鐘の音がした。
 遠慮なんて一欠片も無いほど盛大で、躊躇いなんて微塵も無いほど壮大に音は響いた。広い高いバチカルに響き渡った。
 だから当然、

「……鐘?」
「……鐘、ね」

 話題は其方に向かうのだった。
 ルークは「邪魔だから」と言って纏め上げた髪を揺らして辺りを見回した。二年振りとは言え、其処まで変わっていないだろうけれど、鐘の音を耳にするのは初めてだった。だからこその行為を、隣を歩くティアは笑った。何がおかしいのかと訝しんで問えば、

「ごめんなさい」
「……、とか言って、まだ笑ってるじゃないか。何だよ、一体」
「あんまりにも歳相応には見えない表情だったから、……」

 其処でティアは言葉を切った。ルークは尚更不思議そうに目を丸くして、首を傾げる。

 ・・可愛いと思ったなんて、いえないわね。

 多分、ちょっと拗ねたような口調で怒るんだろう。あの頃と変わらない様子で。
 再会してからしばらくは、自分も彼も何かしらの変化があるのではと心配していたものだけれど、そんなものは結局杞憂に過ぎなかった。彼は彼であり変化しているところもあるけれど、自分の思う『ルーク』とは何も変わっていなかった。
 子供っぽくて、ちょっと行き過ぎたところがあって、少し物を知らなくて、
 でも、大事なことも、自分というものも、おおよその大衆が気づかない『大切な何か』をちゃんとわかっている。

 ……、言ったら怒るかしら。

 最初の辺りで肩を落とすルークが簡単に想像できてしまった。

「なーに笑ってるんだよ、ティア」
「……っ!」

 突然覗き込んできたルークに驚いて、身を固くする。彼は距離を変えないまま、じ、とこちらを見てくる。この距離。とても耐えられそうに無い。

「な、なんでもないわ!」
「あ、おい、待てよ」

 頬が熱いのを自覚しつつ、さっ、とルークの横を通り抜けると、ルークはそう声を上げて足早に追いついてくる。どうしよう、と深刻に悩んでしまう。
 今のこの状況に関して言及されては、絶対に避けられない気がする。
 本気で不安に思ったけれど、相変わらずというかなんというか、ルークは鈍いもので、早くも話題が切り替わった。……というより話題が戻った。

「なあ、この鐘、何か知ってるか?」
「え?あ、ええ。……多分、修道院からじゃないかしら?」
「修道院……って、教団のだよな?」
「他に何処の修道院がバチカルのあるの?」

 そっか、と素直に頷いた。マルクト辺りの大佐ほどではないにしろ揶揄するように言ったものだから、其の反応には少し拍子抜けだ。
 其の間、歩みは止まったり進んだりを繰り返していた。

「ルーク、早く帰らないと小母様達が心配なさるわよ」
「う、……痛いトコついてくるな」

 其の点を注意すると、ルークは本当に苦そうな顔をして、天空客車に乗り込んだ。ティアも続く。
 ベルケンドでの検診からの帰りである今は、本当ならいち早くルークの―――ファブレの屋敷へ帰って、彼の両親に報告しなくてはならないのだけれど、当の本人はこの調子で至極のんびり歩いている。ルーク曰く、以前ほどではないにしろ、相変わらず母親は過保護で子供の眼から見ても甘いし、帰ってきてからは父親も其れに近い状態になっているらしく、嫌いというわけではないけれど、屋敷は少々窮屈らしい。
 体は大丈夫かだの、ちゃんと御飯食べなさいだの、生活習慣はきちっとしろだの。

「二年待ったんだもの。仕方ないんじゃないかしら」
「……、うん」

 それに。
 それに、もう一人の息子のこともあるんだろう。
 ナタリアではないけれど、これ以上、大切な人を失いたくないだろうから。

 ――― 其れは私も同じ、ね。

 約束を破られることは、とてもとても怖いことだから。
 だから、約束を守ってもらえた、果たせてもらえた自分は、とても、とても、恵まれていて、幸せなんだろうと。
 検診の度に連絡を取って一緒にベルケンドに向かうのも、幸せを失くさない為の些細な行為だった。

「お、なんか人が一杯いるぜ?」
「本当……、何かしら?」
「……ナタリアだったら走ってってるな」
「同感だわ……」

 天空客車から見えた人込みに対し、正義感の塊のような彼女のことを思い出し、二人で顔を見合わせた。客車を降りて修道院の方を見ると、やはり其処から鐘の音はし、人込みは溢れているようだ。賑やかな声も聞こえる。

「あれ、って……」
「婚礼の儀、じゃないかしら」

 二年前の騒動から、(アニスが立て直しを現在進行形で進めている)ローレライ教団の各地の修道院では、ささやかな儀を行うようになった。勿論、預言を詠むことは絶対にないが、一般人向けに成人の儀を行ったり、今のように婚礼の儀を行ったりしている。

「アニスが言ってたわね。―――冠婚葬祭はユリアの御膳でとか」
「「冠婚葬祭は金のなる木!」とか言ってた気もするけどな……」
「…………」

 とにかく、教団の立て直しは順調らしい。今目の前で婚礼の儀は行われているのだから。

「…………」
「……、綺麗、だな」

 開け放たれた扉から、更に人込みの間から伺える、儀式を行う教団の人間―――おそらく第七音素譜術士の類だろう―――の声がする。綺麗な声。
 見える若い恋人―――これから、夫婦になるのか。その二人はとても幸せそうで、きれいで、文句のつけようなど何処にも無いくらい、其処は美しかった。
 ……少し、ほんのすこしだけど、
 憧れる。

「…………」
「……、やっぱり、憧れる?」
「え、いや、別にっ、そんなことは……、ないわけじゃ、ない……けど」

 つと黙り込んだティアに、ルークはそう問うた。問われた方はすぐに反応して、顔を真っ赤にしていた。早口でまくし立てたかと思えば、最後の方は声が小さくなる。何をそんなに慌てているのか分からないが、其の様子は柄にもなく可愛いと思った。

「ティアにも結婚願望とかあるのか?」
「……そういうのは、ないけど、……ああいうのは、やっぱり憧れるわ」

 とてもきれいだもの。
 そう笑うティアの方がきれいだと思う辺り、自分はかなり彼女に参っていると思った。
 まだ口にしてはいないけれど、こうやって帰ってきてからというもの、そう感じることが多い。あの頃はばたばたと忙しなく動き回っていたから余裕がなかった。其の所為だ思う。ティアは最初からきれいな顔立ちをしていた、と実感としては一年くらい前でしか過ぎない、実際はもう三年前に近い彼女との出逢いを思い出し、ふと未だ儀式を眺める彼女に眼を向ける。そういえば、このごろ口紅をつけている気がする。わざとらしさのない、彼女らしいさっぱりとした自然な色。
 ……うん、きれいだ。

「貴方こそどうなの?」
「へっ?あ、お、俺?」

 突然振り向かれ、ばつの悪いような居心地の悪いような、とにかく見詰めていたことへの罪悪感らしきものを感じ、ルークは焦った。儀式ではなく此方を見詰める彼女の空色の瞳に、「何言ってるの」と弟を嗜める姉のような気配が伺える。少し頂けない。

「他に誰がいるの」
「そ、そうだよな。 えっと」
「結婚願望」
「そうそれ。 ……そうだな…… 俺は……」

 問われてみて、考えてみる。
 ゆっくり、順序よく。考えるときはそうするものだと、ティアに教わった。なんだか懐かしい。

 うん。
 結婚願望とか、は、ないけど。
 ティアと同じで、ああいう『幸せそうなふたり』というものには、憧れる。
 ―――だから、これは。
 別に伴侶が欲しいとか、そんな俗っぽい感じじゃなくて、ただ純粋に、ただ一途に、

「ルーク?」

 そんな風に、首を傾げて覗き込んでくる君が
 気がついたら隣に居るような君が
 其れがささやかな幸せに感じるような、君が
 傍に居るならば、それだけで


「俺は、ティアがいればそれで―――……!」


 勝手に滑り出した言葉に、自分で驚いて頬が熱くなった。
 目の前にいる彼女も、空色の双眸をこれでもかと見開いて顔を赤くしている。

 ああ違うそういうことが言いたかったわけじゃなくてって別に思ってないわけじゃないけどほら今のはフライングっていうか勝手に出たっていうかだからってそうじゃないってことはなくてえええっと―――

「!」

 ルークの手。
 其れに、小さな手が触れた。
 触れたと思ったら、握ってきて、
 自然、握り返し、手を繋いだ。

「え、と…… ティア?」

 混乱は収まったが、今度は真っ白になって、何も考えられなくなった。
 名前を呼ぶと、ティアは俯かせていた顔を上げて、照れくさそうな顔をして、微笑んだ。

「……行きましょう、小母様達が心配なさるわ」

 そう手を引く。
 笑顔は、幸せそうで、
 きっと自分達は今、あの若い夫婦よりも、幸せなんだろうと思った。
 あの頃は、
 あの時は、
 これ以上の幸せはない、って思ってたのに。
 君といれば、いつも前以上の幸せを手に入れられる気がした。

「そうだな」

 手を繋いで、ふたりで歩く。
 かすかに伝わる鼓動は、早い。
 けれど、心地好いぬくもりを伴っていた。

 いつか、

「ルーク」
「ん?」

「…… 嬉しい」

「…… なら、もっと聞こえるように言えよ」
「ばか……」


 いつかあの鐘が、二人の為に鳴る日が来ることを、確信しながら。

( いつか必ず、ずっとずっと一緒にいることを誓うと、誓う )


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