを言葉にするのは、今思うことを言葉にすることよりも、何倍も難しいことであるのに、当時もまとまっていなかった想いだろうから。
「ごめんなさい。意味、わからないですね」
「…………とりあえず、」
 確かに言葉は選びきれなくて、上手くまとまっていなかったけれど。少しだけ、ほんの少しだけだけれど、伝わった。彼女が言わんとするところとは違うかもしれないが、間違ってはいないはずだ。

「死んじまわなくて良かったな」

 あんな馬鹿でも死なれると夢見が悪いだろ、と付け加える。眼をきょとんと見開いていたは、其処まで聞いてから、
「―――ですね」
 先ほどまでの硬質な無表情とは別に、嬉しそうに眼を細めた。
「沢田さんには、また改めて御礼をしないと」
「あったりまえだ。お前何もしてなかったのかよっ」
「失念しておりました……。菓子折りで良いのでしょうか……」


 等と話して、其のうちに時間が来た。補習授業の終了時刻に鳴るようにセットしておいた隼人の携帯電話が、正しく其の時間を告げたのだ。思いの外、との会話を楽しんでいたらしい自分が、急激に照れくさくなった。
「獄寺さん」
 教室に戻ろうとした隼人をが呼び止めた。すっかりも一緒に戻るものだと思っていた隼人は、意外にも空いていた距離に驚きつつも、の言葉を待つ。
「その、ありがとうございました。聞いて頂いて。あんなお話、人にするのは初めてでした」
「…………別に、聞くぐらい誰でも出来るだろうが」
「……そうですね。普通は、そうかもしれませんけど、私は、今まで無かったので。―――ありがとうございます」
 そう微笑むは、夕陽にも映えて――― いやいやいや、そんなこと考えてる場合じゃねえ、10代目をお待たせしてんだ!
「んなことでいちいち礼言うなっ!テメエも帰るんだろ、さっさと行くぞ」
「あ、はい。…………わっ、あ!」
「…………お前、何処までどんくせえんだよ……」
「……獄寺さんといるとよく転びます」
「俺の所為にすんじゃねえっ!!」
 どんくせえと付け足して、けれど隼人は置いていく事はせずに、が立ち上がるのを何故か愚直に待っていた。

( 足りない言葉でも其れは伝わるから )


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