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1 サンシン(三味線)
14世紀頃中国から伝来したと言い伝えられる、王朝時代から士族の楽しみとされ琉球音楽の主要楽器として定着した。16世紀には民俗楽器としてかなり普及し宮廷楽器として改良に力らを注いだことにより、後世多くの名器を生み出すことになった。サンシンの竿は、クロキの芯、ユシギの芯、胴材は、チャーギ、クワーギ、クスノキ、胴張材はニシキヘビの皮また、渋で美濃紙を4〜5枚重ね張りしたもの、あるいわ薄い絹布張りに渋を塗ったものを シブバイサンシンと呼び戦後まで使用していたものである。
2 カンカラサンシン
終戦後のカンカラ三線の作りはさおは、野戦用ベットの骨組の棒で作りチーガは、缶詰の空き缶で、チルは落下傘の糸と電話線のハリガネ等を使って作っていた
3 クーチョー(胡弓)
 沖縄のクーチョーは、中国から入ったと伝えられ、王朝時代には、士族の楽しみとされたものである、後に庶民に普及してきた、笛、太鼓と琉球楽器の主流となった。
4 シブバイ
  芭蕉木(ヴー)又は(バショウー)と呼んでいた、の根元から切り、株を凹にしてシブを溜める 三味線の胴張部分には、美濃紙、又は、絹の生地を貼り付け切り株に溜まったシブを塗る、美濃紙、又は、生地を重ねるごとに渋を塗る、数回繰り返すと立派な渋張りとなる。
5 落下傘張り
終戦後物資の乏しい中、、胴張材にする材料(ニシキヘビの皮)が無く、胴張材として思いついたのが戦時中に使用した落下傘を数枚張り合わせて三味線の胴張り財として使った。
6 (ツオナ)哨吶俗にガク、ガクブラ又はピーラルラー
 15世紀頃、沢岷親方が明国に渡った際、国王行列の路次楽を習得し、持ち帰った。以後、琉球でも国王行列の楽となった。琉球国王の江戸上りの際にも道中吹奏され、大和の人を驚かせたと言う。 250年程前与儀と言う人が王府でこれを習い、今帰仁湧川に持ち帰り8月の豊年際に奏したのが始まりだと言う。
戦前戦後、ブリキの一斗缶に水あめを入れて自転車の荷台に積み、部落を歩きながらピーラルラー吹き鳴らすと、どこからとも無く子供が集まり割箸大の棒に水あめをまき取って売っていた。
7 鰯缶詰の空き缶の楽器 
 太鼓と合わせて三味線の伴奏に使った。
その他に数種類あり、数十点現有展示中
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20 楽器類
  三味線、琴、太鼓、ツオナ、尺八などがある。 琴・太鼓・