からからと歯車が鳴る。外は苛立つぐらいの晴天で、これから行うことなどまるで夢想のように平和だった。自分の心も同様に凪いだ海のようである。不思議なもので、そんな海の中でじわじわと波紋が広がっているというのに、だ。
 あの日、あの時、出会わなければ、こんなことにはならなかっただろう。
 疑念は罪深い。信ずるべきものを疑わせるからだ。では私にとって信ずるべきものとはなんなのだろう。彼女は、おそらくそれに値するものであっただろう事柄を軽く叩いて、ひびを入れていった。罪深いのは、誰よりも彼女である。出会わなければよかったのだ。あのとき、何も聞かず、父上の言うとおり排除してしまえばよかった。戦い、殺して、捨ててしまえばよかった。
(馬鹿馬鹿しい……)
 自嘲気味に微笑む。そんなことは到底不可能だ。きっと彼女に、勝てるわけがない。そんなことができるのなら、そもそも私の前に現れなかった。だから、あれは彼女の思うが侭の、そんな遭遇だったのだ。

 ――本当にそれでいいの?

 罪深くも彼女は問うた。同情も憐憫もなく、ただ疑念を言葉にした。
 だからこそ、彼女の言葉は突き刺さる。純粋な疑念以外の何ものでもない言葉は、確実な鋭利さを持っている。
 自分はそれで納得しているのか。本当にそれで後悔しないのか。
 それだけだ。否定もせず、肯定もせず。ただ淡々と紡いだ言葉。それだけなのに。
「……姉様、どうしたの?」
 思考の海から浮上する。いぶかしげな顔をする妹は、同様にいぶかしげな声で「なんだか楽しそう」と言った。
「私が?」
「ほかに誰がいるの」
「そう」
 とだけ返す。そうか、私は今楽しそうだったのか。これから行うことを考えれば、まずそんな風に見えるわけがなく、またそれが同じ立場にある妹から見た事象だとすれば、尚更違和の塊だ。けれど、妹はそんなことは口には出さずに、
「楽しそうっていうか、ちょっと誇らしげっていうか。……、初めて見る笑顔だった」
「笑顔……、私は、笑っていたのですね。こんなときなのに」
「……そういう言い方、やめようよ。こんなときだけど」
 妹は顔を伏せて、ふてくされたようだった。末っ子だからだろうか、未だにほんの少し幼さを浮かべる。
 この疑念は私だけのものだ。妹達は知らない。もしかしたら、同じように彼女と遭遇したかもしれないけれど、それでも、私だけのもの。こんな気持ち、あることすら忘れていた。
 こんな気持ち、持つほうがおかしかった。
 本当は、持たないほうが、異常だったのだろう。
 自分達は、父に従っていればそれでいいと思っていたから。
 他のものなんて、要らないと。
(……忘れなくては)
 儀式で余計なことを考えてはいけない。失敗すれば、自分達の命なんて、軽く吹っ飛んでしまう。魂など欠片も残らないだろう。
 命も魂も、成功すればどのみち喰われてしまうものだけれど。
 どうして、こんなにも、あの人の言葉は、胸に残ってしまうのだろう。
 今もまだ考えている。
 父に反し、四人揃って生き延びてしまえば、別の生き方すら見つけられるのではないだろうかと。
 そんな下らない希望。そんな、淡い迷い。
(ああ、でも。こんな迷いも、悪くない)
 むしろ心地好いほどだ。懐かしい自分の意思。こんな迷い、こんな希望、こんな意思、いつからか忘れてしまっていた。
 それすら、消えてしまうものだけれど。
「ねえ、カシス」
「なあに?」

「もしも、他に生き方があったら……」

 そんな望み、叶うはずなんて、ないけれど。
 願わずには、いられなかった。