「さて、」
 儀式の準備を空から見ていたが、前置きのように呟いた。そして座り込む。いくらなんでも、竜の眷属ワイヴァーンの背にいつまでも立っているのは危ない。言うほど大きな彼でもないし、バランスを崩せば地表に真っ逆さまだ。落ちたとしても、ワイヴァーンが救ってくれる確信はあるとしても、危険なものは危険である。
 視線の先の地表には、大仰な魔法陣が寸分の狂いもなく描かれている。ゆっくりと進められたそれは、やがて終わりを迎えたようであった。
(迷っているのか、決めたのか。……迷うことを放棄しているのか)
 の知る由もないことであるが、後者でないことを願ってやまない。思考を止めればそれこそ、終わってしまう。彼らの存在とはなんだったのか、決まってしまう。
 ワイヴァーンが、その長い首を捻ってに視線をやる。はそれに微笑んで、つやつやとした赤い鱗に覆われた彼の身体を撫でた。
「うん。そろそろだね。ありがとう、降ろしてもらえる?」
 の言葉に、自分から促したはずのワイヴァーンはけれど少々不安げな色を目に宿した。がどんな降り方を所望なのか、彼はよく知っていらっしゃる。
「なによう」
「――」
「う、無言の圧力……!」
 けれど、ひと睨みされただけで負けるでもなく
「いいからはい!降りる降りるっ」
 ワイヴァーンはしぶしぶ従った。言われたとおり、滞空の状態から翼と体の向きを変えて急降下する。ワイヴァーンの首元に乗っていたは、ニッと笑みを浮かべて、目標を睨んだ。


 始まってしまえば、それはあっさりと終わりを迎えようとしていた。
 魔法陣の中心に立っているのは四人。男女二人ずつ。それぞれキール、ソル、クラレット、カシスという名であり、すべてはその命と引き換えに、世界に破壊をもたらす為の行為。
 全員母親が違ったし、一緒に育ったと言うにも少し憚られる。だから兄弟と言って果たしてよいのかわからないが、彼女らの中にはその概念があった。長姉はクラレット、次がキール、ソル、カシスの順に、姉、兄、弟、妹の形で認識している。それはこれまで生きてきた中で、ただひとつ見つけられた彼らの安らぎだったけれど、それすらもう、消え逝くのだろう。
 今までその為に生きてきた。
 なのに、彼らの耳にはあの声がやまず、その言葉が染み付いて離れない。
 本当にそれでいいの?
 待ってるだけでいい?
 納得できる?
 それが、君の選んだ生き方?
「……」
 唇を噛む、拳をにぎる。ぎりぎりと痛むけれど、そんなもの、この胸に比べればなんでもなかった。
 そんなわけが、なかった。 
 立ち止まりたくない、納得できない、もっともっと、生きていたい。
 誰か、誰でもいい、このままでは世界が壊れてしまう、破壊し尽くされてしまう。
 違う違う、こんなこと、望んでない。願っていない。
 誰か、誰か、

 ――助けて

「お望みどおり、助けてやろうじゃないの。泣き喚いて跪いて感謝しなさいよ、あんた達」

 その声は、した。
 耳のすぐ傍で言われたような気がした。強引で傲慢な言葉に似合わない優しさを佩びて、その声は全てを雑音を貫いて届いた。
 忘れられない、あの。

 ばつん、と何かが切れたような音がした。
 同時に上空から大きな風が地上に叩きつけられる。その場にいた全員が、何事かと空に目をやる。視認は容易だった。銀龍の影が遥か上空で羽ばたいている。それは視線を受けるのを待っていたかのようで、誰かが声を上げる前に翼の向きを変え、弾丸のようにこちらに向かって急降下してきた。
「総員、退け!」
 確認してからの行動は早かった。迷う暇などない。許されない。すべきことをしなければならない。父に強要されたやるべきこと。儀式の遂行、妨害の排除。
 そこに、自分の迷いは埋もれてしまう。忘れてしまうけれど。
 キールが退避の命令を出したものの、相手はおそらくワイヴァーン。指示が間違いだとは思わないが、間に合うとも思わない。赤の鱗に覆われた翼竜は、今にも火球の雨を降らせるだろう。けれど、やらないわけにはいかなった。
 キールの誘導と同時に、クラレットが召喚術の詠唱を始める。遅れて、ソルとカシスも同様に参加する。それは、最適で最速の行動であったけれど、が更に行動するには余りある時間が生まれた。
 若草色の光が弾ける。ワイヴァーンの影が消えたことを四人が理解すると同時に、は華麗に地表に降り立った。周りには召喚師。常人ならばすぐさま両手を挙げて降参を意を示すだろう状況を前に、
「さあ、いくよ」
 は笑って見せた。さながら女神のような、笑み。
 そして、周囲は真っ白な光に包まれた。

( 曖昧に、裏腹に、声は笑う )