音もなく夕陽は沈んでいって、神社を赤く染めていった。そろそろと影が長くなる。徐々に、緩慢に、あるいは残酷に。霊夢は其の様をぼんやりと眺めていた。ゆっくりとゆっくりと、其の影が伸びる度に、あの影も遠くなる。もうきっと重なることの無い影に、何を執着するのだろう。ひりひりと痛みを訴える頬に、腕に、慣れてきてしまうのが、少しだけ寂しい。残されたのはこれだけなのに。

「いつまでそうしているんだい」
「……覗き見なんてらしくないわね」
「声を掛けるタイミングを待っていたんだ」

 砂利を踏む音と、掛かった言葉に振り返る。其処に居た霖之助はいつもとは違う素っ気無さの言葉を大して気にかけず、霊夢の火傷だらけの手を取って境内の階段に座らせ、自身も体を斜めに向けて座った。風に揺れる大きなリボンも袖も裾もぼろぼろで、霊夢と、彼女と弾幕合戦をした相手の強さを思い知らせる。きっと彼女だって霊夢同様満身創痍で、今頃痛みに顔を歪めながら手当てをしているんだろう。
 何処でかなんて、もう幻想郷に居る誰も知ることは無いけれど。
 霊夢の手当てをしながら、霖之助は胸の中だけで溜息を吐いた。

「よかったのかい?」
「今更聞くの?霖之助さん、全部見ていたんでしょう?」
「魔理沙に頼まれたからね、立会人してくれって」
「巫女を倒すのに、立会人が必要なのかしら」
「君との約束だから、と聞いているけれど」

 手当ての終わった右腕を下ろして、霊夢は左腕を差し出す。いつも剥き出しの肩に、大きな火傷。魔理沙のスペルカードはまさに力でゴリ押しなもんだから、いくら霊夢でも避け切れなかったんだろう。肘より少し上から着けている袖も焼け焦げてボロボロで、装飾の真っ赤なリボン焼け切れている。この二人、遠慮なんてなかったんだろうか。

「魔理沙に遠慮が無いのよ」
「じゃあ君は遠慮したのかい?」
「そんなことしたら、私が死んじゃうでしょう?」

 確かに、と思って霖之助は黙っておいた。魔理沙のあの八卦炉が容赦なく発射されれば、山だって全部無かったことに出来る。一気に広大な平野の出来上がりだ。自分で作ったマジックアイテムとはいえ、霖之助は呆れた。加減を間違えたな、あれは。神社が荒れていないのが不思議なほどだ。

「立会人なんて、決闘じゃないんだし」
「一回きりという約束をしたんだろう。その『一回』の証人が必要なんじゃないか?」
「魔理沙らしくないのよ。……あわよくば、霖之助さんも始末したかったとか」
「僕としては、彼女にも君にも、恩は売っているつもりなのだが……」
「あら、そんなことあったかしら?魔理沙はともかく」
「……、今も、手当てとか」
「返す宛ては無いわよ」
「期待していないよ」

 霊夢の軽口がいつもの速度を取り戻したところで、一通りの手当てが終わった。焼け焦げた袖とリボンを持って、霊夢が「もう使えないわね」と零す。其の眼は確かに其処に向かっているのに、其の眼に映っているのは違うものらしかった。これを焼いたのは、最後の彼女の弾幕なのだ。

「行かせてよかったのかい?」
「同じこと聞かないでよ、どうしようもないもの。あいつは外、私は、内。それだけよ」
「――」
「魔理沙は私と違うもの。魔理沙は自由だわ。何処までも自由だわ。何処にだっていける、何処にだって居れる。縛るものなんて何も無いのよ。家も、幻想郷も、魔理沙を縛れやしないわ。其の自由を私が抑えたいと思ったところでどうなると言うの。抑えたいと思ったからどうなると言うの。霖之助さんは、私に何て言ってほしいのよ」
「――」
「…………、ごめんなさい」

 頭を垂れた霊夢に、霖之助は何も言わなかった。
 それこそ、終わったことなのだ。
 魔理沙が幻想郷を出たことも。霊夢が魔理沙との戦いに負けたことも。―――霊夢が、わざと負けたことも。
 思えばあの魔理沙が、外に興味を持たないことがおかしかった。彼女をとどめるには、霧雨の家は小さすぎた。その何倍もある幻想郷も、彼女の自由を許すには小さすぎたのだ。偏った世界は魔理沙に狭すぎて、あらゆるものを傍に置きたがるあの蒐集癖を考えれば、きっと無理の無い、いっそ我慢している方が無理のあることであった。
 何故、魔理沙はこうして出て行くことを早々と決めなかったのだろう。
 きっと、其処で俯いてる巫女に理由があるのだと、霖之助は思う。
 彼女達の間に何も無いけれど、何も必要ないほど、彼女達は、一緒に居た。春も夏も秋も冬も、ふらりとやってきては自堕落に過ごし、剣呑な弾幕に向かっては笑う。それが当たり前で、そのまま、彼女達の間に名称も何もなく、当たり前であり続けるはずだったろうに。

「魔理沙は、私の行けない魔理沙の道を歩く。私は私の道を歩くわ。それだけ」

 霊夢は立ち上がり、沈みかけた夕陽を見る。真っ赤な空は、外の世界でも同じような色をしているんだろうか、霖之助の知ったことでは無いけれど。

「君は出たいと思わないのかい?」
「そんなの、」

 霊夢は。
 博麗の名に縛られ、結界に阻まれ、選びもしない束縛と疎外と弊害と隔壁を前にして。

「あいつが、好きなだけやってくれるわ」

 微塵も後悔の無い笑顔で笑った。
 それがたった一つの理由なのだと、霖之助は、確信した。

( 真っ直ぐにこの道を行けたなら何処へ辿り着くというのでしょう )


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