いつの間にか、彼には其れが習慣というか、まるで当たり前になっていた。別に外に行くことをとやかく言われる謂れはないし、やることをきちんとこないしていれば何も文句を言わない父親だったから問題はなかった。ただ少々心配性な母親が気に掛かると言えば掛かるのだが。
 けれどそんなことも、彼にとっては如何でも良いことだった。ファブレの息子として屋敷にいても、研究材料としてそのような施設に居ても、たとえば歳も近く父親よりはずっと仲の良いナタリアやガイといても、何処か物足りなさを感じるようになった。まるで自分として扱われ居ないような、仮面でもつけて歩いているような、そんな不快感。
 だからかどうかわからないけれど、いつの間にかあれとの一種の密会のような其れは、なんとなく行ってしまっている。
 理由がわからないのが癪だけれど、それでも足を運ぶ自分がいるのだ。理由を探すのは諦めた。

「……」

 自分が師と仰ぐ人間の家に辿り着く。ほとんど毎日のように来てくれるから、いっそファブレの家に住めばどうか、と自分も父も申し出たけれど、あの人は断った。理由も今なら納得できる。流石に其の家の息子と同じ顔をした子供を連れて行くわけには行かないし、其の子供を放置できるほど、あの人は悪い人ではなかったという話だ。勿論、何らかの利用価値が彼にあるから、という理由もあるのだろうけれど。
 渡されている鍵で開ける。他のものに見向きもせずに、部屋の隅にあるドアを目指す。
 いつも、ドアノブに手をかけるのを戸惑う。
 けれどそれも一瞬で、手をかけたらかけたで、躊躇い無くドアを開ける自分がなんだか可笑しかった。

「……おい」

 ベッドと本棚、簡易な机。それだけしかない部屋に、一番明るいその赤は、まるで夕陽みたいな色をしている。
 ドアから一直線上にある窓を開けて危なげに其の窓枠に腰掛けて外を眺めていた其れは、声を掛けると一瞬驚いたのかびくついてから、背を向けていた体ごと振り返った。

「ルーク!」

 嬉しそうに微笑みながら、ルークと呼ばれた彼と同じ顔をみせた。窓枠から飛び降りて駆け寄ってくる。途中、椅子に足を引っ掛けて転びかけて、ルークを驚かせた。

「いった、…うう」
「……大丈夫か?」
「平気だよ、これくらい」
「足じゃなくて頭の中が」
「なんだよそれー!」

 ルークと同じ顔の夕陽色の髪をした少年は、ルークの言い分に膨れてみせた。そのあと、すぐに笑顔になる。その屈託なんて欠片も無い、純粋に喜びだけで作られた笑顔に、ルークはいつも少しだけ顔を顰める。少年は其れを気にすることも無く、実際気づいておらず、其のままルークが何かを言うのを待った。いつものことだ。何をするにも言い出すのはルークで、少年は何をするにもあまりにも受身だった。まるで意見がないわけではないのだろうけれど、彼はルークが言い出すのが当たり前と思っているらしい。

「今日は如何した?」

 だから、いつもそんな風に問うのだ。この質問はいつもルークの意地っ張りな頭を悩ませ、適当なことをいつも言う。
 別に何がしたいとか、そんな目的意識があるわけじゃない。ただ、来たかった。というより、逢いたかったのかもしれないと自分で思うけれど、そんなことを認めるのも言うのも嫌なので、師への用事のついでとかなんとか言い繕う。そして彼はいつも其れを疑わない。ルークの言葉を、全く疑わない。信じて疑わないのだ、彼は。まるで従順な僕の類のように。
 其れに時折苛つくこともあるけれど、其れを態度に出したり口にしたりすれば彼が萎れるように小さくなるのも覚えてしまった為、最近は自分の中にしまうようになってしまった。けれどそれも不快ではない。というか、彼が嬉しそうに笑うのを見れば、本気で如何でも良くなってしまう。
 そんな風に。
 此処に通うようになってしまったのは。
 どうしてだろう。

 彼は何も知らない。
 自分がどういう存在なのか。ルークが彼にとってどういう存在なのか、彼がルークにとってどういう存在なのか。
 ルークは知っている。
 けれど、言うつもりも、また言う理由も無いから。

 だから今日も、ルークは彼の手を引いて、一緒にベッドに腰掛けて、思いつくままに、何かしかの話をし始めた。
 どんな話でも、彼は楽しそうに聞いていたし、たとえば話が怪談話とか到底楽しい嬉しいという感情とは違う類の内容でも、驚いた顔をしたり、悲しい顔をしたり、怯えた顔をしたり、ころころと表情を変えた。
 自分に無いものだと、ルークは何処か冷めた部分で思っていた。羨むような気持ちで。
 そうやって自分にないものを見せびらかす様に見せる彼に、苛立ちを覚えつつも、どうしてだかそれとは全く別物の、あたたかいものを感じるようになった。

「ルーク」

 彼が自分を呼ぶ声は、いつも何かを自分に求めてくる。けれど、嫌味なんて何処にも無い声。まるで自分が答えるのを絶対だと確信しているように。

 羨みや妬みとは違う、何かを感じながら、ルークは彼に返事をした。

( 誰にも感じたことの無い、初めての、気持ち )


back