「で、どうして連れて来たんだよ」
 不貞腐れた顔で言ったのは、に華麗に蹴り飛ばされた、ガゼルという名の男だった。彼は蹴飛ばした本人よりも、自分が襲おうとした二人を睨み付けるばかりで、はそれを見て内心嘆息する。
「放っておくわけにもいかないだろう? 手を出したのはこちらだからな」
「ケッ、そいつら召喚師なんだぜ? 信用するのかよ」
 ガゼルの召喚師嫌いは相変わらずであった。この街の情勢を考えるに無理もないけれど。
 あれから、気絶していた大柄な男――エドスを起こして、此処じゃ何だからと、勇人達を引き連れてガゼルらが住まいとしているフラットという名の元孤児院に来た。さて、いざ状況説明という状況だが、
「あたしも召喚師なんだけどね」
 とにっこり言えば、むくれたガゼルも悪態をつけなくなる。どうしもうなくなった苛立ちを、傍できゃっきゃと騒ぐ孤児達にぶつけてしまって、一番下の、大きなぬいぐるみを抱いた女の子がぐずりだしてしまった。
「わわっ、な、泣くな!泣くんじゃねぇ!」
 決して短くない時間を一緒に暮らしているというのに、ガゼルはいつまでも子どもの扱いになれない。泣き出してしまった女の子をなだめようとが立ち上がるその前に、綾がその子の傍に寄った。
「怒ってないから、ね、泣かないで?」
 くすんくすんと鼻を鳴らす少女に、綾は頭を撫でて泣き止ませる。見事な手腕である。だって、そんなにすぐ泣き止ませたことはなかった。向き不向きというやつだろうか。
「今大事なお話してるから、三人とも、離れて遊んでね」
「うん」
 がそう言った直後、エプロン姿の少女が現れて泣き止んだ女の子を連れていった。子ども部屋に向かうのを見送り、は少し考える仕草をしながら連れてきた四人をこっそり窺った。勇人も夏美も綾も籐矢も、不安げな表情をしている。場を離れるのは心苦しいが、我慢してもらうしかない。
「ねえ、レイド。この子達のことを任せていいかな。あたしちょっと用事あるんだけども……」
「ああ、構わないよ。もう遅いから気をつけて、な」
 二つ返事で答えてくれたのは、信頼の証である。冷静かつ穏やかで頼りがいのある彼は、いつまでも、を子ども扱いする。むずがゆくて困りものだ。嫌ではないのだが。
「……、何処か行くのか?」
 露骨に不安を顔に出して、勇人が訊く。隣の籐矢も、そして綾と夏美も同じような表情だ。このような状況で無理もないが、こればっかりはしょうがない。
「んー、ごめんね。でも、行っておきたいんだ。悪いようには絶対されないから、安心して。あたしが嘘ついたこと」
「あるだろ」
「ガゼル後で覚えてろよ」
 科白の後で、綾が噴出して場が和んだ。
 はもう一度謝ってから、そこを出る。やはり、四人の表情から不安げな色は抜けないけれど、仕方ない。それに、自分以外のこの世界の人間に馴染むのも、早いに越したことはないのだ。
 (大丈夫。あたしみたいに)
 この世界、リィンバウムに召喚されて、あたしが初めて出会った人も、このサイジェントの街の隅っこの、孤児院だったから。
 夜に身を投げると、冷たい風が思考に落ちていたを目覚めさせた。
(さて、どうするかな。まあ適当にぶらつけば、向こうから来るか)


 それは、慎重に慎重を重ねたのか、大分時間のかかった後、フラットも大分離れたところでやってきた。の身体もすっかり冷え切っている。
「そういうことになったのね」
 灯りのない闇に問いかける。それはそこに確かに存在していて、声が届いたのかすぐに姿を現した。影は二つ。眉根を寄せて見つめるクラレットと、その隣でなんでもないことのような顔をしたソルだった。
「うん? 他の二人は、お父様にお伺い、かな」
「……貴方には、関係のないことです」
「そだね。でも、正解でしょ」
 得意げな顔をして言うに、クラレットは溜息を吐いた。
「貴方には、隠し事ができませんね」
 初めて会ったときもそうだった。何でも知っているような風だった。見透かしたような目をし、知らぬことなどないかの如く微笑む。そういう、自信に溢れた人間だ。
「洞察力とかそういう風に言ってよね」
 そう笑いながら肩を竦める。
「で、どうするの? あの子達監視するのにあたしが邪魔かな?」
「……妥協するしかないな。お前に勝てるはずもない」
「ほんとに?」
 その声から、先ほどまでの色が消えた。からかって遊んでいたような笑顔はそれこそ楽しそうなそれであったのに、その和やかな雰囲気が彼女から消失した。
「本当に勝てないと思う? 今は二対一だし、ね」
 冗談めかしていた声が突然真剣みを佩びる。それだけで背筋に何かが通った気がした。視線を外していたクラレットが、怖気に走らされたのか顔を上げる。もソルも動かず真っ直ぐに立ったままだ。何も変わっていない。はずだ。
 冷たい空気がさわさわと流れ、彼女らの髪を揺らした。の黒曜石のピアスが揺れて互いにぶつかり合い、ちりん、と小さな金属製の音を立てる。漆黒の黒曜石が、鳴いている。
 風がやんで、まともにの顔が見れた時、クラレットは戦慄した。
 その目はとても冷たく、
 今にも手を伸ばしてきては
 簡単に、体の奥から壊されてしまいそうな
「っ…!」
 彼女は笑っていた。
 灯りのない宵闇の中で、存在を誇示するかの如く雄雄しく佇み、彼女があの子達と呼ぶ彼らの前で見せていた顔とは違う笑顔で笑っていた。
 そこに見えるのは、絶対的な何か。彼女と自分達の実力の差は知っているつもりだ。彼女は敵である自分達の拠点に臆することなく侵入し、自分達に接触し、そして平然と逃げ果せたのだから。しかし、それ以上に、彼女から受ける威圧感は、計り知れない何かを思わせる。それがなにか、わからない。目の前にいる圧倒的な存在は、ただ誇り高く微笑む。
 おそらく彼女ならば、いとも簡単に、赤子の手を捻るように、殺せる。
「やってみる?」
 ぞくりと。
 身体の奥の奥、心の底から、死を恐れた。
 失くしていたはずのの恐怖が、彼女によって叩き起こされた瞬間だった。

( 覚え出せた本能 )