軽快な音楽が賑やかに鳴ったのが耳について、は思わずそちらを向いた。見れば、人気番組の特番が始まったようだ。途方も無いレベルに人気の其れは、も録画予約を済ませてから出かけている。もっとも、の場合、番組が楽しみであることに先駆けて理由があるのだが。
「バーナビーとタイガーですか」
 打ち合わせ中であるのだから、当然に向かいに座る担当から声をかけられる。それに嗜める色はなかったものの、は素直に余所見をしていたことを謝った。いいんですよ、と担当は笑う。この出版社の担当は、まだ付き合いも浅いものの気さくで変に遠慮する必要が無く話がし易い。おかげで気を抜いて話も出来るものの、今回は抜きすぎた。打ち合わせ中に、テレビを見るなんて。
「いやでも、本当にすごいですよね」
 しかし今回は、彼としても話したい話題だったようだ。それもそうだろう。ワイルドタイガーとバーナビー・ブルックスJrの二人の躍進は目を見張るものがある。新シーズンに入って二人のインタビューをする特番が組まれ、その為作業が止まってしまうことも無理がない話だった。実際に担当の彼は仕事そっちのけで(あるいはと仕事をしているふりをして)、二人に対する憧憬を感じるような熱弁を奮っている。
「ふふ、そうですね。本当、素敵です」
 としてもその話題は嫌いじゃない。だから笑顔で相槌を打って、笑顔で受け答えをする。それは彼女にとって自然なはずなのだけれど、どういやら違う気持ちが滲んでいたようで、結構ミーハーなんですねなんて言われてしまった。そんなつもりはない。ただ、私は彼が好きなだけだ。
 適当に流してテレビを見やると、司会者からの質問に二人が答えている。そのやり取りが可愛らしくて、また笑みが浮ぶ。組み始めた当初を思うと、また別種のおかしさがこみ上げてくるから、尚更だ。
(はじめなんて、名前呼ぶだけで怒っていたのに……)
 今じゃ普通に、どころか、少し喜んで返事しているような気配すらある彼は、やはりその呼び方を気に入ってるのだろうか。が呼ぶ「バーナビー」よりも。


 全てが全てというわけではないが、呼び名には、思慕や好意が含まれる場合が多々あるとは思っている。愛称などがその良い例だろう。「愛称」。愛がこもっているとも取れるそれは、確かに親密でないと呼べないものだ。苗字で呼べば距離が出るし、名前を呼べば親密で、その人しか呼ばない名前なんてあったりしたらそれは――
「どうしたんですか?」
「わっ!びっくりした……お帰りなさい」
「こっちの台詞ですよ。ただいま」
 もやもやと考え事をしていたら、バーナビーが帰宅していた。見れば帰宅して当然の時間で、家にいたというのに何もしていないのが申し訳なくなる時間だった。本社勤務も終わるというものだ。いつ出動要請がかかるかわからないとは言え、ヒーローだって家に帰るし食事はとる。その個人的な時間をともにしているのだから、やはり自分は贅沢だとは自覚する。そのヒーロー相手に夕飯の準備も出来ていないのは、申し訳ないことこの上ないのだが。
 素直に何も出来てないことを伝え外食の案も出すが、バーナビーは少し考えてから、「貴方が構わないなら」、夕食は作って欲しいとのこと。照れ臭そうに手料理が良いと言う。それも、幸せのひとつだ。手間は惜しまないが、そもそも時間をかけたくは無いので、出来るだけ急いで、それでも彼のために食事の準備をする。
 幸せだなあと思う。この頃、毎日だ。具体的に言えば、彼と一緒に暮らし始めてからか。上品で贅沢で、それでも厭味のないシンプルなバーナビーの家。最初は殺風景も極まれたものだったそれが、少しずつ色を帯びていくのも、生き生きとしている彼の心地の表れかもしれない。それに少しでも、自分が関われていることは幸せで、同じ夜景を見れるのは、幸せだ。
「打ち合わせ、何かあったんですか?」
「え、ああ、ううん。そうじゃないの……」
 唯一つ頂けない点があるとすれば、バーナビーがを抱き抱えて座ることだ。食事や家事などやるべきことを終えて自由になると、彼はこうしたがる。誰も居ないとはいえさすがに照れ臭いのだが、一人で歩けるようになるまで何度か行っていた行為であり、さらに彼はこればかりはどんなに言ってもやめようとしてくれない。の分の椅子もあるというのに、相変わらずのシングルソファに腰掛けて、その膝に、また脚の間にを座らせて、抱き抱えてワインを飲むのが彼はお好きらしい。あまり甘やかすのもよくないとは思うが、それ以上に自分も彼に甘えたいところがあるのは事実なので、結局そんな体勢で晩酌を共にする羽目になっている。
(耳元で声がするのは、本当にびっくりするんだけど……)
 今日はお疲れのようで、ワインは無し。ぎゅっとを抱いて、満喫しているようだった。何を満喫しているかはよくわからないが。生放送なんてしていたし、毎日忙しそうで少し心配だ。
「――あ、そうだ。昼間、見たよ。打ち合わせしながらだったけど……、コンビ愛だってね」
 ふふ、と笑うが、彼から返事はない。少し恥ずかしいようだ。まあ、仲が良いのは本当だ。仲が悪かった頃を良く知っている身としては、やはりおかしさが湧いてくるのだが。
「バニーって呼んでも怒らなくなったね」
「……、虎徹さんがやめろといってもやめないんで、諦めただけですよ」
「そうなの?結構、気に入ってる感じもあるけど……」
 可愛い兎さんなんてからかわれ憤慨していたこともあったというのに、今ではすんなり受け入れている。かわいらしいものだ。それもこれも、相手が彼だからなのだろう。バーナビーにとって、虎徹の存在はそれほどのものだ。少し照れ臭いらしいバーナビーより優位に立ったようで、少し優越感がある。かわいいなあと思っていると、
「もしかして、妬いてるんですか?」
「はっ?」
 予想外のことを言われた。
 あまりに驚いて身じろぐが、がっちり固められてるので結局動けない。今の流れでどこがどうそうなったのか、には掴めない。体を捻らせてレンズ越しにバーナビーの目を見るが、彼のキリリとした目は楽しそうに細められているとはいえ、冗談の色は帯びてない。ええと、今の、どういうこと?
「違うんですか」
「うん」
「珍しく引っ張るので、貴方もバニーと呼びたいのかと思いましたが……」
 ぎゅう、との肩に頭を押し付ける。彼の跳ねた髪が少しくすぐったい。それだけでなく、なんだかこそばゆい。自分が、彼を、バニーと呼ぶ?こそばゆさを感じながらも、真面目に考えてみる。自分は彼をそう呼びたいのか、どうなのか。先ほども考えてたとおり、愛称というものはにとっては魅力的なものだ。呼びたいといえば、そうなのかもしれない。それでも、自分に『バニー』がしっくりこないもの事実だ。呼びたいけれど、合わない。それを、はバーナビーの膝の上でひたすらに考えて――笑った。
 簡単な話だったのだ。悩んだのがばかばかしい。
「ううん、呼ばない」
「――」
「私はね、愛称とかいいなって思うよ。でも、私の居る場所は此処だよね」
 合点がいってないらしいバーナビーの顔を見て、くすりと微笑む。
「私が呼ぶのは、ヒーローじゃなくて、貴方ってこと。恋人はヒーローだけど、ヒーローが恋人というわけではないわ」
 『バニー』と呼ばれるのは、ワイルドタイガーの相棒だけで、そしてそれを呼んでいいのは、彼の相棒であるその人だけだ。の恋人は違う。職業ヒーローであるが、そこに頓着しない。私が好きなのは、、貴方だということ。
 眼鏡の向こうの目が、いつもと違い少し幼げな印象を醸し出す。一瞬言葉が飲み込めなかったようだが、すぐに理解したようで、バーナビーは「まったく、」と呟きながらを抱き抱えなおす。ぎゅうと密着して、眼鏡のテンプルが耳に当たった。首筋に軽くキスをされて、はびくりと反応する。もう其れは彼の癖のようなもので、こそばゆく、幸せな感覚だ。
「好きですよ、
「私もよバーナビー」
 求められているように聞こえた耳元の声に応えて、は軽くキスをした。

( 呼びなれた名前を何度も )


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