君の知らない君の顔

 この星にきてから一度目の朝。流れ星のキリガは、賑わいから離れた閑静なホテルの一室で、遅い目覚めを迎えた。身体を目覚めさせるように伸ばして、未だ眠っている相棒の隣をそっと抜ける。身支度を整えている間に青い彼が起きて来て、それから朝食を摂りに出かける。初めて来た土地で起こるいつもの流れだった。
 ギルドの仕事は到着したその日――昨日のうちに全て終らせていた。これもいつものこと。あとは、次の指令がくるまでキリガの自由だ。記憶をなくした彼は訪れる星をかなり念入りに観光する。観光というよりも、観察に近いだろうか。もしかしたら、その道を折れた先に、自分へのヒントがあるかもしれない。それは街の外れに、道の真ん中に、人の流れの中に、あるいは、その星の景色そのものに。いつも一定の、それも大きな期待を抱いて、キリガは相棒のイアンと星を巡り、街を歩き、荒野を旅する。苦痛と思ったことも、虚しさを覚えたこともない。むしろ、何も思い出せない空っぽの状態である自分が不安でたまらない。その感情をおくびにも出さないが、抱えているのは事実だった。イアンもすっかり察してしまったようで、無作為に探し物をし続けるキリガに、当然のようについて行く。彼にとってそれこそが当然なので、だからキリガも遠慮をすることなどなかった。
 此度も同様で、いつもどおり、中心から少し離れた宿を選ぶ。初めて訪れたときだけは、宇宙船で寝食をせずに敢えてその土地に腰を下ろした。正直な所、船の方が落ち着く。けれど、その星を観察するには、船のままでは大雑把過ぎる。そんな理由で、キリガは少なくとも最初の一日は地元のホテルを選んでいた。静かなホテルで軽く朝食を摂り、従業員に星の特徴を聞く。観光と言えばなんでもスムーズだ。気候、地質、人々の慣習、情報が得易い。いくつかの観光地を聞いて、今日はそこを巡るか、とイアンと相談した。「キリガ様がそう仰るのなら」と従うが、その浮遊する姿はどこか楽しそうだ。いつも自分のことばかり気にかけさせている相棒の、そういう隠し切れない好奇心を覗けるのも、この探索の利点だった。自分も何処か、この観光を楽しんでいるのかもしれない。そういう気持ちになる。
 勧められた大通りに足を踏み出すと、あまりの賑わいに二人揃って目を見開いた。通りに近づくに連れその音はどんどん大きくなったが、まさかこんなに人がいるとは、通りの脇は屋台が並び、大勢の人が足を止めたり、止めなかったり。その流れに載ることすら一苦労しそうだ。
「お祭りでもあるのでしょうか」
 イアンの言葉に同意を示す。それならば、納得はいく。大通りの先は見えないが、何かきっと、いい祝日のなのだろう。なんとか人混みの中で情報収集をすると、惑星中で祭りをするのだと言うのだから驚きだ。
「本当に凄い人ですね。うっかり迷子になりそうです」
「この中から探すとなると、厳しいな……」
「わたくしはキリガ様のお傍を離れませんから!」
 昼食を済ませて大通りを行きながら、冗談めかして言うと、いつも歩くときよりも少しだけ寄り添ってくる。いっそのこと、頭に乗せたりしたほうが安全かもしれないな。時折人にぶつかりそうになるイアンを見て考える。そんな些細な話をしながら、人の流れに乗って周囲を見る。背の高い建物の間の大きな通り。建物に添って並ぶ屋台やもともと迫り出していただろうオープンカフェ。どれも人の笑顔とにぎわいに溢れている。どちらかと言えば静かな場所を好むキリガであるが、それでも、そういうものを見るのは楽しい。地元の住人に溢れた通りも、観光客が圧倒的な量を占める観光地も、どれもキリガを楽しませた。けれど、そのなかに記憶に関わるようなものはなさそうだった。どれも、ちっともピンとこない。――それも、いつものことか、とぼんやりとした目的の散歩の締めをどうするかと考えるキリガの、硝子玉のような青い目を引くものが、大通りの中にあった。
 人の間をふらふらと彷徨うそれは、どうにもキリガには見覚えがあった。キリガよりも背の低い人物が、不安げに彷徨っているのがどうしても目に付く。この人混みに揉まれてしまってるようだ。
「あれは、――ああ、キリガ様?」
 同じ人物を見つけたイアンの声を背中で聞きながら、キリガは器用に人混みを分け入る。それとの距離はだんだんと縮まり、そしてようやく、その腕を掴んだ。
「ひゃっ」
 突然腕を掴まれたのだ。そんな声が出ても無理はない。キリガとそう歳の変わらないであろう少女は、ぱちぱちと目を瞬かせて、自分の腕を取ったキリガを見る。一瞬、瞳に疑惑が篭り顔が強張ったが、すぐにするりと力が抜けた。
「あ、流れ星の、っと」
 キリガの名を口にしようとした少女に、通りすがりの誰かが軽くぶつかって、気付かぬまま去っていった。悪気のあることではないだろうから、少女もキリガも追わない。既に誰がぶつかったのかもわからないし、この人の数ではそもそもそれどころの話ではなかった。元より、人ごみの中で二進も三進もいかない彼女を救おうと思ってとった手である。キリガは追いついてきたイアンに一度目をやってから、少女に視線を戻す。
「すまない、行くぞ」
「えっ、あ、うん、……わっ」
 声を上げるのをひとまず無視して、掴んでいた腕を引く。細いそれは簡単にキリガに従った。ひとまず、人混みからの脱出を図るべきだ。ふらふらとしていたそれを連れて、人ごみを避けてどうにか、大通りの脇の、薄暗く人のいない狭い道に出る。端から見れば、手を繋いでいるようであった。
 しばらく人混みを分け入って、大通りから離れて、比較的静かなところまで出る。静か、と言ってもあくまで大通りに比べての話だ。脇の通りも人は多いし、大通りからもれた賑わいが其処彼処に瞬いている。足早になっていた自身を緩やかな速度に落として、掴んだ腕の主を見る。
「人混みに飲まれていたようだったから……余計な世話だったか」
「いえ、……あ、ありがとう、ござい、ます……。すっかり、流れに、飲まれてしま、って」
 ぜえぜえと荒く呼吸をしている。そんなに速度を上げたつもりはなかったが、どうやら息切れさせてしまったようで、助けるつもりでしたことにキリガは少し後悔した。息を整える彼女を見て、キリガはひとつ、はっきりとした違和感を覚える。以前は、ヘッドセットとゴーグルをつけていなかったか。
 少女の名はなんと言ったか、何度か顔を合わせているが、把握はしていなかった。度々心奮えるバトルをキリガに刻み付ける、一番星のレイ。彼の仲間の一人ということはさすがにわかっている。顔を合わせたと言っても、会話はやはり一番星が相手だ。またそのやり取りの中に、彼曰くマジダチの名前が出ることもそうそうない。キリガが知っていることと言えば、彼女が一番星と行動を伴にしていること、それぐらいであった。そんなキリガの記憶にある彼女は、イヤーカバーのないヘッドセットをつけて、顔の半分を薄青のレンズで覆っている。おそらくヘッドセットと一体になったゴーグルだろう。それが、今の彼女にはなかった。
「ありがとう。全然見えないから、人を避けられなくてどうしようもなくなってて、」
「見えない、んですか? そういえば、貴方――、ええと、」
、です」
 口篭ったイアンに少女が名乗る。その名前も初めて聞いた気がするから、やはり、キリガとイアンは、彼女を存在を知ってはいるものの、情報はあまりにも少ない。
「失礼しました。こちらは、流れ星のキリガ様。私はイアンと申します」
「流れ星のキリガだ。――、俺が以前、一番星といる君を見たときは、特段視力が悪いようには見えなかったが……、ヘッドセットがないせいか?」
 はこくりと頷いた。息が整ったようだから、通りに併設されたベンチに導く。それもキリガの誘導に頼って行われ、座るときにはキリガから離れた手でベンチの位置を確認する。それほどまでか、と今度はキリガが驚く番であった。
「元々、すごく目が悪いの。だからいつもヘッドセットをつけて、それできれいに見えるようにしているんだけど」
 要は大きな眼鏡か。おそらくあのヘッドセット、簡単には外れないものなのだろう。簡単な、眼鏡というかたちを取らずにそれに頼るということは、眼鏡にはない利点があるということだ。それが、今のにはない。
「一番星はどうした。一緒に来たのだろう?」
 そんな視力の低いが、それを補うものもなしに一人で行動していることへの素直な疑問。その中に、些細な期待があることも、キリガは自覚していた。
 当然のキリガの疑問に、は一瞬身構えた。力の入った身体は、けれど真正面に立つキリガとイアンから少し顔を逸らすだけで、その入った力を使う様子はない。キリガから見れば、言い辛く、あるいは、気恥ずかしそうな仕草だった。
「あ、えーっと………その、」
「……?」
「あの、実はその、」
 続きの言葉を聞いて、イアンが口をぽかんと開ける。その隣で、キリガは本日何度目かの驚きの表情でを見た。


、だいじょうぶかなあ」
 リクトが心配そうに眉を潜めながら、呟く。一旦探索を中止して遅い昼食を摂っていたテーブルでは、周囲の賑わいから切り取られてしまったような、重い雰囲気が漂っていた。
「ただの迷子なら、なんとかして一番星号まで戻れるだろうけど……」
「これがないって言うと、話は全然別だよな」
 ムゲンが示す白いデバイス。が視力を補う為につけているヘッドセットだ。今はアームの伸縮を一番小さくして、ムゲンの首にかけている。ムゲンはかけたままピザを食べるが、それでも顔は困ったようなそれだった。その隣で、もくもくと食べ続ける男。一番星のレイである。一番星号で留守番中のソルトが作るピザより味は劣るが、それでも彼はいつもどおり、既にかなりの量を食べている。食事を摂る段になってからレイの無言っぷりと言ったらなかった。
 惑星中で祭りに興じるこの日、好奇心の強い一同が街に繰り出さないわけがなかった。たまたま補給で寄った星で、こんなに面白いことがあるとは。屋台やイベントをひとつずつ周り、観たり遊んだり、それだけで楽しい。だが昼食時に差し掛かった頃、どこかで大きなイベントがあるらしく、その人込みに飲まれてしまった。ムゲンが目を回すような流れが過ぎて、落ち着いた頃、ようやく彼らは気付いたのだ。つい今まで傍にいたが、道の脇にヘッドセットだけ置いていなくなっていたことに。
 その消失に一番に気付いたのはレイだった。また人混みで通りが溢れる前に、レイは素早くヘッドセットを拾い、周りを見渡す。じわじわとまた通りに人が増えてきて、レイは遠慮なく声を上げてを呼ぶ。返事はなかった。レイだけでなく、ライラやリクト、ムゲンにソルトも声を上げるが、名前の主はちっとも返事がなかった。そして一同は、目を背けていた事実をようやく認めることになった。裸眼ではまともな視界を持っていないが、その視界を明瞭にするためのヘッドセットを落として、逸れてしまったということを。
 それから、通りを練り歩き声を張り上げて探したものの、一向に見つからなかった。船に戻っている可能性も考えて、ソルトには先に一番星号に戻ってもらった。戻っているのなら、向こうから一番星号を動かすなりして知らせるはずだ。その気配すらない。完全に行方不明である。
 そうして数時間探して、一旦落ち着こうと一同は遅い昼食を摂っているのだが。
、ご飯食べてるかな……」
「難しいわよね、お財布は持ってても、……。むしろ、悪い人に絡まれたりしてなきゃいいけど……」
 ひとまず食べ終えたエイプリル姉弟の不安な言葉が零れる。それが合図だったように、今までなんの返事もしなかったレイが、相変わらずアイスがこんもり盛られたスターダストコーラを一気飲みして、そのグラスを勢いよくテーブルに置いた。彼の態度をいぶかしむ声も聞こえなかったのか、はたまた聞こえていたからか、レイは一呼吸置いて、腹をピザで膨らませたムゲンをひょいと掴んで立ち上がった。
「よぉし。腹ごしらえも済んだところで、もっかい探しに行くぞ!」
「あっ待ってよレイ!」
 言うが早いか、レイは足早に店を出た。とかくいつもどおりの態度に変わりはないが、それでも滲む焦燥がある。それに煽られるように、不安に背中を押されるように、リクトとライラもレイの背中を追った。
 店を出て大通りに戻ると、相変わらずの人混みだった。レイ達は自分達もまたはぐれたりしないように気をつけながら、周囲に注意をやる。どうしても散ってしまうがしかたない。それが、レイは口惜しかった。一刻も早く見つけたい。けれど、形振り構わず探せるわけでもない。大通りを練り歩き、名前を呼んで、周囲に目をやる。それを三人と一匹掛かりでやっても、の姿は見当たらなかった。どこにいるんだ、はやくみつけないと。食事中のライラの何気ない一言がレイの頭をよぎる。何かある前に、見つけなくては。
 大通りを諦めて、脇の通りを探してみるかと思案するレイが脇道に目をやる。そのとき、彼の胸に両極端な感覚が満ちた。


 大通りの人ごみの中で、仲間と逸れた上、視力を補強するヘッドセットもなくしてしまった。と。
「何度考えても、うっかりの域を超えていますよね……」
「うう、事実だけど、あまり繰り返さないで欲しい」
 呆れの篭ったイアンの言葉に、が肩を竦ませる様を見てキリガはくすりと笑った。よく見えなくても笑った気配は解るのか、はむうと口を尖らせて、サンドイッチの包み紙を折り畳む。すっかり昼食のことも忘れて彷徨っていたらしい彼女の腹は、先ほどぐうと鳴ってのみならずキリガやイアンにも空腹を知らせた。けれど、店に入ると難儀なことが多いし、このぼやけた視界では食器を使うのも難しい。そこでイアンが提案したのが、サンドイッチ。手に持って食べられるものなら、食べる場所が確実にわかるし、屋台で買えば面倒もない。遠慮の塊になっていたをベンチに残して、早々にキリガが買ってきたサンドイッチ。瀬に腹は変えられないのだろう、はなんだかんだと食べ終えた。
「ごちそうさまでした。ありがとう」
 小銭をせっせと数えてキリガに返す律儀さは、好感を覚える。彼女は見えているか解らないが、それでも微笑みを返してから、キリガは話題を切り替えた。
「……、、船を泊めた場所は覚えていないか?」
「えっと……街の近くで、停泊所に泊めたよ。おっきなところで、外に出るとそんなに歩かなくてもすぐ大通りに出たと思う」
「そうか……、静かなところだったか」
「大通りに比べれば」
「もしかすると、ホテル近くの停泊所かもしれませんね」
 ダメで元々だ。此処で座っているよりは、可能性は高いだろう。大通りの中でを探しているであろう一番星達に期待するより、随分と能動的だ。あわよくば、船に戻っているかもしれない。
「あの、わたしひとりで、」
「大丈夫なわけないでしょう? 一旦大通りを通るんですから、絶対に無理です」
「……はい」
 とて一人で大丈夫だなんて思ってはいないだろう。けれど彼女の控えめさが頼ることを躊躇わせる。それをさらりと打ち砕いたのがイアンの言葉に、キリガも頷いた。元より、心配して手を取ったのだ。今更一人で行かせるつもりもない。キリガはベンチに腰を下ろしたままのに、左手を差し出す。それに首を捻って、の髪が揺れた。
「また迷子になると、闇雲に探すしかなくなるからな」
「……えっと、……ありがとう、お世話になります」
 キリガの意図するところが解って、はやはり最初は躊躇ったものの、キリガの手を取った。冷たい手だ。キリガとて体温が高いわけではないが、それでも、の手は冷たく、そして少し小さい。キリガの手を頼るようにベンチから立ち上がり、キリガの誘導に従って歩く。小さな子どもの手を引いているようだ。
 そんな記憶は、キリガには全くないのだが。冷たい手を握って大通りに入る。相変わらずの人混みっぷりに内心溜息をついたが、顔には出さずにいた。が悟ってしまえば、また遠慮の塊になってしまうだろう。それでは意味がない。人混みの中を逸れないように強く引き寄せる。結果、が空いていた手でキリガの服の裾を掴むことになった。まあ、これなら大丈夫だろう。ぼやけた視界のままで歩くので、すぐに疲れてしまうとは言っていた。この人の海のなかで難しいではあるが、できるだけ急ぐことにする。
 そうして人の間を縫って歩き、人の波が随分と落ち着いたところに出たときだった。キリガとの耳に、その声が聞こえたのだ。、と。それはとても小さい気がした。弾かれたようにその声に振り向くと、二人とは違い聞こえなかったらしいイアンが驚いた。
「ど、どうしたんですか、お二人とも」
「今、声が……、聞こえなかったか?」
「いいえ、わたくしには……ってぎゃん!」
 キリガの問いに首を傾げるイアンに赤い何かが衝突した。いや、衝突というよりも、轢いたという方が相応しいか。相棒がふらふらと高度を下げていく様を見ながら、何処か冷静で、けれど停止した頭で考える。数秒経たずにキリガの頭は復旧し、イアンを受け止めた。左手には冷たいの手、右手には暖かいちびドラゴン。
「やぁーっと見つけたぜ! ほいっと!」
「えっ、?!」
 くるくるとイアンの目を回させた赤は、視界のはっきりしないに飛びつくなり、その頭に何かを被せる。それをどうにか都合のいいようにしようと、の手がキリガから離れてわたわたと頭を触る。急にすれば、そうなるのが必然だ。キリガは慌てるの手を取って落ち着かせ、それからその何かをきちんと装着させた。――のヘッドセットだ。ようやくそれと解ったらしいは、耳元のスイッチを探り当てて、ぱしゅん、との眼前にレンズが現れる。ぱちぱちと、彼女が瞬きをする。そういえば、ゴーグル越しでは彼女の瞳の色は埋もれてしまうのだな。薄青のレンズを通して、そんなことを考えた。
「びっくりした……ムゲン、ありがとう」
「いいってことよ」
「でも、届け方に無茶があると思うなあ……」
 がそう零した直後、キリガが抱えていたイアンがのそりと置き出す。轢かれたという事実ははっきりしているようで、さらにそれが、大変相性のよろしくないどこぞの赤いちびドラゴンと解れば、怒りは必至だった。キリガが止める間もなく二匹はもめ始め、人にぶつからない程度に中空でくるくると格闘する。それを見ても苦笑を浮かべているのだから、どうやらヘッドセットのおかげで明瞭な視界を得たようだった。
 ふと、赤と青の二匹の向こうの視線に気付く。二匹を挟んでキリガの反対側にいるそれは、――一番星のレイ、その表情にキリガはほんの少し目を見開いた。けれど、彼はすぐに、ムゲンの後を追ってこちらにくる二人に続いて駆け寄ってきた。
「探したよ、!」
「何処かで転んで怪我とかしてない? お腹すいてない?」
「リクト、ライラ、……レイ!」
「おう。無事みたいだな」
「うん、キリガのおかげで、怪我もしてないし、お腹も空いてないよ」
 飛びついてきたリクトを受け止め、レイに返事をしながらライラの心配そうな問いに答える。それからはキリガに向き直った。ね、と同意を求めるように。駆け寄ってきた三人の視線が、キリガに集まる。に向けた穏やかな表情を引っ込めて、一番星を見た。けれど、特に交わす言葉もない。ただひとつ、気になることといえば、さきほどの、表情だろうか。
「世話になったみたいだな、オレからも礼を言うよ。ありがとな、流れ星」
 キリガの目を引いた顔とは打って変わって、いつもどおりの、爽やかな態度。その変化にキリガは微笑んで、それを返事とした。レイもそれでよしとしたらしい。さっぱりとして割り切りの良い男だ。キリガがイアンの名前を呼ぶと同時に、彼はムゲンの名を呼んで、未だもみ合っていた二匹を止めた。
「戻るぞ、イアン」
「かしこまりました」
 先ほどまでのやりとりが嘘の様に、澄まし顔でイアンがキリガの元に戻る。無事に迷子を届けられた。もう一緒にいる理由もない。それぞれの時間に戻ろうと踵を返したキリガの背中に、の声がかかる。
「キリガ、本当にありがとう。……ほんと、どうしたらいいかぜんぜん解らなかったから。助かりました。このご恩は忘れません」
「大げさだな、恩を売ろうとしたわけじゃないんだ。気にしなくていい。……そうだな、ひとつ、言えるのなら、」
 キリガは頭を下げていたの向こうの、レイを見る。と同じく、きょとんとした顔がそこにあった。
「次は、はぐれないように手を繋ぐといい」
 そのレイの顔が少し変わる。その表情を、彼は意識しているだろうか。キリガには、解りようのないことだ。すぐまた向き直って、今度は振り返らずに彼らから離れた。人の賑わいと、彼らの安堵の会話が聞こえなくなるまで離れてから、ようやく一度振り返る。人の波に覆われて見えなくなったけれど、彼らはまた、この賑わいを楽しむのだろうか。次ははぐれなければいいけれど。
(……あんな顔をするんだな)
 そう思うと自然と笑みが浮んだ。一番星のことを大して知りもしないのに、こんな風に考えるとはおかしなことだ。そういう自覚があるのに、それでも、あのときの彼の顔はキリガにとって新鮮で、見慣れないものだった。 キリガの知る彼は、大胆不敵で、けれどどこか落ち着いている。何がきても動じないような印象が在る。何がきても、楽しんでしまいそうな男だ。
「キリガ様、お疲れではありませんか?」
 黙ってしまったキリガを、イアンが心配そうに覗き込む。
「いや、……むしろ、楽しいな」
 キリガの言わんとするところがイアンには解らなかったようだ。それでも、「それは、何よりです」と満足げだった。それだけ、キリガの表情が穏やかだったかもしれない。
 だってそうだろう。あの男が、あんな腑抜けた顔をするなんて。記憶のないキリガでも思い当たる理由はある。あれは、きっとそういうことだ。馬に蹴られないように、気をつけなくてはならない。
 彼女の冷たい手に、一番星は触れたことがあるだろうか。いつか聞いてみてもいいかもしれない。