「なるほどね」
 籐矢と夏美から話を聞いて、は独り言のようにそう呟いた。学校帰り、偶然たまたま、勇人と綾を含めた四人は公園に集った。それぞれがそれぞれなりに、未来を悩みながら。そこで声を聞いた。
「助けてって、言っていたんだ」
 思い返す籐矢に目をやりながらも、行き着く思考は彼らである。儀式を行っていた四人。矢張り、召喚行為の主体となったのは、彼らか。そう考えるのが妥当そうだ。
「なんであんなとこに転がってるのかと思ったら、ねえ」
「でも、こんな、異世界だなんて」
「でも、現実なんだよね、これが」
 が言うと、二人は何も言えなくなる。十年前と言えば、彼女は九歳だったはず。そんな、年端もいかないこどもが、たったひとりで見知らぬ世界に召喚されるというのは。
「しょげた顔しないでよ。ほらほら、街に入るよ」
 クレーターを離れてしばらく歩いているうちに見えたのは、崩れかけた城壁。否、これは、崩れている。ボロボロで、出入りすら容易に適いそうなそれは、矢張りあっさりと三人を迎え入れた。
「なんでまた、こんなところから?」
「正門から入ると、そのまま牢屋直行ルートになりますが」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
「冗談。まあ、身分も証明できないし、そうでなくとも服装からして怪しまれちゃうからね。正規のルートからは面倒になるよ」
 中はあまり良い状態とは思えなかった。瓦礫が散乱しているし、全体的に薄汚れた印象を受ける。だがしかし、の言う通り、この世界の常識も知らない籐矢や夏美が紛れるには、これ以上ないくらいに都合がいい。
「このあたりはさっきのみたいなのが結構いるからね、こういうところから街に入られることもあるんだけど、」
「なるほど、勇人と綾も、此処から入ったかもしれないってことか」
「科白とるなよ」
「籐矢、姉が拗ねるよ」
「拗ねてない! 拗ねてないよ!! 海原の如き広き心で籐矢の行いは許されてるよ?」
 それぐらいないと許されないのか、とは突っ込まずにおいた。十年前のもうおぼろげな記憶ではあるものの、彼女に変わりはないようで、そんなところでほっとする。
「でも、ここいらだって治安がいいわけじゃないからね。早く見つけてあげたいんだけど、」
 きょろきょろと周りを伺いながら、角を曲がったそのとき
「っとと」
「わ、」
「うん?」
 急にが立ち止まって、後ろに続いていた二人はあわや衝突事故、なんとか踏みとどまるも、夏美は籐矢に身体を預ける破目になってしまった。が何か見つけたらしいが、反応からして探している勇人と綾ではないのだろう。の背中越しに覗き見ると、黒い鎧の男が一人、その更に向こうの様子を伺っているようだった。
「知り合いよ、声かけてみようか」
 そう言って、は男に近づいた。
(やっぱり、というか当然だな)
 籐矢は立ち止まったまま思案した。十年の間に自分達は成長し、なんらかの形で過去とは変わっている。時間の流れとはそんなものだ。同じままにいる事を許さない。それは当然ながらにも同じだ。彼女にも、十年の間にこの世界での生活があり、家があり、家族があった。いや、今現在ある。自分達の知らない彼女を知っている、誰かが居るのだ。
 そんなのは、当たり前。当然のことだ。そんな当たり前のことに対して嫉妬するのは、しょうもないことだ。
(……子供だな、これじゃあ)
 いつまでも駄々を捏ねる年齢でもない。
 ふと夏美の方を見ると、その表情にほんの少し寂しさが伺えた。異界の地で、頼れるのはだけという状況を差し引いても、それは色濃いように思える。
 もしかしたら、夏美は嫉妬しているのかもしれない。もともと社交的だからそういう感情を口には出すタイプではないが、たとえばのような甘えられる存在にならば、口に出さずとも態度に出すのかもしれない。
(それだけ、には僕や夏美をこどものようにしてしまうちからがあるということかな)
 それだけ彼女に甘えたいという気持ちがあるということ。
「なに、籐矢」
「別に。なんでもないよ」
 笑ってみせるも、夏美は納得がいかないようだ。どうはぐらかしたものかな、と悩んでいると
「何やってるのよあの馬鹿!」
 苛立ったの声がした。夏美とともに慌てて向き直ると、憤慨したが鎧の男に説明を求めていた。
「どういうこと?」
「すまない、止めてはいるんだが……」
 もめる二人の様子を伺うように籐矢と夏美が顔を出すと、「ツレよ」と軽すぎる紹介をされた。何があったのか問いかけても、煮え切らない答えを返す。は呆れの色が混じったしかめっ面で曲がり角の向こうを示した。一体何事なのだろうか。
 覗き観える光景は、暴漢と思われる男に襲われる勇人と綾だった。
姉!」
「聞こえてるわ、夏美。とにかく落ち着いて」
「如何するんだ? 放っておくわけじゃないだろう」
「勿論よ。ぶっ飛ばしてくるから、君らはここで」
 厄介なことになりやがってちくしょうめ、と言わんばかりの苦々しい表情で言っているそのとき、
 光がさした。
「!?」
 それは、襲い掛かった男を蹴散らし、必然として周囲に沈黙が舞い降りる。それほどの威圧を、その力は具えていた。
 目の当たりにした籐矢と夏美は、混乱する。それはまったく同じだった。蹂躙するような強さも、圧倒する存在感も。なぜ、こんなことができるのか。何の推測もつかない。不可思議の連続は、どこまで続くのか。
 倒れた男は周りに比べて大柄で、その彼が倒れたことが何よりも威力を物語る。リーダー格らしい男が、声をあげ怒りを露にする。
「レイド、二人のことお願いね」
「ああ、わかった。無理はしないようにな」
「あたしを誰だと思ってるの。籐矢、夏美。少し待っててね、助けてくる。まあ彼と軽く自己紹介にでもしゃれ込んでてちょうだい」
「あ、」
「だいじょーぶだいじょーぶ。あたしが喧嘩で負けたことなかったでしょ?」
「プロレスごっこでは負けてたよ」
「まじでか。記憶の改竄しておかなきゃな」
 よくわからない軽口を叩いて、はレイドに任せろとにっこり笑ってみせる。それは、昔から。いつだって返事は笑顔だ。昔から変わらない。引っ込み思案だった彼女の妹を、勇気付ける為のくせだったのかもしれない。
「あの、レイドさん」
「レイドで構わないよ。何だい?」
姉……ひとりでいいんですか?」
「気にすることは無い。どちらかと言うと、ガゼルの方が心配だな」
 言うとレイドはくつくつ喉を鳴らせて、苦笑いした。
は怒ると怖いというか、恐ろしいからな」
「……」
「……、まあ、今までの言動から考えられることだったけれど」
「昔っからそうだったもんねぇ……、姉……」
 そういえば、さっき助けてもらった時も、蹴り飛ばしながらの登場だったなと思い出した。


「ぼぇふっ!!」
 気持ちいいほどの殴打音と伴に、目の前の男が後方五メートルは軽く吹き飛んだ。蹴飛ばした本人は満足気。何が起こったのか全く理解できていない勇人と綾は、呆然と佇むばかりである。
 丈夫なことに即刻起き上がった男は、蹴飛ばした女性に詰め寄る。
「急に蹴りいれるやつがいるか!!」
「両飛び蹴り、どうよ? 素敵?」
「どうよじゃねえ!!素敵でもねえよ!!」
「輝かしきあたしのおみ足で蹴られるんだよ?」
「そっちの趣味はねーよ!! あーっもう!」
 ひたすら続くかと思われた言い争いだったが、相手が折れないことを承知だったのか男が苛立ちながらも引いた。そもそも、もうまともに立っているのは彼だけだから、蹴飛ばされてから徐々に冷静さを取り戻したのかもしれない。
 状況が大きく変わったことは認識できるものの、今だ反応はしきれない。固まったままの勇人と綾に、女性はくるりと振り向いた。その様に、何かが何処にピンときた。明確でないそれは、しかし彼女の表情を見るうち、徐々に徐々に形になっていく。彼女はにっこりと笑い、二人の無事を確かめるとそれこそ喜色満面となった。
「勇人、綾! 怪我はないかい?」
「籐矢。夏美も」
「無事だったんですね」
「こっちの科白だよ! 急にいなくなって、すごく心配したんだから」
 呆れて言う夏美を笑って誤魔化す。籐矢や夏美と並ばれたことで、それはむくむくと膨れ上がる。期待にも似たそれは、けれど未だ確信には至らない。確かめることが、少し怖いからだ。
「どう思う?」
「どうって……、おっきくなったなーとか、美人になったなーとか? あたしの記憶じゃこーんな小さいままだもんね」
 手を自身の腰より低く下げながら、言っておくけど、夏美と籐矢もそんなんだからねと付け加える、そんな小さな頃は、一緒に遊んでいるお姉ちゃんが、いて。
 その人は、ある日突然、消えてしまったのだ。わんわんと泣く彼女の妹は、綾によく懐いていた。言葉使いを真似したりして。その子の笑顔は、目の前の彼女によく、似ていた。その子の方が、もっとふんわり笑うけれど。
「え、……え? まさか、だろ」
 そんな都合のいい話があるだろうか。突然、見知らぬ場所に飛ばされて、暴漢に襲われて、それを助けに――いつか消えた幼馴染が、くるなんて。
「信じられないよね」
 夏美が言う。
「でも、本当なんだよ。嘘みたいだけど、本当なんだ――ね、姉」
 それは、いつか待ち望んで、でもいつの間にか収束してしまった、忘れられない人との再会だった。