1 九六式 25ミリ高角機銃
 九六式(皇紀2596年(西暦1936年)制式)
 陸上の陣地に於いても対空・対地用として使用され、特に沖縄防衛戦に於いては米軍と死闘を演じたとされる。
豊見城で使用された機関銃である。
2 三八式歩兵銃  
 三八式歩兵銃は明治38年(西暦1905年)に採用された旧日本陸軍の歩兵用小銃。 
明治38年に制定されて以来、第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争と使用された日本の代表的小銃です。
3 九九式短小銃 
 九九式短小銃は、西暦1939年、(昭和14年、 皇紀2599年)に日本陸軍が制式採用した、ボルトアクションライフルと呼ばれる手動遊底装弾式小銃の事。
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5 三八式75mm弾
 文字が鮮明でありませんが、ペイントで”昭和9年4月 陸軍・・不鮮明・・分遣 名前”。
本体は黒のオリジナルペイントが30%は残っています。信管に”昭 六 12”と読めます。

8 三式地雷
  三式地雷とは、第二次世界大戦中に日本軍が使用した陶器容器の地雷である。
 この陶製容器の上部にゴム被帽を取り付け、その内部に信管があった。直径27cm。
およそ3kgの爆薬を内蔵していた。
9 九一式手榴弾
 本体に爆薬が装填され、それが爆発・ 破片が飛散することで相手を殺傷させるための歩兵携行兵器
昭和16年に作られた手榴弾
 沖縄戦で 自決用に渡され 多く使われた
 末期型陶器製
昭和19年〜昭和20年生産
  制式採用品ではない、陶器製手榴弾、発火方式は摩擦発火方式が一般的であったようである。
  ボールのような丸い容器の物も数多く残っている。
 旧日本軍 陶器製手榴弾
 手榴弾は、平均的な歩兵の装備として利用された。 大日本帝国陸軍では鉄不足から、
陶器による手投弾が製造されパイナップル形の京焼・清水焼・備前焼、信楽焼などがある。
   「自決ように渡される事の多かった手榴弾。」
 訓練用手榴弾  
 これら訓練用手榴弾は、青年学校等の軍事教練に使われたものである。
軍隊では訓練にも実物を使用したとされている。
 九九式手榴弾 手榴弾は、武器の一つで、主に手で投げて用いる小型の爆弾
昭和18年に作られた手榴弾 沖縄戦で 自決用に渡され 多く使われた
    92式軍用無線機用 電池
 無線機の電池と電話機の電池
 糸満市 米須発掘現場から出てきたもの
九二式重機関銃
 戦後74年の間 畑に埋もれ開墾していると出てきた
 糸満市国吉の畑から出てきた
平成31年3月3日
  三十年式銃剣
 第24師団が防御陣地の核心として使用したものとおもわれ 与座岳陣地豪の中40m付近に埋まっていた銃剣です。
 戦後74年間も土の中に眠っていた銃剣です。
 1897年(明治30年)に採用された大日本帝国陸軍の銃剣

 平成31年4月11日11時15分 見つけたものです
      重機関銃本体 平成31年3月3日(2019年)
 糸満市 字国吉の開墾地の畑から出てきた 重機関銃
  陸海軍の陸戦の花形的重機関銃
1400b程度の目標に対して命中率が高く、
一分間 200発の発射が出来る
   四一式山砲  糸満市 与座 第二四師団の防御陣地のトーチカ 離れの壕から
平成31年4月11日11時15分壕から引き上げ完了
 糸満市 与座 第二四師団の防御陣地のトーチカ 離れの壕から
 砲身重量:100.1s(閉鎖機除く) 、総重量535kg 砲口径75mm
    糸満市米須 原野土の中一箇所から発見、 地中の中で炸裂し破片が飛び散らないで一箇所にあったと思われる。
  R元年5月25日 戦後74年にして破片が見つかるのはめずらしいことである、戦後貧しい時にスクラップブウムが訪れ金目になる鉄くずを探すのに必死でしたその時期には薬莢・弾破片・銅線・道に落ちている釘なども拾っていましたね
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39 旧日本軍武器