これからへの君との願い事

 強くなりたいと思ったことは、なかった。わたしのことを好きになってくれたアルティメットがいて、彼女が満足に戦えるデッキがある。それでよかった。好きなアルティメットと一緒に戦えることが嬉しかった。バトルするのは楽しかった。勝っても、負けても。クエスターでもないわたしに、強さを求める理由はほんとうになかった。
 だけど、ほしいものがあったとき。助けたいものがあったとき。叶えたいものがあったとき。
 わたしに、戦う意思を声にして、自分のデッキを、背筋を伸ばして掲げることができるのだろうか。広くて恐ろしい、こんな宇宙のなかで、自分を信じて輝くことができるだろうか。
 夜空で一番輝く星のように。君が何よりも目指す星のように。


 一番星号がぐんぐん高度を上げて、とうとう、エイプリル姉弟が見えなくなる。それでもふたりは手を振っているのだろうな、なんて予想をしながらも、は窓に張り付くのをやめた。地球の青い空の中を、更に上を目指して進んでいく。レイは宇宙域に上がるために出力をあげていて、一度に振り向くと、ちゃんと座ってろよ、と目線だけで伝えてくる。毎日掃除するひとがいなくなった直後の、きれいなキャビンで、は確り座った。隣にはソルトが座って、ムゲンは宙にふよふよ浮遊したままだ。大丈夫だろうか、中途半端は一番危ない。やがて溜め込んだエネルギーを一気に放出して、一番星号は地球から離脱した。ムゲンは少々バランスを崩す程度で済んだ。
 究極のバトスピに関するあれこれが終って、宇宙全部が大変になったのもすっかり落ち着いた頃。流石に、ゲートを三つも通る必要があると、一番星号でも地球に到着するまでかなりの日数がかかった。その間に、荷物やカードの整理をして、またときどきテーブルでバトスピに勤しんで。それこそ、究極のバトスピを探していた頃となんら変わらない旅路を、一行は続けていた。第二階層から第一階層へのゲートを前にしたとき、ほんの短い時間、ライラがさみしそうな顔をしたけれど、それを明るくしたのは弟のリクトだったのを、は見た。
 そうして、究極のバトスピを求める旅は、ことの発端だったであろう姉弟を地球に下ろすことで、一旦幕を閉じたのだった。は窓に映る地球を見る。自分が住んでいた星とも、これまで見てきた星ともまるで違うところ。短い上陸だったけれど、土や草の匂いがたっぷり含まれた空気は、何故だか懐かしく感じられた。
「地球、きれいだね……青くって、まあるくって、あんなに草の匂いがするの、初めてだった」
「そういや、はリクト達より後に乗ったんだったな。なんか、ずーっと一緒に旅してるみたいな感じ」
「ふふ、そうだね。わたしもそんな気がする。……でも、この間乗ったばかりな気もする」
「……結局どっちだ?」
「えーっと、……ムゲンはどっちかな?」
 質問を返すと、うーん、と唸って悩み始めた。短い腕を組んで、ぱたぱたと耳を動かしてキャビンの中を漂う。ソルトに聞いてしまうと、たぶん正確な時間を応えられてしまうので、今回は口を噤んでおく。
 もうずっとずっと、こうしている気がする。それは本当だ。ついこの間あった気がするのも、どちらもにとって嘘のない真実だ。きっと、リクトとライラだってそうだろう。だから、レイが地球に帰れと言ったときに戸惑いを見せたし、それでもすぐに頷いた。おじいちゃんとの語らいの邪魔もよくなかったから、そのまま、さらりと別れることにした。ふしぎなことに、さみしいはずなのにこれっぽっちもそんなことを思わなかった。二人の荷物の整理をしているときも、食事をしているときも、地球に下ろしたそのときでさえ。
「そんなもんだ」
 船を自動操縦に切り替えて、の向かいのソファに腰掛けたレイが言う。外はすっかり、慣れ親しんだ第一回想の星空だ。地球の青は随分遠くになって、やがて他の星と見比べができなくなる。あのきれいな青が遠くなっていくのは、名残惜しい気はする。
「またすぐ会えるさ。なんたって、」
「マジダチだもんね」
 言葉を先にとると、レイがきょとんと口を噤む。この言葉も随分との耳に馴染んだ。好きな言葉のひとつになった。そういうことが嬉しい。先にとるなよな、とレイが不貞腐れた顔をしたから、素直に謝る。特に言及されることもなく、レイはそれで終ってくれた。楽しいやりとりのひとつ。
「で、次どうするんだ? レイ」
「それなんだよなあ。…………ま、宇宙を旅してれば、なんかあるだろ。強い奴も楽しいことも!」
「まあ、おれは特に文句はないけどな〜」
 悩んだ顔をした割に、決断は早くそしてあっけらかんとしていた。究極のバトスピを指し示す宇宙コンパスがなかった頃は、そんな感じだったんだろう。宇宙を泳ぐカードクエスター。遊泳しているだけで、見たこともないものや楽しいことはたくさんある。それなら、船長であるレイの指向に、文句をつける必要はない。
 そう思って黙っていると、レイの視線がに向いていた。笑みの表情のまま首を傾げる。こちらの意見を求めている、というわけでもないらしいが、濃い色の瞳に首を傾けた自分が映っていた。
「……えっと、レイ?」
 が声をかけて、ようやく動き出した。
「折角第一階層まで来たんだし、アイスキューブに戻るのもいいな」
 レイの当然の思いつきに、けれどそれに至っていなかったためか反応ができなかった。の硬直に気付いたのか、一人納得しているレイを尻目に宙を浮いていたムゲンがに声をかける。何度か呼びかけられて、ようやく動けた。
「どうした?」
「ううん、なんでも……、なんでもないと思う」
「思うって」
「えっと、……あはははは」
 追求されて、は困ってしまう。にもわからないのだ。今反応し切れなかった理由。何か、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた気がするけれど、それが何かよく解らない。わかっていない。だから、どうしたはのせりふだ。困り果てて、ついにはレンズの向こうの世界が滲む。あれ、わたし、もしかして、なきそう? それこそどうしてだろう。わからない。どうしよう、どうしよう。
 薄青のレンズのおかげか、レイとムゲンは気付いていない。けれど、いつ気付かれるかわかったものではない。気付かれないうちに、なんとかしなければ。でもどうすれば。そんなことをぐるぐる考えているの救世主は、
「ランチタイムデース!」
 ソルトの声であった。それで切り替わってくれたムゲンとレイの興味にも感謝しつつ、一度見つからないようにヘッドセットを解除して目元を拭う。やっぱりちょっと泣いていた。おかしな話だと思う。なにも泣くことないじゃないか。
(だって、アイスキューブに、戻るだけなのに)
 船を降りろなんて、一言も言われていないのだ。


 レイのアイスキューブという星の一番の印象と言えば、「さむい」の一言がである。名前の通り、立方体の氷みたいな星は、年中寒いというのも出身のから聞き及んでいる。自身のアルティメットも氷の山のてっぺんにいたし、そこに至るまで、服を防寒用にするぐらいには寒かった。住人みんなコートを着るような星だ。
 そんな星に立ち寄ったのは、アルティメットの噂があったから。思えば、それを耳にしなければ寄らなかっただろうし、にも出会わなかったのか。となると、あんな山の上にクリスタルとして鎮座していたアルティメット・ジークフリーデンには感謝しなければならない。次のバトルでは一緒に戦ってもらおう。
 出会ったとき、は給仕をしていた。アルティメット・クリスタルに並ぶ行列、その周りに自然とできた飲食店の列。その一つで働いてた。それにたまたま声をかけただけの話。運命的とは思わないが、貴重な出逢いだ。それから一緒に船に乗って、宇宙を縦横無尽とばかりに旅をしているのだから。同じものを見て、同じものを食べる。感動をともにするマジダチとして、一番星号のクルーとなった。
 もしあのとき、声をかけなかったら。ステーションを通り過ぎて、もっと山の近くに船を泊めていたら。たらればの話はレイの好むところではないが、それでも、そう思うことがないわけではない。
 ――みんな、これからいろんなところに行くんだね。
 彼女はそう言っただけで、一緒にいきたいとも、羨ましいとも口にはしなかった。しなかったけれど、レイは気付いた。のポケットにデッキが収まっていること。そこにアルティメットが入っていること。これまでと、これからの話をしたとき、薄青のレンズの向こうで、彼女の瞳が星のように輝いたこと。
 だから誘った。それだけだ。
 バトルをしてみると、楽しかった。真摯で、落ち着いたバトルをする。まさしく静かに降る雪のように。積み上がると脅威だ。単に強い相手ならそれまでもたくさんいたけれど、ああいった手合いはカードクエスターには少ない。どうしたって、こんな宇宙のバトスピの腕ひとつで回ろうとする奴らは、基本的にがつがつしたプレイスタイルになる。その普段とのギャップもレイには新鮮だった。
(あれはきれいだよなあ)
 のバトルフォーム。彼女のもつアルティメットに影響されて、透き通るような白の髪。あのときはばかりは、ヘッドセットもいらない、素顔なのがまたいいと思う。何がどういいのかは深く考えない。だってそれだけでいいものだからだ。レイの心を熱くさせるもの。そのひとつだけれど、それに限って言えば、燃え滾るような熱ではなく、静かに沸き起こるあたたかさだ。に対して、自分でもわからないふしぎが多いと思う。
「っと、ちょっと逸れたか」
 眼前のモニターに、軽く注意が流れた。一番星号を揺らしてしまったらしい。考え事をしすぎていた。
「おいおいだいじょうぶか?」
「わるい」
 昼食後、自動操縦を切ってレイ自身が操縦している。ソルトはキッチンの片付けをしているし、ムゲンは食後のコーラを抱えて船内遊泳だ。そして、は部屋に戻っている。一度戻るのだから、なにか置いていく荷物でもあるかもしれない。ライラにもしつこく聞かされたが、女の子というのは準備が大変らしい。揺らしたことを後で謝らなければ。
「…………なんか、ど〜もよくないな」
「よくないってなにが?」
「おまえも、もだよ。昼飯食う前から、食ってる時も心ここにあらずだったぞ」
 そうだっけ、と返すことができず、レイは無言になってしまった。自分のことはそうとは思ってないが、のことと言われると白は切れない。部屋にいるね、と言ったときももごもごとしていたし、昼食中も手が止まることが何度かあった。
 アイスキューブに戻ると提案したときからだ。あのとき、は驚いたのか、動きを止めてしまって、そしてそれから言葉にも詰まっていた。困っていた、というより困惑していたという言い方の方が近いだろう。
「アイスキューブ、行きたくねえのかな」
「それはちょっと違うだろ。…………っていうか、言い方がよくなかったんじゃねーか?」
「なんだよ、原因わかってるのか、ムゲン」
 なら教えてもらいたいところだが、ムゲンは苦虫を噛み潰した顔をして、黙ってしまった。なんだなんだ、解るならはっきり言ってほしい。ムゲンが小さな声で、朴念仁め、と呟いたのはレイの耳には届かなかった。
 手元の機器を操作して、隅にアイスキューブまでの経路を映す。まだまだ遠くだ。一旦ステーションに寄って、休憩をとるのもいいかもしれない。
「なあ。レイはさ、のことどう思ってんだ?」
「どうって?」
「どう思ってるんだーってこと」
 言ってることが何も変わってない。変わってないので、それ以外に言いようがないのだろう。どう、と言われても、困ってしまう。はマジダチで、それは真実だ。だから一緒に旅をしている。楽しくバトスピをやれた。それだけで条件は十分だし、彼女もそれをよしとしている。
 けれど、
(ああ、うん、ちがうんだよなあ)
 ハンドルを並行に保ったまま、少し顔を上げて後ろに流れていく星を見る。いつかの海で見た夜空とは、全く違う星空が広がっている。伝えたことと、今の気持ちはかわらない。もっとと思うこと。自分が見てきたことを見せてあげたいし、これから出会う新しいことを一緒に見ていきたい。もっと近づきたい、もっと知りたい。もっと、一緒にいたいと思うこと。
「まあ、なんか考えてるならいいと思うけどな」
 思考するレイに何か感じられたのか、ムゲンはそれきり、そんな話題は振らなかった。ふわりと軌道を変えてソファに落ち着くちびドラゴンを、レイは目で追う事はしなった。
 言葉にしたときですら、ケリをつけられなかった気持ち。ムゲンは、それを考えたほうがいいと言う。悩むのはしょうにあわないんだけどなあ。感じたことを感じたまま、言葉にしたい。かたちにしたい。なにも、レイは考えなしというわけではなかった。むしろ検討はよくする方で、その過程が自身の中で行われるから、さっぱりしているように見えるだけだ。レイ自身、どう見えたところで気にはしていない。ただ、悩むというのは別だ。考えること、思うことは前に進む手段だが、悩むのは立ち止まっているようにレイには思える。答えが見つからなくて、足をとめるのは性分じゃない。だから、件のもやもやしたものについて、悩まずにそのまま、そういうものなのだ受け入れていたけれど。
 彼女について、どう思っているのか。
 考えると、身体の奥から鼓動が聞こえた。それがよいものであることは、確認を持って言える。名を知らなくても、明確に出来なくても。それは確実にあって、レイという存在の一部だ。操縦しながらじゃ、まとまるものもまとまらないな。そんな風に切り替えて、ふと目線を正面隅のモニターに移す。やっぱり一度、ステーションに寄ろう。ムゲンにを呼んできてもらおうか、依頼しようとしたときに、タイミングよくドアが開いた。レイやソルトとは違う、軽い足音。聞きなれた声だった。


 ステーションと言えば、そのうちの一つの施設であるバーを指すことが多い。カードクエスターを始め宇宙を航行する者たちの憩いの場となるそこには、無論バーだけでなく、補給や休憩、情報を得るためのあらゆる施設が揃っている。一番星号の面々は、アイスキューブに直行せず、途中のステーションに一時停泊することにした。第四階層を抜けてから、ずっと船は飛ばしっ放し、クルーは船にずっと篭りっ放し。地球で一度降りたとはいえ、ゆっくりとリフレッシュをしたい頃合だ。レイの提案に、ムゲンもも、ロボットであるところのソルトすら賛同した。ソルトは食糧の買出しに行き、レイたちにステーションで休憩するように勧めた。
「わたしも、お買い物行こうかな」
「ノンノンノン。さんはレイとセットでステーションにどうぞ〜」
「えっ、でも」
「ではでは、それでは!」
 の申し出をさっぱり断って、ソルトは買出しへ向かった。勿論、其処に残るのはと、レイ、ムゲンである。土煙を立てて去っていく後ろ姿に、
「……なんだろう、あれ」
「さあ?」
 二人はそんな、間の抜けた声しか出せなかった。いいから行こうぜ、という伸びやかなムゲンの声で足が動き出す。
 情報収集も立派な仕事で、なんだかんだ情報を集めるならステーションが一番だ。とりあえず、一番ひとが多く情報が回るであろうバーを目指すことにする。一服しながら、マスターに聞いてみればいい。カードクエスターも多く揃うところだ。何かしら面白いことのひとつやふたつ、という期待もある。ノンアルコールオンリーの看板の下を軽やかにくぐって入った店内は、思いのほかひとがいなかった。いらっしゃい、の丁寧な声だけがよそのステーションと全く変わらない。
 いつもどおり、山のように氷が盛られたスターダストコーラと、氷抜きの同じコーラ、そしてホットココアがカウンターに並ぶ。ひとの少ない理由を聞けば、特にそれといったこともなく、たまたま長居していた大勢の客が引いていったという。となれば、またすぐひとが増えるか。それまで、ほぼほぼ貸切のこの状態を楽しんでおこう。
「なあマスター、なんか面白そうな話ある?」
 そうですねえ、と磨いていたグラスを置いて、手元の端末を操作し始める。第一階層は他に比べて平穏だから、早々大げさなことは起きない。ギルドの体制が変わった今なら尚更だ。それでもやはり比較の話だから、面白いことはそこら中に転がっている。だからこれは、それを拾い上げるための行為だ。周囲の惑星からの仕事の依頼や、ニュースを電子音とともに検索していく。
「大きなお仕事はありませんね。面白い事、と言えば――、そろそろ、アイスキューブは白夜の時期ですな」
 自然と目線がに向く。両手でホットココアを持ったまま、もうそんな時期なんだね、と呟いた。
「アイスキューブでは一大イベントですよ。今回のは数日間続きますから」
「うん、一日で終るのは何回かあるんだけど。一週間ぐらい続くのはこの時期だけ」
 出身のが語り、マスターは出過ぎた真似でした、と再度手元の機器を操作する。カウンター上に設置されているモニターに、祭りの様子が映し出された。常ならば曇っているか、宇宙の色を映す空が、白く染まるアイスキューブの白夜の祭りだろう。リズムよく変わっていく資料映像は、祭りらしい屋台や、ゲストを迎えてのステージショウなどを映していく。
「楽しそうだな」
「今年はマジカルスターさんがステージに出演されるそうですね」
 マジカルが!? とムゲンがとんでもない反射速度でマスターに食いついた。マスターの手元を覗き込み、モニターの操作をしていた機器とば別の機器端末でその情報を確認している。これは、の件がなくてもアイスキューブに決まりだな。
「白夜はね、」
 変わらずアイスキューブの映像を見続けるが、それでもレイに語りかける。
「さっきも言った通り、何度もあるの。一年のうちに大体決まった暦でやってくる。ただ、この時期のは、アイスキューブでも特別な白夜なの」
「へえ、どうして?」
「えっと、ごめんなさい。由来はわからないんだけど、一週間続く白夜は、生まれ変わる一週間なんだって。一年の真ん中で、七日間、生まれわかって、新しく歩いていくんだって。……昔、そう聞いたの」
 ふわふわした知識でごめんね、とはレイに向き直って、微笑んだ。矢張り生まれ故郷だ、愛着もあるし、懐かしさだってあるだろう。あの他では味わえない寒さも、氷の大地も、彼女にとっては故郷なのだから。ここまできたなら、折角の特別な期間に合わせてアイスキューブに向かうべきだ。の笑顔を見て、レイはそんな決心をする。
「そっか。尚更行かなきゃな」
「――うん、そうだね。……あのね、レイ」
 スツールが高い音を立てると同時に、が身体ごとレイを向く。顔の半分が薄青に覆われた表情は、懐かしいとか寂しいとか、そんなものでは決してない。口を引き結んで、強く何かを覚悟した顔。レンズの向こうで、涼やかに輝くそれは、
「ターゲット!」
 それこそあの氷の星のようだと、思った。


 掲げられたデッキに、マジカルの情報で話し込んでいたマスターもムゲンも目を向けた。そのままその目が見開かれる。それもそうだ。彼らにしてみれば、なんの脈絡もなくバトルの口火が切られようとしているのだから。脈絡がわからないのは、デッキを向けられているレイも同じだけど。
「なんだよなんだよ、突然! 喧嘩でもしてたのか?」
 ムゲンの言葉も当然だ。あまりに唐突過ぎる。だから、レイはこちらとあちらをきょろきょろと見るムゲンを挟んで、を見つめる。じっと言葉を待つ。理由があるのはであり、それを聞く意思がレイにはある。腰のデッキケースがほのかに光って主張している。わかっている、だからもう少しだけ。
「……びっくりするよね、ごめん。急にこんなこと」
「良いって。それだけ理由があるってことだ。……話してくれよ。オレは知りたいって、前にも言っただろ」
 バトルをするには情けない顔をしていたから、けしかける。は申し訳なさそうな顔を明るくした。もっと、もっと知りたい。教えてくれ。そのデッキを掲げた理由。戦う理由。それを知りたい。
「さっきね、あの、船でアイスキューブに戻ろうって話をしたとき。びっくりしちゃったの。戻るなんて、全然考えてなかったから。びっくりして……、ちょっとだけ泣いちゃってた」
 やっぱり、と言わんばかりにムゲンが溜息を吐いて、レイを一睨み。矢張りムゲンは理由がわかっていたらしい。けれども、レイにはさっぱりだ。あんなに愛着のある故郷に戻るという提案が、どうしてそんなに衝撃的なのか。
「わたしにも、そのときわからなかった。だから、ちゃんと考えたんだ。………………、それで、」
 言葉が続かなくなった。視線が下を向いて、きょろきょろと落ち着かない。口も何度か開こうとしては、閉じるを繰り返している。言い難いというよりも、言う内容が恐ろしいように、レイには見えた。
。だいじょうぶだから」
「う、ん…………」
「ちゃんと聞いてる。ここにいる。だいじょうぶだろ?」
 危うく引っ込みかけていた手にまた力が篭った。それでいい、宣言をするなら、そうでなくてはならない。
「それで、わたし、船、を、下りろって、言われてるみたいに、感じちゃって」
 声が震えている。思い出して、喉が、心が震えている。だから彼女はあんなふうに、固まってしまった。もともと察しがよくて、更に、直前にリクトとライラを地球に下ろしたばかりだ。ついでに、ここまできたから、という言葉も、きっとその牽引をしてしまった。なるほど、言い方が悪かったのは、自分のほうだ。アイスキューブに、戻る。あの言葉がどこかひとつでも、あるいはもっと言葉を尽くしていれば、はこんな風に震えなかっただろう。
「うん」
「ちがうのは、わかってる。レイがそんなこと言ってたわけじゃないのは、わかってる」
 自然と震えは止まった。レンズの向こうであふれるのは、その瞳の輝きばかりで、涙なんで見えやしない。
「でも、びっくりしちゃった。あはは。だから、そのあとたくさん考えたの。どうしてそんなこと考えたのか、きっとわたしにははっきりと理由がなかったんだと思う」
 だから、とはデッキを強く握った。戦う理由がそこにあると、その手にあるカードが示している。ターゲットを宣言したとき、ほのかに光るデッキ。そこには何よりも、彼女の戦う覚悟が詰まっている。
「レイ、わたしとバトルしてほしい。わたしが勝ったら、これからも一番星号のクルーとして、レイたちと一緒に行く。誘われたからじゃなくて、わたしがわたしの意志で、一緒に行きたい、から」
 始まりがあって、終わりがあるのは当然だ。その終わりに、レイはマジダチと一緒に目指すものに行き着いた。そのケリをつけさせた。終幕したものを、丁寧に片付けるために、リクトとライラは船を下りた。そこが、『究極のバトスピを目指す旅』の終わりだった。
 なら、はどうだろう。の理由をレイは知っている。それはきっと誰もが持っているもので、だからこそ、希薄で曖昧なものだったのかもしれない。
「たくさんのものを、見るんだもんな」
「うん。レイたちと一緒にたくさんのものを見てきた。知らないことがたくさんあって、怖いことも、面白いこともいっぱいある。――、わたしは、もっと一緒にいきたい」
 どきどきするものを、わくわくするものを、これからも見つけていきたい。の抱く当たり前の好奇心の、これは仕切り直しだ。気持ちを勘付かれて、誘われて、頷いたのは自分の意思だった。なら、今度は自分から表明しなくてはならない。ここにいる誰かが、ここにいる誰かといたいということ。レイにも解る。出された手を取ることと、その手を自分から掴みに行くことは、まるで違う。真逆と言ってもいいぐらいだ。レイは笑った。いつものように、楽しくて仕方ないという顔。
「もちろん、何か賭けるんだよな。は一緒に行くってこと」
「うん。でも、そっちはどうしよう、何かあるかな? わたしでできそうなこととか」
 のん気にふたりで考え出すのを観て、ムゲンがまさしくげんなりと言った顔でスツールに座った。緊迫した理由ではない(にとって、レイにとっても大事なことではあるが)バトルに、突然のターゲット宣言で張り詰めた緊張が解けたらしい。何があっても付き合うが、このふたりののん気ぶりはなんだろう。言葉にしないでも、そう思っているのがなんとなくレイにはわかった。
 にできそうなこと、ほしいもの、叶えたいもの。それが決まるまでデッキを出すわけにもいかない。一度腕を組んで、正面にデッキを持ったままレイを待っているを見る。薄青の向こうは、相変わらずきらきらして、きれいだ。
(ああ、なんだ。それがいいな)
 そう思って、口に出すまでは刹那の間も時間を要しなかった。
「じゃあ、がいいな」
「へっ!?」
「はあ!? おま、レイ、何言ってるのかわかってんのか!?」
 本人よりも、待ちの体勢に入ろうとしていたムゲンが誰よりも驚いていた。レイにしてみれば、考えた上での回答である。なにも思いつきを適当に提案しているわけではない。単に、思いのほかこたえがすぐそこにあっただけのことだ。
「なんだよ、ムゲン」
「だぁかぁらぁ、意味わかってるのかって言ってるんだ!」
が勝ったら、降りずに一緒に行く。オレが勝ったら、お前も一緒に旅をする。そういうこった」
 あまりにレイが当たり前のふてぶてしさで胸を張って言ったせいか、はたまたムゲンの推測した内容とあまりに違っていたのか。ムゲンはまるでおっかないものを見るかのように、わなわなと震えて、「それ、どっちも同じじゃん……」とだけ、ようやく口にした。
「そうか? それこそ、全然違うだろ。なっ」
 ほしがるひとがちがう。もとめられることがちがう。たくさんのものを一緒に見たいと、一緒に行きたいレイでは、話は随分違うのだ。その結果、一緒に旅を続けるという行動が同じでも、全く違う話になる。きれいなものを知りたいという気持ちに変わりはないだけだ。
「……っ、うん、全然違う。負けられないよ」
 その、薄青のレンズに覆われて、それがなければまともに線も結べない目が。いつも控えめで、けれどほんの少しだけ素直にわがままを言う彼女が。――とても、とてもきれいだと思った。だから、レイはが船を下りるなんてことをこれぽっちも考えなかった。そうなるものだと思っていたから、余計な不安を与えてしまった。あとでしっかり謝らなくてはならない。一緒にいたいということを、きちんと言葉にしよう。それをきっと、またきれいにわらってくれるだろうから。
「それじゃ、」
 とデッキケースに手を掛ける。手元を見ずに引き出した。中身は決まっている。と出会った星で手に入れたアルティメット。思えばとバトルをするのも久々だ。心の底からわくわくしてくる。これだから、バトスピはやめられない。やめようとおもったこともない。どきどきしてわくわくする、楽しさが詰まっている。それをこれから、彼女と共有するということ。
 大きな分岐になるバトルも、誰よりも熱くさせる相手とのバトルも、今までにたくさんあった。どれも楽しくて、充足して、その度に夢に一歩近づくのがわかる。これは、そういうものじゃない。ひとりとひとりの、似たようなわがままを似たように求めるためのバトルだ。仮に程度の大小があるとすれば、些細な、ささやかなバトルになるだろう。
 けれど、これは今までのどんなバトルとも、全く違っていて、だからこそ、わくわくする。
「おーいムゲン、そらいくぞ」
「へーへー、惚気にも一応付き合ってやるよ」
「わるいな!」
 自覚あるのかよ、と呟いて、ムゲンがカードに姿を変える。それがデッキに入ってようやく完成する。その信頼をムゲンも理解しているから、こんなのん気なバトルにも付き合ってくれる。得がたいものばかりだから、それを掴みに行かなくちゃならない。楽しむということは、そういうことだとレイは思っている。
「いくよ」
「ああ」
 このバトルもきっと、得がたいものになる。それをも承知で、だからこそ、爛々と輝く。冷えた氷の星のように。夜空で一番輝く星のように。誰もが、輝く星を胸に持っている。そして叶えたいことは、目指したい夢は、願い事は、自分の星に向けてするものだ。自分がまっすぐ立てるように。願いを叶えられるように。
「ゲートオープン、界放!!」
 君と一緒に歩めるように。