「あら……、ルーク?」
 見慣れたひよこみたいな後ろ髪を見つけて、ティアは声をかけた。振り返った彼はソファの背越しに微笑んで返答した。真夜中とも呼べるこんな時間に、誰もが寝付くこんな時間に、彼が、よもや彼が起きているなんて、誰が想像し得ただろうか。

「珍しいわね、どうしたの?」
「ティアこそ、こんな時間にどうしたんだよ」

 感想をそのまま口にすると、ルークは少しだけ苦い顔をしてから問い返してきた。「休める時に休めっていうのが口癖だろ」と。

「目が覚めちゃって、水でもと思って来たの。貴方は?」
「同じようなもんかな。只、もう二時間前ぐらいからだけどな、はは」
「……笑えないわよ」
「やっぱり?」

 二時間。そんなに眠れなかったのかとティアは眼を見開き、呆れるような、嘆くような溜息を吐いた。
 ルークはもう一度笑った。それから悲しそうな顔をする。多分、彼に自覚なんて、無い。気づいてないから出来るんだろう。そんな顔。

「……そんな顔するなよ、ティア」

 ルークが言う。どんな顔をしているのか自分ではわからないけれど、ティアは「ごめんなさい」と一言呟いて、意識して表情を戻した。
 ルークの座るソファに近づくと、ルークの手に一冊の本があるのをティアは見つけた。其の視線に気づいたのか、ルークは其れをティアの方へ持ち上げる。ソファの背越しに、其の受け渡しが行われた。

「宿の人が暇を持て余してるの見兼ねたみたいでさ。いくつか持ってきてくれて、貸して貰ったんだ」
「何?……童話ね、見たこと無いわ……」
「うん、だから面白くって、何度も其ればっか読んじまった」
「ルークが?」
「んなとことん意外だなんて顔すんなよ。……なんかさ、とある兄妹が夢ん中で『幸せの青い鳥』を探す話だった」

 ざっと眼を通して、ティアはルークの隣に回り込んで腰掛けた。もう一度本を開いて、頁を捲る。本格的に読み始めた。ルークはティアがそうするだろうとわかっていたのか、ソファに深く腰掛けて、ティアが読み終わるのを待った。

「……」
「なんか、すごいよな。居てくれるだけで幸せになる『青い鳥』なんて」
「そんなもの居ないわよ」
「わ、わかってるっつの。ただ……」

 読み終わったティアから不貞腐れた顔でルークは其の本を取り上げた。表紙に描かれた、鮮やかな色の小鳥を見詰める。
 それはとても愛しそうで、
 羨ましそうな、
 けれど、悲しくも見えて、

「……っ」

 ティアは、言葉に困った。
 そんなティアに気づく様子も無く、ルークはゆっくりと頁を捲り出す。

「俺は憧れるよ。……俺には出来ないことだから」

 奪って、壊して、殺して、汚れた俺の手では。
 居るだけで、誰かの幸せに為るなどと。
 そんな、こと。

「……幸せでなくとも、貴方は誰かの為になろうとしてるじゃない。―――それだけで、十分だわ」
「……そう、かな」

 少なくとも。
 ティアは、真摯にルークの瞳を見詰めて、言う。

「少なくとも、私は―――……、貴方が居て、嬉しいもの」

 貴方は消えなかった。
 貴方は生きてくれた。
 瘴気やレプリカ達と心中することなく、
 『生きる』ことを、『生きたい』と思うことを、選んで、くれた。
 そして、今も、『生きている』。
 それだけで。

「ありがとう、ティア」

 でも貴方は

「もう寝ようぜ、明日に響いちゃうだろ」
「……そうね」

 そんな悲しい顔で。
 消えていく自分の現実を知って。
 結局は犠牲となってしまう真実を受け止めて、
 なけなしの いのち を それに かけて


 ああ、言えればいいのに。
 それでも私の天秤は、ぐらつきながら『世界』に傾いたのだ。
 ほんの、少しだけ。

 今なら、あの時のルークの気持ちがわかる。
 『怖い』って、『消えたくない』って、一言、たった一言言ってくれれば、
 きっと、私は


 何を無くしても、貴方を失くすことより辛いことなんて無いのに。


 いつだって、彼には軛があったのだ。
 預言も、事実も、未来すら、彼の鎖となって、彼の自由を奪って。

 青い鳥は、飛べないけれど、其の空の為に、消えてしまうのだ。

「おやすみ、ティア」
「ええ」
「だから、そんな顔すんなって」
「え……」
「泣きそうな顔してるぞ」
「そんな……、泣きたいのは……、」

 消えていったティアの声を、ルークは確実に聞き取ったらしかった。


 ―――『世界』の為にと、自分で軛を選んだ青い鳥は、


「ありがとう、ごめんな、ティア」


 誰も目を覚まさない、静かな夜に
 泣きそうな声で、悲しい顔で、微笑んだ。

( そして 君の手に何が残されるの? )


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