「……、これじゃあ戻れないな」
避難した軒先から少し顔を上げて空を見る。重い曇天の空が広がっており、うっとおしく感じた。隣で同じように空を見上げるティアも同じらしく、ルークの呟きに無言で頷いた。
雨足が弱まる気配はない。ミュウを置いてきてよかった。もし連れて来たりしていたら、「雨ですの」と騒ぎまくったことだろう。……、正直、ミュウは時々本気でウザったく感じる。其れを口にしないのは、ティアに咎められるのが嫌だったからだった。こんなことは日常茶飯事だったし、こういう小さな諍いはむしろ楽しいものだと感じるところではあるけれど、最近は何にしても彼女が怒る様子は見たくない。
いつからそう思うようになったのか。
どうしてだか、わからないけど、ふと気づけばティアは隣にいるし、自分もそうなっている。そういえば、団欒や食事の際も隣に座っている。戦いの場になっても、自分はティアを守るように立っている。勿論前衛が後衛を守るのは当たり前だし、仲間の間では一番戦闘においての付き合いが長いから、得手不得手を他の皆よりは理解している、という理由も相成っているのだろうけれど。
気がつけば、彼女の近くにいる自分に気づく。
今だって、散歩に出てみれば同じように外に出ていたティアにばったり会い、一緒に歩いている。
そして、そんな些細なことに喜ぶ自分がいる。
「あんなに晴れてたのに……」
いくらか気落ちしたように呟くティアに視線を向けた途端、彼女は小さくくしゃみをした。雨に濡れて体が冷えたんだろう。肩を出しているし。
大丈夫か、と訊いても多分、というか絶対「大丈夫」としか言わない彼女だから、視線だけで訴えると、伝わったらしく少し拗ねたような顔をして、
「平気よ」
「何処がだよ」
頑固な彼女のことだから、絶対折れないんだろう、と思いつつも、非難してみる。やっぱり其れに負けるような彼女ではなかった。
こんな性質だから、いつか折れてしまうのではないかと怖くなる。
彼女が強いことも、強がっていることも知っているけれど。
彼女が弱いことも、弱さを見せないことも知っているから。
其の分厚い隔壁を、せめて自分には消し去って欲しいと思うけれど。
それも結局は我侭だから。
だから、黙って傍に居ることにした。そうしていれば、怒ることも非難することもないから。其処に居たいから、そうすることにした。
いつか彼女が。
誰かに支えられたいと感じるとき、
誰かに寄りかかりたいと思うとき、
誰かに弱さを見せたいと願うとき、
隣にいて、ティアがしたいようにに出来たらと。
「すぐ止むといいけれど」
未だ曇天を見上げたまま、ティアが呟いた。
そうだな、と同じように空を見上げて頷く。
「つーか、大丈夫か?」
「平気って言ってるでしょう?ルークだって、肩、びしょ濡れだわ」
「誰かさんと違ってくしゃみなんてしてないけどな」
言えば、む、とした顔で此方を見上げる。ひんやり涼しげな、けして冷たくは無い空色の眼が非難してくる。こういうときは、―――この状態が歳相応なのかもしれないが、いつもより子供っぽく見えて、柄にもなく、可愛いと思ってしまう。
けれど、そんな感情を、悟られたくは無いから、
「?」
さ、と顔を背ける。ティアが訝しげに此方を見詰めていることには気づいているけれど、それよりも熱をもった頬を隠すことに精一杯だったから、「止まねえな」と、また空を見上げる。先程より雨脚は弱まったけれど、空は未だ鈍い色を保っている。青空を拝めそうにはない。
ふと、悪寒がして、俺も風邪か?と思った途端にくしゃみが出た。勿論、隣の空色の瞳は非難の色を佩びていた。
「人のことを言えないじゃない」
ホラ見なさい、と言わんばかりの態度で言われた。なんか悔しい。けれど、それよりも、こんな様の自分への呆れというか情けなさを感じた。
ティアはティアで、痛いぐらいの視線で此方を見つめているし。なんとも気まずい、というか、自分が格好悪い。そういう意味で溜息を吐くと、隣からは、くすり、と小さな声がした。顔を上げて彼女を睨みつける。「そんな顔しないで」とティアは笑った。
雨の中で街に出る人間はいないから、今現在ルークとティアはふたりぼっちだ。ふたりっきり、という空気ではなく、ふたりぼっちという感じ。まるで迷子のような。
それでも、彼女の笑みを自分ひとりが見られるのは、如何してだかこそばゆい。くすぐったい感覚。
青空の色は拝めないけれど。
「ルーク?」
つと黙り込んだルークを、またも訝しげに、今度は覗き込んできた。慌ててしまい、言葉が詰まる。
「な、あ、何?」
「何はこっちの科白よ、いきなり黙り込んで……。熱でもあるの?」
「平気だよ、大丈夫だから」
そう言うけれど、ティアは未だに納得いってないらしい。最初にくしゃみをしたのは自分のくせに、人にはやたら心配してくる。これこそ「人のことを言えない」のではないか。と思うけれど。
思う、けれど。
心配そうに覗き込んでくる瞳は、やっぱりこそばゆい。
やがて諦めたらしく、ティアはまた空を仰ぐ。なかなか止まない雨に、小さく溜息を吐きながら、
「……、本当、止まないと困るわ」
そう呟いた。
確かに、空の色は、拝めないけれど、
「ティア」
「何?」
呼べば自分を、自分だけを映してくれる、涼しげな空色が、隣に居る。
だから、もう少し。
もう少しだけ。
止まないで欲しいと、ティアに聞かれたら問い詰められそうな願いを、持ってみた。
( こんな些細な時間を喜んでしまう )
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