炸裂したのは光だった。籐矢と夏美の気持ちに呼応するかのようにそれは現れ、確実な威力と残酷なまでの強さを持って、彼女に襲い掛かった化け物も、また周囲を囲んでいた者達も、一掃してしまったのだ。
 どうしてだか、二人はそれが自分のものだとわかる。籐矢一人でもなく、また夏美一人のものでもない。確かに、その力を使ったという手ごたえが、実感があった。
 どうして、こんなものを持っている?
 戦う術など知らず、彼女に助けてもらわなければおそらくあの牙の餌食になっただろうに。
 ただひたすらに、怖い。
 最もよく知るはずの自分が、知らないうちに、知らないものを、
 いったい、なんで、どうして、こんな、
「はいはーい!」
 剣を鞘に収め、パンパンと手を叩きながらきわめて明るく呼びかける彼女によって、思考から開放される。彼女は、籐矢と夏美の顔を交互に見た。
「まずは此処から離れない? この辺は、ああいうのもまだまだいるし、君らのその……力によってくるようなのもいるかもしれないからね」
 軽い言葉のなかに、優しさが混ざっている。そして、混乱する二人を宥める言葉は、これ以上ないくらいの効果があった。彼女の声と、彼女の言葉は、驚くほどすんなりと二人のなかに浸透する。
「あのっ!」
 だから、と彼女が続けようとするのを遮って、夏美が声をあげた。それはほんの少し遅ければ、籐矢が発していたかもしれない問い。
姉、だよね?子どもの頃……十年くらい前にいなくなっちゃった、」
 夏美は、理由のない確信に捕らわれていた。理由も無ければ、理屈もない。彼女が現れたとき、自分達を守ろうとその背に庇ったとき、安心させようと微笑んでくれたとき。このほんの短い邂逅の中で、それはふつふつと湧き上った感情であった。
 籐矢の耳に届いた、ぽつりと呟いたその名は。
 彼女の窮地に、思わず口をついて出たその名は。
「あたしや、籐矢や勇人や綾の、幼馴染の、……姉だよね!?」
 それは悲痛にも聞こえる、問いかけ。
 幼心に、その事件は色濃く記憶されていた。あの日、いつもと変わらないはずだった日。空が真っ赤になって、帰路について。別れたそのまま、幼馴染のおねえちゃんは、消えた。その場にいたのは、泣き続ける彼女の妹だけで、幼いその子には真実は到底語れなかった。
(あの日、ぼくらの世界が大きく変わったんだ)
 たったひとりの存在が、かけがえなどなかったたったひとりが。世界から失われた瞬間だった。
「――」
 問いかけられた女性は、硬直していた。先ほどまでの凛々しさや頼もしさは、その顔からはすっかり失われ、目を丸くし呆然としていた。不躾で唐突な問いだったけれど、夏美も、そして傍にいる籐矢も訊かずにはいられなかったのだ。
「……そっかぁ」
 ぽつり、彼女は小さな声で呟く。
「十年……そんなになるんだ。そりゃあ、思い出せないはずだ。おかしいな、毎日毎日、思い描かなかったことはなかったのに」
 みるみるその表情が変わって、そして彼女は、笑った。
 あの頃は、毎日一緒に遊んで、一緒に笑って、悪いことをすれば叱ってくれて、悲しいことがあれば一緒に泣いてくれて。
「十年って、長いね。あたしも、君らも、こんなに変わっちゃうんだもんね」
 それでも、その笑顔はほんの少しも変わらず優しくて、少し豪胆で。

「久しぶりね。夏美、籐矢」

 彼女が名前を呼んでくれるだけで、不安が消え去り、ただ安心感が残った。大丈夫、こんな見知らぬ地でも、彼女がいれば。そんな根拠のない安らぎと自信に満たされた。
 心が震えて、心が喜んだ。彼女が――が、今目の前で、名前を呼んでくれるという事実が、涙ぐむほどの。
「うん、久しぶり、姉」
「変わりないようで、安心したよ。
 は目を見開いて、また少し笑った。
「あらら、相変わらず泣き虫なのね」
 今は反論する言葉も浮ばなかった。


 自分は慎重な人間だと思っていた樋口綾にとって、此度のことは驚きと後悔にまみれた結果であった。やらない後悔ならば何度か経験はあったものの、やって後悔したというのはそうなかった。勇気がある方でもなければ、積極的でもない。望まれる役割は果たせるが、自ら前に出るかと聞かれれば、答えはノーであった。本質的に、臆病なのかもしれない。
(そうだとしたら、説明もつきますね……)
「あー……此処、何処だろうな?」
「う……」
 勇人の言葉に、訊かれても困ると視線で返す。周囲は、どう見ても見知った街ではなく、明らか日本ではない。煉瓦で作られたように見える三角の屋根は、見覚えなどとてもなかった。明確な違いが、より一層不安感を煽る。瓦礫や汚れた町並みを見るに、スラムの様相を呈しているように思えた。
「とても、治安がいいとは思えないな」
 同じことを考えていたらしい勇人の呟きに、無言で頷いた。何処であれ、見知らぬ場所に二人きりというのは危険すぎる。どんな論理をもってしても、感情任せな行動で籐矢や夏美と離れてしまったのは、失敗だった。持っているのも、クレーターの中見つけた五色のきれいな石だけで、非常に心許ない。
 何より綾を怯えさせるのは、先ほどの風景だった。
(怖かった、すごく怖かった)
 思い出すのも躊躇われる。自分達がいたクレーター。その周りには、たくさんの、死体。
 前を行く勇人に気づかれないように、綾はぎゅっと震える腕を掴んだ。そう、あれは間違いなく、既に生きていない体。生きていない人間。腐ったような様子もなかったから、多分、自分達があの場に現れた時とほぼ同時に死んでいた。おそらく、自分達の、所為。
 綾は俯かせていた顔を上げて、周りにきょろきょろ目を向けている勇人を見た。勇人は気づいているんだろうか。あれが、「生きていた」という過去形でしか生を表せないモノだということに。
(もしかしたら、生きていたかもしれない)
 そんなことも、考えないわけではなかった。あの時点では、もしかしたら、自分に何か出来れば――でも、何ができる?
「綾?」
 思考の海にどっぷり浸かっていた綾の意識を呼び戻したのは、勇人の声であった。
「大丈夫か? 結構走ったし、疲れてるのなら休もうか」
 勇人は昔から、とてもタイミングのいい男だった。察しがいいとでも言えばいいだろうか、誰かを上手に気遣えて、それに嫌な気起こせない。そんな、心地よい性質を持っている。
「少し考え込んじゃってただけです。大丈夫ですよ」
「そっか。じゃあ悪いことしたな」
 思考を妨害したことについて、素直に言った。綾からしてみれば、憂鬱でしかない思考だったから、遮断してくれた勇人の存在はありがたいばかりであるのに。本当に彼は素直で、気持ちがいい。この不安な状況でも、少し落ち着くことができる。彼自身は、そんな自分に気づいていないだろうけれど。
「これからどうしようか?」
「とりあえず、二人と合流したいですよね……」
 声をかけられたのは、そんな相談をしていた時だった。