25 大日本帝国 軍事用具
  進軍ラッパ、指揮刀、鉄兜、弁当箱などがある。

1 大日本国防婦人會 
 大日本国防婦人會は昭和 7年 (1932)に40人で発足したが10年後には1000万人にふくれ上り軍部の総力戦体制づくりに全面的に協力する趣旨で設立された。日中戦争下の銃後体制を支え、第二次世界大戦の出征の見送り、慰問品の送り等を携わっていたご婦人達です 傷痍軍人や遺族の支援も行っていたという。 国を陰から支えた人達である。
  金町小学校校舎の前にて白エプロンにたすきがけ姿の撮影写真。   コピー写真あり
2 日本軍鉄兜 
 1930年(昭和5年・皇紀2590年)に陸軍に制式採用された。
 陸軍は1920年代中頃からヘルメットの開発を初め、本品の制式採用以前にはフランス軍・イギリス軍・ドイツ軍のヘルメットを参考に各々疑似したものや、庇部分が長く頭頂部に花型の覆いが付く通称「サクラ型(サクラヘルメット)」など多種多様な形状のものが使用されていた。
3 筒型脚絆(きゃはん)(ゲートル)
 革の脛当てである革脚絆も、長靴の代わりとして、陸軍、海軍士官に用いられた。
4 巻脚絆(まき きゃはん)(ゲートル) 
  巻脚絆とは、人体の脛部分に巻かれる布等をいう。
  脛部分を保護すると共に、脛以下の部分の血管に圧力を加えて下肢に血液が滞留することを防ぐ働きがある。また、枝や棘などが刺さることや、砂や泥などがズボンや靴に入ることを防ぐためにも用いられる。
5 日本軍水筒
 将校用の水筒は、兵用よりもアルミが厚く出来ている。また、 キャップがコップ代わりになっている。
 本来は羅紗地の水筒覆いが付いている。
 
6 サーベル指揮刀 
 尉官用指揮刀(サーベル)です。指揮刀は、大礼服着用などの正装時に佩用する刀です。
 
7 日本軍刀 
 一般的に軍刀は、准士官以上の者が私物として所持する物です。 陸軍でも海軍でもこれは、変わりません。 但し、兵科によっては、士官以外の兵・下士官も所持します。 代表的な兵科としては、騎兵や憲兵です。 こうした場合は、官給品として支給されます。 こうした軍刀は、下士官刀とか曹長刀などと呼ばれます何故か、多くの将兵が日本刀を好みました。
8 喇叭ラッパ  
 (喇叭の語源) 喇叭とは英語ではBugle、フランス語ではRappel。意味としては「呼び戻す・呼び集める」などの意味がある。日本ではその始まりは慶応2(1866)年の春に、江戸城を守備する幕府歩兵隊がフランス人教官から歩兵喇叭の教習を受けたときとされているから、フランス語のラッペルがラッパになったともいえよう。さらに一説には、その源は古代サンスクリット語で「叫ぶ」を意味する RAVAにあり、教典で中国に伝わって喇叭の字になったともいわれる。中国語の発音もラッパであり、日本に伝来したものはフランス教官からも中国渡りも同じくラッパとなった。かつては部隊の行動が全て喇叭で統制されていたこともあり、常に指揮官の直ぐ脇にいて目立つ存在である喇叭手は敵のいい的であった。海軍用のラッパで3回巻きになっている。
9 喇叭(ラッパ)  
  陸軍用のらっぱで2回巻きになっている
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14 弁当箱 
 海軍省の弁当箱は、アルマイト製・現在の弁当箱より、少し大型で蓋に海軍省の文字があります。
15 慰問袋  
 慰問袋は、戦時中に戦地の兵隊さんを慰めるために、家族、親戚、知人等が慰問品を入れて送る際に使用した袋で、 手作りの物から既製の物まで実に様々であった。
兵隊さんが喜びそうな日用品、缶詰、菓子類等  品に慰問の手紙、などを添えて送った慰問袋 である
16 千人針 
  千人針は、出征兵士が無事に帰還できることを祈って作られた。
家に召集が来ると奥さんや身内の方が千人針を持って隣り近所を訪ねて千人針を縫わしたものである。  虎は強い「千里を行き、千里を帰る」と言われている事に由来し寅年の人は自分の年齢だけ結び目を縫う事が出来るので必死に寅年の人を探して針を通させていた。
17 防衛食
 これは大東亜戦争時の缶詰の代用品として用いるために作られた容器で ★(この品ができ た経緯、当時の製法)とその他利用方法★ この品ができたのは大戦末期缶詰の代用品として軍人民間人の戦時中の非常食として考案されました当時の内容物は、加熱 調理された煮物などが入っていたそうです煮物などを入れて本体と蓋の間にゴムパッキンを挟み加熱をして保存食にしていたようです。 加熱する事により蓋とパッキン本体が圧着された状態になり蓋上部のくぼみに穴を開けて内容物を食べたそうです、実際はパッキンなどがしっかりと密着しすぎて蓋を確実に割って剥がしたり 容器を割って中の物を食べたとのこと、この品は 自警団  愛国婦人会 その他の団体 軍関係において保存され防空訓練や 竹やり訓練の際に食べられる事が多かったとの事です。
18 防塵用眼鏡 
 日本軍の戦闘機の場合、風防の透明性の悪さや枠が邪魔になるなどの実用的な理由から、空戦中あるいは敵機の出撃が予想される場合には、風防を開ける場合が多く、この時風塵を防ぐために ゴーグルを着用した。
19 防塵用眼鏡 
 満州や北支では風が吹くとひどい砂塵が起こりこのような防塵眼鏡が用意されていた、携帯用にコンパクトにするためか、レンズが真中から折れるようになっている。  かけてみると真中の枠は視界の妨げにはならない。
20 兵隊盃  
 明治・大正・昭和の時代,日本は日清日露、大東亜戦争と立て続けに戦争を続けた。 その当時、軍の兵役を終えた兵隊さん達が、除隊の際に除隊記念などとして作り、知人達に配ったものであろう俗に兵隊盃と言われている盃類である。 命を掛けた戦争を経験し、軍隊を除隊する・生きて帰れた証でも有る。 軍隊を除隊するときこのような盃を記念に配る習慣が当時あった。 これ等の盃は数も多くその為、盃のデザインも色々あるが、やはり当時の兵隊さんのものであり、日本を代表する桜の花や日本国旗をデザインしたものが多い。 
21 燈火管制用の電球カバー
  燈火管制とは、「もっと光を」の逆をいく、「もっと光をさえぎれ」の究極の世界。市民の日常生活の光を、国家が管理・統制した。 何のために。 「燈火管制は必要だったのか ? 附近を暗黒ならしめて、敵機に遠方より目標発見を困難にするための目的であった。 夜空襲警報のサイレンが鳴り出すと燈火管制がおこなわれたものである。
22 防空頭巾
 防空頭巾とは空襲の際、落下物から頭・首筋・顔を守る頭巾である。
同時に頭髪を押さえ込み、頭髪が燃えるのを防ぐ役割も果たす。

その他に数十種類あり、百数十点現有している
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軍事装備用具と武器を選り分けするためしばらく時間かかる