君月夜

「イベントを手伝ってほしいの!」
 その一言で、ここまできているのだから繋がりというものは侮れない。マジカルスター咲のイベントを翌日に控えた海辺で、一番星号の面々は、海そのものをエンジョイしていた。パシャパシャと飛沫を掛け合い、マリンスポーツに興じ、勿論砂遊びも忘れない。海でできることをありったけ楽しんで、満開の笑顔を咲かせた。ひとまず休憩を取っていた一番星のレイは、大きく深呼吸をして潮の香りを身体に満たしている。とっくにそれでいっぱいになっていたのに、まだまだいける気がするから、マリンレジャーとは不思議なもの。急に決まったことではあったが、急だなんてことは、それこそいつものことだった。急だろうとなんだろうと、楽しまなくては損だとレイは思っている。
 いつもどおり、急ぎながら楽しみながら宇宙航行をしていた一番星号にマジカルからの通信が入ったのは、賑やかな昼食が終ったころだった。曰く、とある惑星のとあるビーチをまるごと貸し切ってイベントを行うので、警備を手伝って欲しいとのこと。以前イベント会場で誘拐騒ぎになったこともあり、今回も中止の色が濃厚だったファンとの交流イベントだが、そこに一番星のレイの名前が挙がった。過去の実績から信頼もあるし、何より、カードクエスターとして腕が立つ。彼が警備としてイベントに参加するのであれば不安はないだろう、とファンとの交流を諦められないマジカルの説得によって、レイに白羽の矢が立ったのだ。勿論、友人だからといって無償で済ますこともしない。イベント前日から滞在のサポートも保証する、なんて好条件。すっかりマジダチであるレイからすれば、そんな条件がなくとも断る理由はなかった。その上、相棒のちびドラゴンに至っては泣きついてくる始末。
「マジダチからの頼みとあっちゃ、断るわけにはいかねえな。で、場所は?」
 頭上からムゲンの歓喜の声を受けながら、レイはマジカルに促す。――そして、その会場というのが、人気のリゾート惑星、そのなかでも別格のビーチであった。イベントそのものは明日の予定。打ち合わせどおり今日は午前中は設営を手伝い、午後からはスタッフもマジカルも、無論レイ達も完全にフリー状態。朝から肉体労働をしていたとは思えない程、それぞれが全力で海を楽しんでいる。何せこのビーチ全てを貸し切りだ。こんな機会は滅多に訪れない。端から端まで楽しまなくては、それこそ損なのだ。
 潮風に吹かれながら、ビーチパラソルの下で昼寝というのも贅沢な海の楽しみ方。レイはビーチチェアに横になって、自分自身に海というものを染み込ませている。絶えず届く潮騒と、離れた所から聞こえる賑やかさが、耳に心地良く本当に眠ってしまいそうだ。それだけでも、依頼を寄越してきてくれたマジカルに感謝せねばなるまい。
(そういえば、あいつ、まだこねえな)
 間に合うようにするとは言っていたが。ふと、マジカルに是と返した直後のやり取りを思い出して、妙な気分になる。自分もそのつもりだったとはいえ、なんとも、意外なことだった。瞼の向こうの光に目が眩んだ気がして、レイはサイドテーブルに置いていたサングラスに手を伸ばす。パラソルに遮られて降りかからないはずなのに、なぜだか日差しが煩わしく感じた。


 マジカルが依頼を伝えてきたその日、ある程度打ち合わせを終えた後、マジカルとレイの会話の切れ目を狙ったかのように。それまで黙って聞いていたの提案――というよりも、それは、お願いだったのだろう。
「マジカル、その、警備は、信頼できる人であればいいんだよね」
「うん、もともと用心棒としてカードクエスターに募集をかける予定もあったんだけど……」
「なら、わたしたちの知ってる人で、腕の立つ人がいたら、そのひとも呼んでもいい?」
 操縦席に座る自分を挟んで応酬される会話に、レイは目を見張った。は言ってしまえば控えめな方で、だからと言って消極的と言うわけではないが、それにしたってこんなに食い下がるのも珍しい。提案ならば、さっと言ってしまえばいい、こんなに回りくどいのもらしくなかった。それだけ、彼女が呼びたい相手、あるいはマジカルに気を使っているのかも知れないが。
が知ってる、腕の立つカードクエスターって言えば、)
 は一番星号に乗るまでは生まれ故郷から出たことはないという。宇宙を旅するものがこれでもかと訪れるステーションで働いていたと言っても、そんなに親密になることはないだろう。だとすれば、その相手はレイが知っている者になる。
「流れ星か」
「あ、……うん」
「それって流れ星のキリガさんだよね。このところ噂になってる」
 ギルドでも腕利きのカードクエスター、流れ星のキリガがギルドから離反したという噂は、静かに宇宙に広まった。それなりの事情に通じるものなら、話半分でも聞いているだろう。真偽の程ははっきりしていない。誰しもギルドに関わる噂を、大きな声ではしたがらない。良い内容ならまだしも、ギルドに対してマイナスイメージに繋がることなら尚更だ。
「なんだか大変みたいだし、仕事とはいっても、少しぐらい、羽を伸ばせるかなって思うんだけど。……レイ?」
「いや、おんなじこと考えてたからさ」
 振り向いたまま笑うと、の顔も輝いた。同じ発想をしていたことに安堵したのだろう。何せ、下手するとギルドに追われているかもしれないひとをイベントに呼ぼうという提案だ。不安にならないほうがおかしい。レイとしては、そんなことよりもあいつがいたほうが楽しいだろうな、という思い付きだったのだが。
「それなら、エリス様だっていたほうが楽しいじゃない! 強いし! 宇宙に名を馳せる女海賊だし! きれいだし!! かっこいいし!!」
 鼻息も荒く操縦席に食いついてきたライラに、全員が目を丸くする。流れ星がくるなら、明の星だっていたっていい。それもそうだ、そのほうが楽しいに決まっている。遊びに行くわけではないことは重々承知だが、遊びも含まれているのは否定できない。そもそも、レイにとって、どちらも代わりのないことだ。うん、明の星のやつらにも声をかけてみるか。流石に報酬は出ないが、もとよりそんなことを気にするタイプではない。
「最後の方、関係あるかな……?」
「乗り遅れない為にノリノリに前のめりデース……」
「こら、小声でひそひそしない。そんなこと言ったら、だって前のめりでしょ」
「え、そこでわたし?」
 に目をやる。困ったように笑って、「前に助けてもらったお礼にもなるかと思って」と理由を語る。迷子になったを助けたのは流れ星だ。視界が悪いままひとりになってしまったところに、手を取ってくれた。レイとしてもあれには助けられた。あまりの人混みに全く見つけられなかったのだ。その礼がしたいというのは、至極当たり前の理由。
(……そうなんだけど、)
 手のひらがむずむずする。指先がぴりぴりする。レイの内側でなにかがぐるりと、たぶん、心臓のようなところに、巻きついたせいだ。


 それがとれないまま、レイはこうして海にきている。設営を手伝っている間はそれどころじゃなかったし、遊び始めてからもそんなことに気をとられない。今の今まで、それがまだ巻きついたままであることに気づかなかった。水着に着替えて海に飛び込んで、泳いだりなんだり。もちろんそのなかにもいた。それこそ一緒に大騒ぎしたのだ。楽しくてしかたない。その時間の隙間、ちょっと休憩を取った途端に、締め付けられている。
 到着しないキリガとエリスたちを気にして、何か通信が入ってる可能性を考えが一番星号へ覗きにいった。直接連絡をとる手段がそれしかないのだから当たり前。だから、それにレイも最初はついていこうとした。けれど、
「レイは一応、警備でついているんだから、マジカルの近くから離れたらだめだよ」
 ちょっと行って来るだけだから、だいじょうぶ、と言われてしまっては。付き合う理由はないが、付き合わない理由はあったのだ。いくらイベントそのものが明日とはいえ、今マジカルに何かあればそれはレイの不手際だ。何より、レイ自身がそれを許せない。
(でも、それはにも言えることだ)
 それこそ、少し距離をとっただけではぐれてしまったあのときのように。例えばあのとき、結果論ではあるが流れ星が忠告したように、手を繋いでいたらどうだろう。あんな人混みのなかで、はぐれることはなかった。ヘッドセットのゴーグルによって通常は明瞭に保たれてるとは言っても、彼女の視界はそれがなければ不安定だ。そこまで考えていれば、あんなことにはならなかったろう。ヘッドセットをなくすことも、人混みを彷徨わせることもなかった。
 そしてそれをレイはしなかった。その事実はいやというほど、を探すレイを苛んだ。きっとああいうのを後悔なんて言うんだ。先に立たずとはよく言ったもんだ、そいつは突然やってくる。
 けれど、とまたレイの思考に逆説が湧く。――どうしてこうなるのだろう、と。
 とて、レイと同じくアルティメット使いだ。派手なバトルを好まず、堅実に行われるそれは決して弱くない。あくまでも、彼女のアルティメットは彼女を主として認めている。第一階層から第二階層に渡る際、ゲートステーションで行われたデッキ審査も合格していた。つまり、はそこいらのカードクエスター相手であれば、まず勝てる程度の実力はあるのだ。それは実際にバトルしたレイも、その身でよくわかっている。そのときは自分が勝ったけれど、だからと言ってそれだけでが弱いということにはならない。
 銀河バトルスピリッツ法がある以上、カードバトルの腕はまさしく戦う力だ。ともすれば、ライラやリクトが一人で出歩くよりはよっぽど安心できるのだ。彼女もそれを分かっているから、自分ひとりで確認すると立候補した。守るべきマジカルの元にレイを置いて、ある程度自分でどうにかできるが確認に出る。何も間違っちゃいない。なのに、レイはが離れることで、正体不明の不調を覚える。そしてそんなの行動は、流れ星や明けの星のために行われること。そこまでいくと、最初と同じだ。指先が、手のひらが、妙な感覚を訴えて、身体の真ん中の奥の奥がぎゅうぎゅうとする。その理由は、いったい。
「レイー!」
「うおぁあっ!?」
 大きな声がしてレイは飛び起きた。サングラスを剥ぎ取りながらビーチチェアから身体を起こすと、ぶつかるすれすれのところから聞きなれた声がする。サングラスをどかしてみれば、ビーチチェアのわきに膝を突いて、パラソルの日陰に収まるようにが座っていた。いつものヘッドセットがサンバイザーの役目も務め、生まれのためか落ち着いた色の厚手の服は、同じ配色の水着に変わっている。アイスキューブ生まれの彼女が、人生で二度目に着る水着。
「え、えっと、レイ? 起こしに来たんだけど……」
「…………」
「なんか変かな、わたし……?」
「あー、違う違う。どこも変じゃないって。わりぃ」
 すぐ傍でした大きな声にびっくりしただけだ。と思う。
「だって、レイ全然起きなくって、本当に寝ちゃってるのかなって」
「もしかして、何度も呼んだのか」
「呼んだよ、もう」
 頬を膨らませて言うものだから、もう一度謝っておいた。は微笑みだけ返して話題を戻す。どうやらキリガ達が到着したらしい。停泊所の近くまで行って、それぞれの船が通るのを見たという。
「一応一番星号から連絡してみたけど、特に問題はないから泊めたらすぐに来るって」
「そっか、よかったな、
「……あ、うん。レイもね」
「ん?」
「?」
「……ん?」
「…………え?」
 何がよかったのかに相違があるのか、妙な食い違いをしてしまっているようで、二人で首を捻る。の、水着に合わせて結い上げた髪がさらりと揺れた。
「おーい! レイー、ー!」
 レイが口を開くより先に、二人を呼ぶ大きな声がしてしまった。反射的にそちらを向けば、ライラとリクトが腕を大きく振って呼びかけている。どうやらついに全員が集まったらしい。それなら、こんなところで涼んでいるわけにもいかない。レイがビーチチェアから立ち上がるのと、が膝に付いた砂を払いながら立ち上がるのはほぼ同時だった。
「エリス様たち来てるわよー!!」
「ああ、今行く!」
 急かされるままに駆け出した。
 呼びかけたライラの元に駆け寄れば、明の星の御一行と話し込んでいた。頭のエリスも、ガルボもマレーネも、ショコラまでもしっかり水着姿で、これで遊ばないといえば嘘だろう。普段の硬派な佇まいから一転して、エリスの迫力と言ったら、
「はあ〜、エリス様は水着姿もきれいぃ〜」
「おねえちゃん絶対言うと思った」
「相変わらずですのね……」
「逆にこうじゃなかったらびっくりするだんべ……」
 ライラのこの有様だった。いつもどおりといえばいつもどおりだが、から見れば超巨大戦艦というか、規格外というか。そういえば、マジカルもおっきかった気がする……? いろんなことが頭をよぎったが、視界に誰かさんの姿を捉えて、は忘れることにする。
「呼んでくれてありがとう、ライラ」
「えへへ、エリス様もゆっくり休まれてくださいね!」
「よう、明の星の。急で悪かったな」
「いや、礼を言いたいくらいだ。こういう機会にはそう恵まれない。皆も、ショコラも喜んでいるし……、ふしぎだな、浜辺に入った途端、それだけで楽しくなる」
 長い睫毛に覆われた瞼を短い間伏せて、エリスは微笑んだ。この真夏の日差しと、真っ白な砂浜、キラキラ光る海だ。誰もかも楽しくないわけがない。
「礼ならオレよりだな、他にも誘っていいかって言い出したのはだし」
「エリスのことを言い始めたのはライラだよ。それに、許可を出してくれたのはマジカルだし」
 にこにこと笑顔を向ける。お礼の言い合いなんていうのは十分で、ただせっかく来たのだから、そんなことよりも楽しんで欲しい。の素直な意図が伝わったのか、レイもエリスも、それ以上に言葉を重ねなかった。――重ねる必要がなかった、というべきだろう。その気配に一番に気付いたのは、それもある種必然のようなことではあるが、ふとエリスから視線を外し、波打ち際と反対の方向を見たレイだった。
「ようやくきたか、流れ星」
「…………すまない、遅くなったか」
 レイの迎える声に、キリガがほんの少し押し黙って、けれどすぐに声を返す。そのやりとりを、はレイの後ろで内心首を傾げる。けれど、言葉にはしない。だから努めて明るい声で、思うままにキリガの来訪を喜んだ。
「きてくれてよかった。急だったけど、……楽しんでくれると嬉しいな」
「……わたくしとしては、もう少し静かなところで休養していただきたかったところですが、まあ、」
「お前まぁーだそんなこと言ってんのかよ。ちっとはすっきりするだろうって言ってるのに、頭ばっかりかてえんだから」
「むっ、あなたと違って、キリガ様は繊細なんです、あ・な・た・と違って!」
 イアンの言葉も終りきらないところに割り込んできて、いつもどおり、相変わらずの言い争い。最終的に今日は水着姿であるのにそのまま取っ組み合いになるのが、赤と青のちびドラゴンの慣例だ。誰も止めようとしないところも、またいつものこと。ショコラだけは首を傾げて、遊んでいるのか本当に喧嘩しているのか、区別がつかないようだった。
「それで、」
 もめるちびドラゴンたちを軽く流して、キリガが取り出したのはバレーボールだ。軽く投げた後、器用なことにくるくると回るバレーボールに指先を添える。わあ、とが感嘆の声を上げた。
「ビーチバレーをするんだったな」
「へ?」
「聞いていないのか、一番星」
「オレ、さっきまでそこで寝てたからなあ」
「マジカルが言ってた遊びだよね。えっと、二対二でやるスポーツだって」
 そうそうそう! といいタイミングでマジカルが乱入してきた。せっかく遊んで欲しい・遊びたいメンバーが揃っているんだから、明日のことはひとまずおいといて、ここはビーチならではのスポーツをするべきだと、とくとくと説明する。その勢いに推されたのか、はたまた単純にそれが楽しそうだったからか。
「うおおおおマジカルたんー!」
「エリス様、負けないでー!!」
「レイ、キリガ、がんばってね!」
「よおし、それじゃ、いくよー!」
 一も二もなくチーム分けがされ、いつの間にか張られたネットのそばでボールが飛び、いつの間にか引かれたラインの外の外から声援が上がった。


 ――それから数時間。
 白熱したビーチバレーが終わり、またそれぞれでこれでもかと海を楽しみ、一方で潮風を受けながらささやかにカードバトルに勤しんだかと思えば、本気でゲートをオープンした者もいたりいなかったりして、夕暮れ。
 大騒ぎのバーベキューも終えて、明日のイベントに備えて、スタッフとマジカルたちは近くのホテルへ戻っていった。無論、用心棒として雇われた一番星一行、名目上は助力として呼ばれている流れ星や明の星も同じく、戻る手筈である。マジカルがどうしてもと言うので、一番星一行には同じホテルに、これまたお値段をあまり聞きたくないような部屋が用意されていた。
「では、私たちも船に戻ろう。何かあれば連絡してくれ」
 遊び疲れてすっかり眠ってしまったショコラを抱えたエリスが切り出す。ショコラが居眠りを始めたときは、その寝顔に夕陽が差したものだが、もう見る影もない。この惑星は、夕暮れが本当に短い。リゾートに相応しい爽やかな暑さの後、流石に物足りないぐらいの短い夕暮れを挟んで、とっぷり夜になる。明確に昼と夜があるだけでも、宇宙の中では比較的珍しい部類だが、夕暮れがこんなにも短いのは、他に類を見ないという。
「はい、今日はありがとうございました!」
 ライラが深々と頭を下げて、それにまた微笑んで見せる。ライラからすれば、――どころか、ある程度共通する審美眼があれば、女神の笑みである。結局、停泊所とホテルへの道が分かれるところまで、と一緒に戻ることになった。ムゲンもすっかり疲れて、リクトの頭の上である。
「……一番星、」
「ん、どうした?」
 少し後ろに下がって、ライラたちに同行しようとしていたレイに声をかけたのは、今日一日遊び倒したキリガだった。涼しい顔に、少しだけ疲れが乗っている。何せキリガときたら、遊ぶということを知らないらしく、だからこそ貪欲であった。一度は転覆したジェットスキーを見事に乗りこなし、これまた初めて乗るというレイとレースを始めたときは、ビーチバレー並に浜辺が盛り上がったものである。結局どちらが勝ったのか、審判役としてゴールの浮き船に乗っていたソルトが、同席していた赤と青のちびドラゴンの喧嘩に巻き込まれて揃って海に落ちてしまった為にはっきりしなかったのだが。
 そんなキリガが、レイを立ち止まらせて視線で示す。レイに向いていた青い目が逸れて、水際を見つめるに向けられた。ビーチを去る集団から少し離れてしまっているが、それに気付かないまま、それこそ心此処にあらずで、
「あれ、?」
「……………………、あっ、なに?」
 レイの呼びかけにも、かなりテンポが遅れる始末だ。なに、はこちらの台詞であるが、それを言う前に、キリガが船に戻る旨を伝える。
「そっか。今日はありがとう、楽しんでくれて、ほんとによかった」
「ああ。お礼を言うのは俺の方だ。……君たちもホテルに行くのだろう」
「マジカルが絶対部屋を用意するって聞かなくてな。オレとしては、一番星号でいいんだけど……、まあ、ライラとリクトも喜んでたし、今日はマジカル同じホテルだな」
 そういえば、部屋割りはどうなってるんだっけな。後で確認しておかないと。そんなことが浮ぶ。
「…………あの、わたしもうちょっと、此処にいていいかな」
「そりゃ、いいけど……」
「うん、ありがとう。あとでレイのお部屋にも顔出すね」
 レイの返事にはふんわりはにかむ。それじゃあ、とキリガに別れの挨拶代わりに手を振って、は波打ち際に歩いていった。街からの灯りはあるものの、そこはやはり暗い夜の海だ。心配にならないわけがないのだが、――昼間、同行を断られたことが脳裏に浮ぶ。だいじょうぶ、と。それは不要なことだと、彼女らしいやわらかさで。
「らしくないな」
 その思考を止めたのは、他でもない流れ星のキリガだった。彼は呆れたような、不貞腐れたような顔をしてレイを見ている。なんだよ、変な顔して。レイの無自覚な、それこそ不貞腐れた言葉に、キリガはわざとらしさすら感じる溜息を吐いた。
「彼女をひとりでおいておくのか? いくらここのビーチの街灯が多くても、海は暗闇だ。砂に足を取られないとも言い切れないだろう。ゴーグルを失くさないとも限らない」
「本人はだいじょうぶって言ってんだし、それを信じないってのは、」
「それは彼女の都合だろう。君の都合が、それでいいなら俺は一向に構わんが。――一番星、君は、自分を一番信じるべきだ」
 これまで口数の少ない印象すらあった男が並べるには、皮肉がかっているのにも関わらず雄弁だ。しかも受け取るレイからすれば決め付けられているところがあると言えるのに、びっくりするぐらいの説得力を持っている。自分がしたいようにする、それが君だろう。と、その言葉と青い目はしかりつけてくる。硝子玉みたいな目をしているくせに、それは厳しく光っていた。
(――ふしぎなやつ、ああ、そうだな。初めて会ったときからふしぎだ)
 そんな感想が湧いて、レイは笑った。それもそうだ、だいじょうぶというのはの都合で、それでも心配なのがレイの都合だ。そもそも、に手を貸す提案をして、ストレートに頼まれたことの方が圧倒的に少ない。そんなことも忘れていた。きっとそれもこれも、締め付けてくる何かのせいだろう。それがほんの少し、緩むのを感じた。
「警備の件なら、君達が戻るまで俺がホテルに控えていよう。それなら問題ないな」
「何から何まで悪いな、流れ星」
「……そう思うなら、早く行ってやれ」
 返事代わりに笑みを返して。足早にレイはの元へ向かった。キリガもすぐさま踵を返して、レイたちがついてきていないことに気付いて振り返っている一番星号のクルーを追いかける。
「キリガ様はお優しいですね」
「……そういうことでもない。むしろ、お節介だろうな」
 一連のやりとりに一切口を挟まなかったイアンが間を見て寄越した一言に、それだけ返す。一番星なら、ほうっておいても自分で決断しただろう。それが、早いか遅いかの話だ。ただキリガにとって、足踏みしているレイがことさら違和感と苛立ちを覚えさせたのも事実だ。そうするべきだと言っておいて、自分が彼の何を知っているかも、いまだによくわからない。ただ、そうあるべきだと、心底思ったのだ。それは記憶の片隅からひょいと飛び出した、きっとキリガが信じていた彼だ。確証などなにも、あったものではない。
「キリガ様が、そうおっしゃるのなら」
 イアンはそう言って、キリガの隣を行く。記憶のない、まだ欠片を拾い集めているばかりのキリガを、一も二も肯定してくれる相棒の存在は、何よりも心強かった。


 そもそもという少女の生まれ故郷であるアイスキューブは、宇宙から見れば氷の塊のような惑星で、そしてまた極寒の星なのである。宇宙の色こそ映すけれど、曇っていることがほとんどで、だいたい雪が降っている。見た目の通り地面はほぼ凍っている。外を歩くのにコートを着ない人間はいないし、暖炉のない家もないのだ。そんな惑星生まれだからか、
「わたし、凍ってない海を見るのって、初めてなんだ」
 同行するというレイの申し出を、あれこれあって結局受け入れたはそんな話を始めた。
「漣も真っ赤な夕焼けも、アイスキューブにはなかったし………、こんな星空も、初めて見る」
 波の音だけが聞こえる浜辺では静かに語る。つられて見上げた星空は、満天と言うに相応しかった。夜のない惑星だって多い。そしてこれだけの星を夜に浮かべている惑星も、決して多くはない。なるほど、一等人気のリゾートになるわけだ。それだけの価値がここにはあるのだろう。
 は波打ち際にしゃがみこんで、寄せては返す波に手を伸ばす。夜気より少し冷たい水が手を掠めていく。
「そういや氷ばっかだったけど……氷の下は海なんだっけか」
「うん。だから、おさかなは多いし、あるところには港もあるんだけど……、わたしの生まれ育ったところは、まるまる氷山みたいなところだったから」
 レイの記憶でも、確かにアイスキューブは氷の塊と言うに相応しい。とであったところも、確かに海なんてなかった。だから、彼女にとってこの惑星は、いつもに増して新鮮なのだと言う。
 水際にしゃがみこんでいたが立ち上がる。
「ごめんね。わがままに付き合ってもらっちゃった。早く、戻らないと、マジカルの警備が」
「それなら心配ご無用。流れ星が戻るまで代わりをしてくれるって」
「……また、迷惑かけちゃったかな」
「それはないと思うぜ。あいつ、自分から言い出したし。それで迷惑だって思う奴じゃないさ」
「そっか、うん。そうだね」
 ほんの少し翳ったの表情が、また温かくなった。その目線は、星の光を映す海に向けられている。
「レイ、今日は楽しかった?」
「応えるまでもないな」
「ふふ、そうだね。楽しかった。キリガもきてくれたし、ほんと、よかったね」
 また、それである。昼間と同じやりとりだ。キリガがきてうれしいのは事実だが、それを求めたのはではないか。キリガを呼んでもいいかと言い出したのはだし、レイとて提案する気があったから、そのままの味方についた。そして、キリガは希望通りきてくれて、予想以上に遊んだ。それに対して、一番喜んでいるのはだろうに。
「でも、レイだったおなじこと考えてたって。レイ、キリガがいるの嬉しいでしょう?」
「そりゃあ、おんなじこと考えたけど。うーん……?」
 発想が同じだったことは否定しない。午後からはフリーに遊べると聞いて、ならあいつも誘おうか、と思ったのは本当だ。ギルドを離反したという噂、裏切ったなどという邪推も飛び交っている渦中の人。そのキリガに少しでも息抜きをしてほしいと思った。あとは単純に、気を抜いたことが無さそうだというイメージ。もっと気楽にしてればいいんだ。初めてのバトルなんて、仕事だとか言ってたし。仕事も結構だが、そこの楽しみがあってこそのバトスピだろう。
「……、わたし、レイはキリガのこと大事なんだと思うよ」
 漣の音が、レイの代わりに返事を返した。
「キリガとバトスピするのすっごい楽しそう。レイのバトルはたくさん見てるけど、いっちばん楽しそうだよ。だから、レイはキリガに会うたびにわくわくしてる」
 そうだろうか。レイはバトスピがすきだ。記憶がない状態でも、これがあるからなんとかなったし、これがあれば楽しかった。今もそうだ。楽しくて、わくわくする。その最たるものが、今のレイにとってはキリガなのだとは言う。
「キリガにお礼をしたかったのは本当だけど、もしキリガが着てくれたら、レイは喜ぶかもって思ったの。だったらわたしはもっと嬉しいから」
 彼女がああも慎重に、けれど強く食い下がった理由。行き着く先は自分のためだ。けれど、それはキリガのためであり、レイのためだった。
(……オレのこと、よく見てるんだなあ)
 こそばゆい理由である。レイも自覚しない部分を、彼女はこうも断言する。それが本当かどうかは置いておいても、少なくともの眼に映った一番星のレイは、流れ星のキリガをそう思っているということ。そして、言われたことがそれこそ的を得るというやつで、レイは感心しきりだ。益々持ってこそばゆい。何か返事をしなくてはならないが、うまく言葉が出てこなくて、
「そっか、ありがとな」
 それだけは伝えた。言うと海風が強く吹いて、二人の髪を大きく揺らした。
「昼はそうでもなかったけど、夜は風すごいんだね」
「そうだな、戻るか?」
「んっと、」
 は考える仕草を見せる。夕飯もバーベキューで済ませたから、帰ったら寝る時間までゆるゆると過ごすだけだ。マジカルの警備の件もあるが、それはキリガが代わってくれているという。そこに負い目はある。けれど、それはキリガ本人が言い出したことらしい。そう、色々考えて「もう少しだけ」と、少し照れ臭そうに言った。
「ほんとうに真っ暗だね。街灯あるのに、すごい暗い。アイスキューブでは薄暗いことは多いけど、こんなに真っ暗な夜も初めて」
「確か、白夜はあるんだよな」
「年に数回、宇宙の色も出ないでずーっと真っ白な日があるよ、そのときはみんなでお祝いになる。年に一回、お祭りの日もあるよ」
「へえ、今度はそのときに行ってみるか! 案内、よろしくな」
「もちろん、おいしいピザ屋さんにも連れてくから!」
 ぐっと拳に力を込める。意気込みをあらわしたそれが心強くて、旅の楽しみがひとつ増えた。無論目指すは究極のバトスピだが、それで終る旅ではない。先々にいろんな、まだまだ見たこともないものがある。知らないことを知るのは楽しい、見たこともないたくさんのものが、心をかき立てる。どきどきとわくわくを寄越してくる。
「ふふ。レイはどんなものを見てきたのかな。わたしも感じられたらいいのに」
 音もなく砂の上を歩く。沈む足とサンダルの間に砂が僅かながら入り込む。こういうことも、は知らなかったと言う。
「これからもたっくさんある。誰も知らないような事だって。宇宙はでっかいんだから。まだまだたくさん、てんこもりだ」
「うん……うん、レイのおかげだね」
 今度はゆるく風が吹く。揺れる髪を押さえながら、は水面に目をやった。噛み締めるような言葉。微笑を浮かべながら、いとおしむような、やさしく、真剣な瞳。
「こんなに星が見えるのも、波の音が聞こえるのも、レイのおかげ。これからも、レイとたくさん見れるといいな」
 その横顔が、とても、――きれいに見えた。理由なんてそれだけだ。
 手を伸ばして、揺れる髪に触れた。前にも触ったことがあったっけ。ヘッドセットの、レンズをとってみたときだ。ヘッドセット付きのゴーグルがないと、はろくにものが見えないという。そのレンズの向こうの眼も、とてもきれいだったことをふと思い出す。潮の香りばかりするはずなのに、記憶がその髪の香りを思い起こして、すぐそばで香るような錯覚が起こる。やわらかい色のやわらかい髪が指をすり抜けていった。したかったのは、たったそれだけのこと。あんまりきれいに笑うから、それに触れたくなっただけ。夜風に当てられて冷たい頬が次第にあたたかくなっていくのが、手のひらを通してわかる。
「……、れ、れい?」
「いや、なんかさ、きれーだなって思った」
 素直に言うと、また頬が熱くなった。真正面から、ストレートに言えば、そうなるのも当たり前だ。だけれど、それがまたきれいだなあと思わせて、レイの心をこそばゆくする。そういえば、締め付けていたあれはなんだったのか、さっぱりと解けてなくなってしまっていた。解けたというよりも、溶けたのかもしれない。いまだ触れるの頬は、夜の暗さで見えなくても真っ赤であることが明白な、そんな熱を持っている。
「あう、うー」
 頬を少しつまんでから、手を離した。やわらかくて少しびっくりしたのは黙っておこう。
「キラキラ光る海も星もきれいだけどさ、オレは、今のもきれいだと思うぜ」
「……どうしたの、そんなの、急に」
「そう思った!」
「うう、だったら、レイだってきれいだよ。いつも、ずーっと、キラキラしてるもの」
 これはずっと思ってること、と付け加えられた。真っ赤な顔で、唇を少し尖らせる。珍しい表情だと思う。一番星号にいる間は、比較的年長者なのもあってか、そんな顔は見たことがない気がした。得した気分。それが顔に出ていたのか、はそうじゃなくて、と声を大きくした。その割りに、続く声は小さくなる。言葉を選んでいるようだった。
「だから、その、……」
「たくさんを観るんだろ?」
「……、うん。たくさん観たい。知らないことも、知ってることも、新しいものも古いものも。どきどきして、わくわくしたい。だから、これからもよろしく、かな」
「あったりまえだろ、マジダチだからな。……、けどちょっと違うか」
「?」
 そうだ、ちょっと、ほんのちょっと違う。マジダチということに変わりはない。誰だって、楽しくバトルすればそれで決まりだ。マジカルの決め台詞ではないが、レイの基準はそういうもの。一律同じとはいかないが、それでも、多少を差異や個性を持ってマジダチと呼ぶ。
 そのなかでも多分、は随分と違うんだろう。それにケリがつけられていないのは、少しもやもやしないでもない。
「なんていうかな、オレもちょっとわかんねえ」
「…………」
 その無言が先を促しているように聞こえた。レンズに覆われたまるい目が不思議そうにレイを見上げる。その瞳の色まで知りたいと思ったのも、触れたいと思ったのも、やたら心配になったのも。きっと理屈がどうこうって話でなく、ただ単純に――
「ただ、のことになると、もっとって思うんだよなあ」
 足に何かがぶつかったから、腰を下ろしてそれを拾い上げる。巻貝だ。トゲトゲしているけれど、海の神秘のなせる螺旋を形作っている。暗くてはっきりとは分からないが、薄桃色をしているだろうか。ちょうど、今のの顔みたいに。
「――っ」
「だいじょうぶか? やっぱ変かな、でも本当にそうなんだよ」
 顔を背けられてしまって、手持ち無沙汰に貝を玩ぶ。レイの片手にちょうど乗るぐらいの大きさだ。波に転がされてきたばかりで、ぱたぱたと潮水を零す。それが手の平に落ちて腕を辿って落ちていくのを、レイはなんとなしに見つめた。なんとなく、レイとしてもの顔を覗く気にはなれない。
「あの、あのね。レイ」
 レイに合わせて、も屈む。両足を折り曲げて、砂の上に正座するように丁寧に座った。ああほら、やっぱり耳まで真っ赤だ。髪の隙間から見えた色はとっくに貝より赤くなっている。
「わたしも、レイのこと、もっとって思うよ。ぜんぜん、みえないんだよ。これがないと、ふわふわしてて、ぜんぜんわからないの。でもレイが、キラキラしてるのはわかる。ここから見えるどんな星よりもいちばん輝いてる。だから、もっと知りたいって、思ったんだ」
 とてもきれいだと思った。それだけだ。こうやって一緒にいるのも、触れるのも、もっとと思うのも。ただそれだけなのに、上手く言えないのがもどかしい。さらには涙まであふれそうになるのだから、ままならない。自分のことなのに。
「うん。わかんねえよなあ、やっぱり。でも、悪いことじゃない。それは絶対だ」
「そうかな」
「悪いことだったら、こんなに嬉しくならない。――わかるだろ?」
 きっと答えは単純なことで、それに至らない自分たちは、まだまだ知らないことばかりなのだろう。知らないことがあるということを、レイは笑って、胸を張るのだ。これからもたくさん楽しいことがある、きれいなものがあるから。わからないことを、見つけていけばいい。ふたりでそれが見つかれば、もっともっと良いことだ。その笑顔はやっぱり、が好きな、星より輝くものだ。そんなあなただから、わたしはもっとって、思うんだ。
「よっしゃ、じゃあそろそろ戻ろうぜ。いくらなんでも身体が冷えるし」
「うん、キリガにも悪いもんね」
 砂を払って立ち上がる。レイは拾った巻貝を持ったまま、逡巡する。まあいいかとそのまま手に持って、空いている手をに差し出した。貝を持っている方ならともかく、意図を捉えかねるは首をかしげる。一度レイの顔を見る。静かで優しい、穏やかな目をしていた。ああ、きれいな星だと、頭のすみっこがのん気に考える。そうしているうちに、レイが笑みを深めての片手をとった。
「もっとその一だ。ほっぺは触ったけど、手を繋いだことはないからな」
「……えっ、じゃあこの、繋いだまま帰るの!?」
 当たり前だと言わんばかりに、むしろ何がいけないのかと疑問符を浮かべるレイ。いや、あの、その、
「ちょっと、はずかしい。ホテルまでいくと、誰か人もいるだろうし」
「そうかぁ? 見せびらかそうと思ったんだけど」
「それがはずかしいんだって!」
 反対の意を示すも、その手を解こうとはしなかった。自分より少し大きい手をどう握り返せばいいのかわからない。は動揺するが、レイも内心変わらなかった。自分より少し小さい手。冷たくて、やわらかくって、力を込めていいのかわからない。そういうしているうちに、先に決心を固めたのはだった。
「じゃあ、ホテルの前までなら」
 そう言って、レイの手を握り返す。恐る恐る、というのがそれこそぴったりで、だからレイも、が込めた力の分だけ、握り返した。ぎゅう、と聞こえない音がした気がする。見せびらかすのは今度にしておこう。これだけがんばってくれているのだし。何も言わずに、手を繋いで浜辺を歩く。なんだか海を離れるのが勿体無い気がしてきた頃に、そうだ、とレイが思いついた。
「漣の海が初めてなら、これもだろ」
「? 貝、だよね。さっき拾ってた」
 レイが見せたのは、の言うとおり先程波に転がされてきた巻貝だ。トゲトゲしていて、丸い印象なのにちくちくしそう。がそんな感想を抱いていると、その貝を耳元に差し出される。それを受け取ってレイを見ると、空いた手で口元に指を立てる。静かにするように、というジェスチャー。それから、貝を持つの手に自身の手を添えて、更に耳元に近づける。
「――――っ! これ波の音がする!」
「だろ!」
 またひとつ、新しいことを知って驚くと、教えたレイも満足気に笑った。