店を出ると春の風が吹いて、はつい髪を押さえたが、すぐに手を離した。切りたての髪はとても軽い。自分史上最も短くなったそれは、風に煽られても面倒に感じなかった。急に思い立ったカットだったけれど、自分ではとても良くなったと思う。長い髪は色々遊べて良いが、こういうのも悪くない。
 今日の予定は髪を切るだけであったが、折角だから寄り道ぐらいしていこう。自然と足取りが軽くなる。表情には出ないものの、はご機嫌であった。いつもなら見かけてもスルーするような相手に声をかけられても、立ち止まって返事をするぐらいには。
「ん? ぁ、はあ!? !? なん、な、どしたん!?」
「髪を切っただけだけれど」
「いや確かにそうやけど!! なんでまたそんな切ったんかっちゅー話や!」
 その相手はの髪を見るや否や、見て解るぐらいに狼狽してズカズカとこちらに歩みよってきた。落ち着きがないのは今に始まったことでもないので、は素直に返事をする。
 彼――忍足謙也とはクラスこそ一年の頃同じになってそれきりではあるが、謙也はなにかとに声をかけ、ちょっかいを出してくる同級生だ。そしてその度、のそっけない返事に撃沈しているのにも関わらず、負けずにコミュニケーションを図ってくる。一般的な評価がクールの一言であるには、それでもそれなりに友人はいるけれど、彼ほど自分に声をかける生徒は少なくとも学校内にはいなかった。そういう意味では、特別である。
「……」
(間抜けな顔だなあ)
 の突然のベリーショートに、未だ謙也は対応できていない。ぽかんと口を開けて、視線だけがぐるぐるとの髪を見つめている。そんなに奇異の目を向けられるのも、心外だ。
「似合わない?」
「っ、んなことないで! めっちゃ似合うとる!!」
「そ。ならよかった。私も結構気に入ってるし」
 切ったばかりの毛先を玩ぶ。随分と軽くなった髪のおかげで、以前は髪に隠れて見つかることもなかったピアスが、謙也の目に留まったらしい。そこからまた会話が広がる。先日の件など、まるでなかったかのように、彼は明るく会話を続けていた。
 謙也は先日、に告白してきた。好きです付き合ってくださいというアレである。唐突なそれには目を丸くしたものの、丁重に、丁寧に、お断りした。断られた本人は意気消沈という言葉も生ぬるく、どちらかというと一人死屍累々といった様であったのは、言葉を尽くしたのが良くなかったのかもしれない。
 とにもかくにも、すっぱりとお断りしたのだが、あれだけ落ち込んでいたのにも関わらず、こうして声をかけてくる。二・三言葉を交わしたりなんだりと、彼は変わらない態度でとコミュニケーションをとろうとする。も同じように、変わらない返答を返す。会話が一撃で終了してしまうような、そんな回答を。
「……な、なあ
「うん?」
 会話が切れて、その間に謙也は少し考えるような仕草を見せ、意を決したように声をかける。少し緊張した様子だった。
「このあと何もないんやったら一緒に飯食」
「ない」
「……せめて最後まで言わせてほしいわ」
 がくりと音が立ちそうなくらいに、謙也は肩を落とした。はそれを、あまり温度のない目で見つめる。少し、疑問気な色を浮かべて。
「ねえ忍足。前から不思議だったんだけど」
「なんや」
 その声に覇気は微塵も無く、なんとか返事をしているという有様だった。
「私、前にあんたを振ったと思うんだけど」
「…………振られたで、思い出したくないぐらいに思いっ切り」
「それはごめんなさい。なら、どうして誘うの? 思い出したくないぐらいに振られたのに」
 はいつも彼の態度が不可思議であった。あんなに落ち込むぐらい凹んでいたのに、それでも数日後には以前と変わらない態度で謙也はの前に現れた。友人として声をかけたりする程度なら、いくらでも理解できる。できないのは、彼が今し方そうしたように――未だを諦め切れていないような行動に出ることだった。
「諦めてないの?」
「……そのうち、気が変わるかもしれんやろ」
 ばつの悪そうな顔をして謙也は答える。残念ながら、にその予定はさっぱりない。
「わかっとるわ。簡単に気を変える奴やないし、俺がお前の気を変えれる自信もないし」
「ないんだ。あるからそうしてるのかと思ってた」
 「うっさいわ」と返し、視線が泳ぐ。困っているようなのだが、それが照れなのか、はたまた決意の時間なのか、には想像しえないことだ。何せ彼は、
「しゃーないやろ、振られたからって諦めつかへん。お前のこと、……、好きやねんから」
 の理解を超えたところで思考し行動し、の前に立つのだから。
「……。そ」
 短く言って、は謙也に背を向ける。帰ろうと思ったのだが、やはり止められてしまった。
「えっちょお!? 俺の人生二度目となる告白を一言どころか一文字で片付けるか普通!? 何か返事するもんやろ!!」
「前にも返事したでしょう」
「そりゃそうやけど!!」
 憤慨する謙也に、それでもは態度を変える気は全く無かった。振られても、それでも止まれないと言うのだ。自分からの返事は確かにしたのだから、これ以上は自分の言うところではないとは思っている。
「つか、ええんか? 俺まだ、その、お前のこと好きでおるで」
「? 止めろって言ったら止めれるの?」
「それは……無理」
「なら、いいんじゃない。好きでいるなら、それで。迷惑かかっていないし、ならそれでいいわ」
 軽く手を振りながら「それじゃあまた、学校でね」とさよならをする。明日から、三年生だ。


「それでええって……」
 迷惑になっていないからいいと、彼女は言ったけれど。
(それって、つまり、今日みたいに声かけんのも、誘ったりすんのも、)
 にとって迷惑ではないということか。謙也の顔がにやけた。たったそれだけのことが、やけに嬉しい。朝から出かけた甲斐があったというものだ。に会えて、話をして、自分の気持ちを少なからず肯定してもらえた。走り出したいぐらいには嬉しい。走る前に用事を済ませなければならないことを思い出して、踵を返す。
「……いやでも、なんや。あんだけ長かったら、やっぱ勿体無い気ィするわ」
 びっくりするほど短くなった彼女の髪を思い出し、
「きれいな髪やったけどなぁ」
 ぽつりと謙也が呟いたが、の耳に届くはずもなく、春風が攫っていった。

( そういうところは、尊敬するよ )


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